「新morichの部屋」Vol.18 株式会社アクセスグループ・ホールディングス 木村勇也氏

福谷学氏(以下、福谷):本日も「新morichの部屋」が始まりました。先ほどまで、いろいろと他愛もない話もさせていただきながら。今日もいろいろとゲストの情報のシャワーを浴びてこられたのでしょうか?

森本千賀子氏(以下、morich):浴びてきたのですが、プライベートがまったく出ていませんでした。

福谷:プライベートが出ていないのですか? 

morich:そうなのです。ですので、本日は根掘り葉掘り聞けるということで、すでに楽しみです。

福谷:本日はいろいろとお聞きできるということで、スペシャルゲストにお越しいただいています。

この1ヶ月で、森さんは何かトピックなどありますか?

morich:まず、福ちゃんはさまざまなメディアに出ていらっしゃるではないですか。

福谷:いろいろと出させていただいています。ついにmorichさんも巻き添えにさせていただいていますが。

morich:そうですね。巻き添えを食らいました。大人気でファンレターが来ていると。

福谷:ないです。

morich:ないですか。

福谷:そんなのはもうぜんぜんないです。森さんの近況はいかがですか? 

morich:この1ヶ月のトピックですと、バレンタインがありましたね。

福谷:ありました。

morich:世のみなさま方はいかがだったでしょうか。最近は義理チョコの文化がなくなったらしいです。ですので、1個ももらえないお父さまたちがたくさんいらっしゃるという話を聞きました。

福谷:義理チョコがなくなったということは、本命チョコということですか? 

morich:いえ、違います。本命のお父さまにもないみたいなかたちで、ちょっと寂しい、世知辛い世の中になりました。ですので、チョコレートを中心にお菓子業界はあの手この手を使っているようです。友チョコとか。

福谷:友チョコ? 

morich:女の子同士であげるチョコなどですね。

福谷:そういうものがあるのですか。

morich:うちの息子も、お友だちの男の子からもらうなど、そのような現象があります。

福谷:変わりましたね。

morich:そうなのです。時代は変わりました。

福谷:morichさんのチョコレートを、いろいろなSNSで拝見させていただきました。

morich:そうなのです。日頃の感謝の気持ちを込めて。ところが、福ちゃんのところには届いていないって。

福谷:morichチョコをいろいろなところで見て、いいないいなと思いつつ、私には届かないなと思って。

morich:ごめんなさい。忘れていたわけではないのですが、もれていたという。

福谷:親しき中にも礼儀ありというか、よくわからないのですが。

morich:失礼しました。愛情ビームだけいつも送っています。

福谷:ありがとうございます。ということで、本日もすてきな方をお呼びしています。

morich:もう爽やかすぎて、ドキドキです、本当に。今日入ってきた時に、満面の笑みで私を見る爽やかな好青年がいて、誰かと思ったら本日のゲストの木村社長です。

福谷:確かに、いろいろなグループでも、かっこいいとおっしゃっていました。あれは本音ですよね。

morich:もちろんです。

福谷:ではご紹介いただきましょう。

morich:株式会社アクセスグループ・ホールディングスの木村勇也社長です。よろしくお願いします。

福谷:お願いします。

木村有也氏(以下、木村):お願いします。

morich:ありがとうございます。かっこいいと言われませんか? バレンタインもチョコレート山盛りでしたか? 

木村:いやいや。義理チョコがなくなってしまい、本命ももともとないので、今年はもらえなかったですね。

morich:本当ですか。本当にそのような声があちらこちらに。寂しい世の中ですよね。

木村:「義理チョコ、無理しなくていい」と言いながらも、なかったらなかったで寂しいですよね。

morich:そうですよね。

木村:それはすごくあります。

morich:昔は競っていましたからね。

木村社長の紹介

morich:簡単に自己紹介をお願いします。

木村:アクセスグループの木村と申します。私は父の会社を継いだ2代目になります。大学を中心としたビジネスフィールドで、大学をお客さまとして、進学の広報活動の支援や就職活動の支援を行っています。これはリクルートさまと同じですね。

大学を取り巻くプロモーション活動として、主に3つの事業を展開しています。私は2015年に代表に就任しまして、会社は2018年に上場し、新型コロナウイルス関連でバタバタした時期を経て、現在に至るというかたちです。

morich:ありがとうございます。

福谷:ありがとうございます。

morich:本日は、前半をプライベートについてうかがおうと思います。まったく1ミリも出ていませんでしたので。

福谷:情報のシャワーを浴びられなかったと。

morich:そうなのです。浴びられなかったので、聞き甲斐があるなと思っています。

福谷:木村社長、morichシャワーはご存じですか? 

木村:初めて聞きました。

morich:流行語大賞になるかという感じの。

福谷:流行語大賞になるかなと。毎回ゲストをお呼びさせていただくのですが、今日に至るまでに、記事などのさまざまな情報を収集するかたちで、morichシャワーというものがありまして、morichさんはそれをずっと浴び続けるのです。

morich:そうなのです。社長の記事やYouTubeなど、世の中に出ているいろいろな情報を浴び続けて、夢にまで見るような状態でこの場へ来ています。なので、一応社長に関するさまざまな情報を読ませていただきました。

木村:恥ずかしいですね。

morich:ですが、あまりプライベートや幼少期の様子などは書かれていませんでした。本日はたくさんの方にご視聴いただいていますので、ファンをたくさん増やしていただこうという作戦でお話を聞いていきたいと思います。

木村:ありがとうございます。

morich:まず、お生まれは東京ですか?

木村:生まれは千葉県の松戸市です。小学校から横浜に移って、それからずっと横浜で、いわゆる「はまっこ」でやらせていただいています。

morich:幼少期には、お父さまはすでに起業されていらっしゃったのですね。

木村:私が3歳の頃に創業しています。もともと同じ求人広告の会社にいたのですが、そこからスピンアウトといいますか、独立して起業するところからのスタートです。

私は当時3歳でしたので、正直覚えていないのですが、幼心に「ただごとではないことが起こっているな」みたいな空気はありました。

morich:本当ですか。例えば、お母さまが嫁ブロックするみたいなことはなかったのですか。

福谷:以前も出ましたね、嫁ブロック。

morich:企業する時に一番手ごわいのは奥さまなのです。

福谷:「何をしでかすの?」「生活は大丈夫なのかな」といった懸念ですよね。

morich:そうなのです。起業はリスク満載みたいなイメージですので。

木村:うちは逆だったんですよ。うちの母親は「大丈夫、大丈夫」と言うタイプでした。

morich:できた方ですね。

木村:父親のほうが「うーん」と悩んでいるような姿ですね。今になって話をすると、「あの時代だからそれができた」と母は言っています。「今だったら怖くて絶対に反対する」と言っていました。

morich:そうでしたか。なんとなくそのような空気感みたいなものがあったというのは覚えていらっしゃるんですね。

木村:3歳の頃でしたが、なんとなくそこは記憶にあります。

morich:お父さまが起業されたことで、生活を含めて、何か変わったことはありましたか?

木村:急に父が家に帰ってこなくなりました。ずっと1人で商売をしていたので、朝から晩まで。

「ザ・昭和」な時代ですから、私が幼稚園に行く時はまだ寝ているので会えない。幼稚園から帰ってきても、夜遅くまで仕事をしているので寝る時間になっても会えない。土曜日も日曜日も、寝ているか、会話をしても仕事のことをずっと考えているのか、ぜんぜんかまってもらえなかったという、少し寂しさはありましたね。

morich:一緒に遊んだ記憶もあまりなかったでしょうか。

木村:そうですね。

木村社長の少年時代

morich:木村社長ご自身は、幼少期はどのような少年でしたか? 

木村:マンションの暮らしで、正直そんなに目立ったタイプではありませんでした。ただ1つ、できることとしては水泳がけっこう得意でした。

morich:そうですか、水泳。その情報はどこにも書いてありませんでした。

木村:ここで初めて言いました。水泳は得意で、水泳教室に通ったりとか。これは中学まで続けました。

morich:部活も水泳ですか?

木村:そうですね。部活も水泳部でした。それくらいでしょうか。

あとは、マンションの友だちでたくさん遊ぶのですが、意外と敵はいなかったというか、けんかがあまり好きではなかったタイプなのです。

morich:誰とでも仲良くするタイプだったのですね。

木村:そうです。友だちがけんかをしていても必ず仲裁に入ったりして、いつも周りからは「勇也君がいるから大丈夫」みたいな、優しい少年だったと聞いています。

morich:「morichの部屋」にお越しいただいたもともとのきっかけは、本日もお越しいただいていますが、御社の副社長でもあるアクセスネクステージの増田社長とあるイベントでご一緒させていただいた時に、「大変すてきな社長だ」とお話を聞いたことです。

木村:本当ですか? 後ろの様子が見たくなります。

morich:本当です。「大変すてきな社長なのでお引き合わせしたい」と言われて。「でしたらmorichの部屋に出てください」とお誘いした流れでした。

木村:そうなのですか。

morich:そうなのです。側近であるNo.2の方が、自分のボスをそのように表現されるって、実は意外とないのです。

福谷:いや、すばらしいですね。

木村:後でおいしい酒を2人でいただきます。

morich:ですので、ぜひお会いしたいと思っていました。やはり穏やかと言いますか、心理的安全性の高いタイプの方なのだろうと思っていたのですが、それは幼少期からなのですね。

木村:そうですね。もしそう思っていただけているとしたら、そうなのだと思います。

木村社長の学生時代

morich:ずっと水泳を続けていらっしゃって、高校時代は何かされたのですか? 

木村:高校からはがらっと変わって、吹奏楽部のコントラバスを始めたのです。大きなきっかけがありまして。

morich:そうなのですか。軽音部ではなく?

木村:軽音部ではなく。お子さんは軽音楽をされていますよね。

morich:はい、うちの息子がですね。

木村:コントラバスなので、もちろん軽音楽部とかでもしていましたが、その時は非常にシンプルな理由でした。もともとは水泳を続けようと思っていたんですよ。

morich:だいたいそうですよね。

木村:そうなんです。しかし、高校に入ったらプールがなかったのです。

morich:そんな高校あるんですか?

木村:なかったのです。プールがない高校に入ってしまって。

morich:施設内もなくて?

木村:施設内もなくて。水泳部はあったのですが、近所のプールに行って練習するみたいなことがけっこう多かったので、「ちょっと本気を出せる環境ではないかな」と思いまして。「それであれば音楽をやってみようか」と、音楽が嫌いな人はいないと思いまして。

morich:もともとなにか楽器を演奏されていたのですか?

木村:バイオリンをかじった時期はあったのですが、あまり好きではなかったです。

morich:バイオリンというとお坊ちゃん風なイメージですが、そのようなわけではなく? 

木村:ただ、そのご縁もあって、入ってみるかということで。ぶっちゃけ、けっこう女の子の部員が多かったのもあったので、入ってみようと飛び込んだというのが高校からです。

morich:吹奏楽部というのは、楽器は自分で選べるのですか?

木村:いろいろ選抜はあったみたいなのですが、僕は水泳部がないことに気づいたのが入学してから1ヶ月後で、他の生徒より遅れて入った時に、「私はベースでないと入らない」と、そこだけものすごく意志が強くて。

morich:本当ですか。

木村:「他の楽器は興味ないです。低音のこの楽器に憧れています」と言って。

morich:コントラバスとはどのような楽器でしたっけ?

木村:コントラバスというのは、一番大きな楽器です。

morich:大きいですよね。バイオリンをちょっと大きくしたような楽器ですよね。

木村:そうです。一番大きくて、チェロよりも大きい、後ろのほうで弾いている楽器です。

morich:あれを持っていくのは大変ではないですか?

木村:大変です。一番低い状態でも180センチぐらいありますので。

morich:ですよね。イベントがある時には、みなさまかついでいますよね。

木村:かついだり、車を使って、免許を取ってから演奏したりして。コントラバスという楽器にはまって、子どもが生まれるまで、いろいろなところで演奏させていただきました。

morich:練習場所はあるのですか? バイオリンとかなら家でできそうですが。

木村:そうなのです。ひとり暮らしの部屋で練習していると、他のところがビーンと共振したりして、「うるさい」と言われることもありましたね。第一、そんなに大きな部屋ではないので、楽器を持ってきたら、楽器のスペースで部屋がいっぱいなんですよ。

morich:ですよね。面積を取られそうですもんね。

木村:そうなのです。そこのところで弾きながら、社会人になっても本番とリハーサルもあるので、それだけでけっこう、月に2回ぐらいはお車代みたいなかたちで、馬鹿にならない値段がするので、そこのところをけっこう渡り歩いて、いろいろな楽団に行きましたね。

morich:でも、コントラバスというのは、たぶんチームに1名いるくらいな印象です。

木村:いえ、クラシック曲だとだいたい6名から8名ほどが必要ですので、需要がすごいのです。あんな楽器を持って渡り歩くプレイヤーはあまり多くありませんので。

morich:確かにいなさそうですね。

木村:ですので、楽器を持ってきたら「次も来て、次も来て」という話で。

morich:やはりコントラバスの音がないと曲が締まらないのですか。コントラバスだけで聴いたことがないのですが。

木村:私はそこにこだわりがあったのです。自分が目立つことはあまりしたくないのですが、ただ、ちょっとテンポを速く弾くと、ずっと曲が速くなるんです。だらっと弾くと、いつまでも曲がだらだらするというところで、意外とコントラバスの役割は大きくて。

morich:イニシアチブを取るイメージですか? 

木村:そうなのです。そのような自負があり、やはり私は下支えが好きだということで。

morich:そこに通じるのですね。

木村:そこでけっこう自覚が出てきたと自分では思っています。

morich:キャラクターとしても合っている楽器だったということですかね。

木村:そうですね。実は正直に言うと、このようなところで目立つことがあまり好きではないのですが、やはり支えていこうという思いが、今の経営にもつながっていると思います。

福谷:なるほど。

morich:コントラバスにハマった3年間でしたか?

木村:そうです。高校から大学から、社会人になるまで。

morich:大学の時もずっとコントラバスにハマっていたのですね。

木村:もう熱中して。

morich:毎日演奏していましたか?

木村:毎日のように演奏していましたね。

morich:やはりうまくなりますか。

木村:最終的に、あまりうまくはならなかったです。

morich:相当な時間を投資されていたような印象ですが。

木村:うまくはならなかったのですが、他のアマチュア楽団からお呼びかかるぐらいにはなりました。譜面を読めて、それに合わせて弾ける。

でもおもしろいのは、各楽団やチームによってまったく弾き方が変わるのです。弾き方が変わるため、周りをものすごく観察するのです。「この人はこのようなことをやっている」「この楽団はこちらのほうがリーダーシップがあるな」みたいな感じで、合わせて弾くということで、調整役に徹するという。

morich:同じ譜面の音楽でも、楽団によって違いますか? 

木村:そうなのです。「この曲、もう5回目だ」と思っても、5回すべてが違います。そのようなところのおもしろ味というのが、ずっと飽きない秘訣だったと思いますね。

morich:さまざまな楽器の中でも、コントラバスは特にその違いがわかりやすいのですか? 

木村:私はそう思っています。他は目立つ楽器のほうが多いので、逆にそのような信念がないと、この楽器を続けられないと思っているので。

morich:確かに。バイオリンとかピアノなどの話は聞いたことがありますが、コントラバスでここまでハマっている方は初めてかもしれません。

福谷:聞いたことがないです。

木村:いい楽器ですよ。

福谷:お話をさせていただいたことは。

木村:弾けば音が出る楽器ではあるのですが、でもそのこだわりとか、調整役とか、自分が引っ張らなければという役割がすべて変わってくるというところが。

福谷:おもしろい。

morich:例えば、コンディションによって、今日は調子が良いとか悪いといったこともありますか?

木村:ありますね。例えば、今日みたいに寒い時はすごく相性が悪いです。

morich:弦が固まっちゃうのですね。

木村:弦が張っちゃって、張っちゃって。夏の時は弦がだらだらしてしまったり、そういうことがあります。

morich:弦の締め方を変えたりして対応するのですか? 

木村:そうです、締め方を変えたりして、「おまえ、今日どうした?」みたいなことを楽器に話しかけているイメージです。

morich:そうですか。楽器も、花や作物とかにも話しかけてると良いという話ですね。

木村:そうなのです。後半は一心同体のような気持ちで扱っていましたね。

morich:そうでしたか。本当に大学時代もハマっていたと。

木村:はい。

morich:他にも大学時代に何かしていたことはありますか? 

木村:アルバイトとして長く続けていたのは、映画館のアルバイトです。

福谷:映画館のアルバイトは新しいですね。

morich:チケットを切るとか、何をしていたのですか?

木村:当時、渋谷の道玄坂に映画館がありまして。

morich:今もありますか? 

木村:今もあります。TOHOシネマズ渋谷という映画館なのですが。

morich:わかります。昔、デートで行きました。

木村:お会いしていたかもしれないです。

morich:ニアミスだったかもしれないですね。相当昔の彼氏ですけどね。

木村:あの頃は座席指定ではなくて、早く来た人から先に入場していくという時なので。

morich:先着順ですよね。

木村:混んでいる作品だと、ものすごく列を並ばせることをする係だったんです。

morich:邪魔にならないように、うまく並ばせるみたいなことですね。

木村:そうです。消防法もあるため出口は開けなければいけないとか、一気に空調を入れないと暑くなってしまうといったところの、列の詰め方をしたりしました。

morich:誘導係ということですか。

木村:いわゆる誘導です。もちろんチケットを切ったりもしましたが、そのアルバイトになぜかハマってしまって。あれはすごいチームプレーなのです。

morich:そうなのですか。私も一瞬、「どこが楽しいんだろう?」と思いながら聞いたのですが。

木村:すごくチームプレーが大きくて。需要の予測から入って、「次の回はきっとこれぐらい来るだろう」と予想して、並べ方が変わるんです。それがはち切れてしまったら、リーダーは「ごめんなさい」と。

morich:本当ですか。

木村:思ったよりガラガラだと、「あそこまで人がいらなかった」みたいな、そのようなことがあって、そこをいかに読んで「こう行くぞ」とジャッジする、先輩の経験と勘の察知があるのです。

morich:データというより、経験と勘ですね。

木村:それに妙に憧れてしまって。

morich:今はもう気軽に予約できますからね。

木村:そうなのです。今となっては本当に鬼畜ですよね。その当時は、もう早くぎゅうぎゅうに並ばせて。

morich:でも、入り切らないこともありますよね。

木村:あります。立ち見がありました。

morich:立ち見があるんですか。

木村:映画館も立ち見がありましたよ。

morich:どのような映画ですか? 昔で言うと『E.T.』とかですか? 古過ぎるでしょうか。

福谷:なぜ『E.T.』が出てきたのでしょう。

morich:すみません、大変混んでいたイメージがあったので。

木村:映画館のアルバイトの時って、この時代から入ったという作品を覚えているのですが、私が入ったのは『アルマゲドン』の頃でした。

morich:見ました、見ました。

木村:私が引退する頃は、『千と千尋の神隠し』が上映される時だったんです。2002年でした。

morich:引退ですか? 卒業して、それでアルバイトは最後でしたか?

木村:最後です。

morich:思い出深い映画ですね。

木村:そうですね。私の娘も『千と千尋の神隠し』は好きでよく見ているのですが、私は当時の映画館の混雑を思い起こします。

morich:やはり混んでいましたか? 

木村:非常に混んでいました。やはりすごいですね、あの作品。

morich:映画館のアルバイトを4年間続けたのですか? 

木村:大学院の時も行っていましたので、6年間です。

福谷:6年間、すごいですね。

木村:そのような意味では、継続力はすごいかもしれないですね。

福谷:すごいですね。

morich:すごいですよ。飽きもせずという言い方ですと大変失礼ですが。

木村:今話していて思いましたが、常に変化は起こるものですので、そのような状況を極めていこうというのが、楽器といいアルバイトといい、何か通じるのかもしれないですね。

morich:通じるものがありますね。1つのことをずっと続けるって、なかなか。

福谷:なかなかですね。

morich:なかなかですよ。

福谷:私は非常に苦手です。

morich:私もいろいろなアルバイトをしました。

木村社長の大学院時代

morich:そのまま就職しようとはならなかったのですね。

木村:けっこう楽器やアルバイトに熱中してしまって、自分は何もしていないことに気づいて、大学院で観光の勉強をしようと思いました。

その当時は日本人が海外旅行に行くのが当たり前でしたが、逆に「日本にももっと良いところがあるだろう」と。日本の人口が減っていく中で、インバウンドが絶対に必要だろうと思って、インバウンドの観光振興について勉強したというのが私の大学院時代なのです。

morich:それは何かきっかけがあったのですか。

木村:シンプルに旅行や観光など、人が集まることが好きだったのかもしれないです。

morich:映画館のアルバイトとも通じますね。

木村:映画館といい、演奏会といい、人が集まることが大好きで、今でもこのような交流会は大好きです。そのようなところがおそらく軸となって、「もっと人を集めるにはどうしたらいいんだろう?」ということにわりと関心が向きました。

morich:行く側ではなくて、来ていただくほうですか? 

木村:そうです。むしろ来ていただくことを一生懸命に考えて、学びました。

morich:そこをかなり深掘りして学んだということでしょうか。

木村:そうですね。日本全国津々浦々、さまざまな場所に行って、観光のコンベンションビューローなどで「課題感はどうですか?」とヒアリングして。

morich:けっこう真面目に勉強に励まれた感じですね。

木村:今考えればそうですね、その時は真面目に取り組んでいました。

morich:今の大学生は非常に真面目なのです。むちゃくちゃ勉強しますよね。福ちゃんとは少し歳が離れていますが、おそらくこの時代は「代返」とかの時代ではないですか? 「代返」といって、授業の際に出席を取られるのですが、本人に代わって「はい」と言いながら、1人の人が複数人の返事を代わりにするというものですね。

木村:ありました。声とかを変えるんですよね。

morich:声色を変えながら。

福谷:なりすましですか。

morich:そうとも言います。

福谷:そうとも言いますよね。最近、ニュースで見ましたね。

morich:そうとも言います。

福谷:なりすます学生がいたみたいな。

morich:そうとも言います。それが当たり前だった時代でした。

福谷:当たり前だったのですね。

morich:木村社長は大変真面目に学ばれていたのですね。

木村:いえいえ。

大学院卒業後にアクセスグループ・ホールディングスへ

morich:そのまま旅行の道へ、というのは考えませんでしたか? 

木村:考えました。ここがまた転機なのですが、私が「観光や旅行の分野に行きたい」という話をした時に、父のほうから初めて、「このような事業をやっているのだけれども」と話を聞きました。

morich:初めてですか? 

木村:やんわりとは学生時代に聞いていたかな。でも、ちゃんと話を聞いたのはその時が初めてでした。

morich:食卓とかでも一切そのような話題は出さず? 

木村:当時はほとんどなかったですね。

morich:お父さまが何をされているのか、よくわかっていなかった感じですか?

木村:あまりわかっていなかったです。時々、新聞の全面広告に出すことがあって、「あれうちの会社だよ」という紹介はありましたが、それまでどのような仕事をしているのか、実はまったく理解していませんでした。

そこから就職活動があり、当時は大学院の2年生に入る年ぐらいから、父に「こうなんだ、こうなんだ」という話を聞きましたが、正直まったくその気がなかったので、その時は「うーん」と。半年経って、結局は父の会社に入ることになりました。

morich:「うちに来い」と言われたのですか?

木村:そうです。その時に初めて、「このような仕事もあるぞ。おまえ興味ねえか」と言われました。

morich:当時は何人ぐらいの組織でしたか?

木村:当時で100人を超えるほどの組織でした。

morich:けっこう大きいですね。

福谷:大きいですね。

木村:そうですね。当時は社会の「社」の字もわからなかったので、事業の意味もわからなかったり。1にも2にも、父とコミュニケーションを取る時間がまったくなかったので、それがわからなくて。どうしようかと研究しながら悩んでいたのが、大学院2年生の時でした。

morich:本当は旅行関係のビジネスをしたいというのがあったんですね。

木村:そうですね。そちらに進みたいという気持ちはありましたが、1つの転機がありました。

演奏も映画も、結局すべてつながってくるのですが、人を幸せにする、ハッピーにさせる仕事じゃないですか。

morich:確かに。聴いた人や見た人が幸せになるものです。

木村:映画もハッピーですし、観光もハッピーという中で、うちの父がさらっと言ったことがあって。自分たちが作った大学の案内を見せてくれるわけです。当時は会社案内なども紙だったので。

「うちの会社はこのようなものを作っている」と言われた時に、「ふうん」という気持ちでしたが、「この紙で人の人生を何人も決めるんだぞ」と。

福谷:確かに。

木村:「この学校案内は紙1冊だけれども、これで何千人、何万人という人生が決まって、そして大学も企業もハッピーになっていくんだぞ」と言われた時に、そのような仕事もあるのかと。

morich:確かにそうですよね。

木村:そのような役割を果たすということで、少し揺れ動いてきて。あとは、若気の至りでどうにかなるだろうという感じで、「えいっ」と進んだのが転機となりました。

morich:世の中で、お父さまの会社に入る方というのは、もっとあまり考えずに「とりあえずもう就職しちゃえ」みたいなところがあると思うのですが、半年間考えたというのが、非常に真面目ですね。

木村:真面目ですかね。今となっては若気の至りのほうがすごかったと、いろいろな気持ちはありますが。

morich:共通点も、入る意味ですよね。お父さまが言ったからではなく、「自分がこうしたい」「世の中をこうしたい」という思いがそこに通じたということですよね。

木村:そうですね。かっこよく言えばそうなるかもしれませんが、実際は「入るよな」と言われて、「ういっす」みたいな感じだったかもしれません。その時の決断のタイミングは、あまり正直覚えていないです。

営業職からのスタート

morich:でもある意味、「社長の息子さん」という見方で周りからも見られるではないですか。

福谷:そうですよね、見方が。

木村:ありました。

morich:ありますよね。入社当時、浮かれた感じはなかったんですか?

木村:入社当時は逆に、「新入社員のイチ営業から入ってもらう」と言われていました。

morich:では同期もいたのですか。

木村:同期も20人ぐらいいました。

morich:みんな卒業して、普通に社員。

木村:そうなのです。内定者の懇親会などもあって、みんなで集まろうという時に、「私、これいつ言おうか」「いつ正体明かそうか」みたいな。

morich:そうですよね。どうしたのですか。

木村:入社式直前に内定者で集まろうという時があって、みんなで居酒屋に行った帰りに、「みんな集合! 実はごめん! 気づくことない?」って言って、「社長と同じ名字ですよね」と言ったら、みんなが「はっ」て。

morich:「もしかして?」みたいな。

木村:「私、何か悪いこと言っていなかった?」みたいなことですごい盛り上がって。

morich:確かに、「何か悪いことしてしまった」みたいな、「大丈夫かな」みたいな。 

木村:「いろいろなこと、悪口言っていたかもしれない」とか言って、後で謝られたみたいな。

morich:社長のことを? 

木村:そうなのです。結果的にそれが、今も同期がもちろん活躍していますが、「あのタイミングでよかったよ」と。入ってからだと「おいっ」となるんだけど。

morich:そうか、逆に黙っていて、入社した後からだと「何で言ってくれなかったんだ」と。

木村:「先に言ってくれたことは本当助かった」とは言われたので、あのタイミングでよかったとは思っています。

morich:でも、みんなびっくりですよね。

木村:びっくりだと思います。本当に。「サプライズってこういうことを言うんだよね」みたいなことを言われました。

morich:でも、本当に一緒のスタートラインですか。

木村:一緒のスタートラインです。

morich:立派です。「専務」とか役職がつくのではなく?

木村:ぜんぜん、本当に普通のところからです。私も昇格は遅かったほうですよ。

morich:そうなのですか。本当に公正に実績で見ていると言いますか。

木村:そうですね。件数やプロセスなどもすべて見られた中で、うちの同期が次に昇格となって、昇格の人がいても私は載っていませんでした。

morich:それはあえてではなくて、「確かに公平に評価されたらそうだよね」という感じでしたか。

木村:それは父から、家に帰った時に言われていましたね。「こうこうこうだから、まだだめ」と言われました。

morich:ちゃんと評価によって決めたということですね。

木村:そうです。「ういっす、がんばります」みたいな。当時は実家だったので。

morich:帰れば社長がいると? 

木村:そうです。けっこう地獄の週末でしたよ。

morich:社長に詰められるのですね。

木村:そうです。

福谷:どのようなかたちなのですか。

morich:社長からすると息子さんですから、「少しいけていない」などと言われてしまうと、もうですね。

福谷:そうですよね。

木村:金曜日が終わって、土曜日の朝に起きると、「先週の成績はどうだった? なんなんだ?」と言われます。

morich:責められます。

木村:「何だあれは」と言われます。

morich:なるほど。

木村:午前中いっぱい詰められて、午後に解放され、日曜日の夕方の夕飯が終わったくらいで再びガーンと部屋の扉が開いて、「来週からどうするんだ」ときます。

morich:本当ですか? 「戦略はあるのか」ということですか。

木村:はい、そうです。後半の3年間は営業でしたが、本当に辛くなってきていました。

morich:毎週ではそうなりますね。

福谷:確かにそうなります。

木村:そうなのです。朝の6時半くらいに「少し友だちと用がある」と言っていったん出ていくのですが、そのような時間から出てくる友だちなどいないですよね?

morich:いないでしょう。

木村:おそらく嘘だとわかってはいたと思います。

morich:逃げてしまったのですね。

木村:実際のところ、逃げることもしていました。

morich:そうなのですか。営業というと、いわゆる新規開拓でしょうか?

木村:テレアポもありました。加えて、当時は飛び込み営業がありました。

morich:そうですよね。

木村:「名刺を置いておきます」という営業を3年間続けてきました。

morich:地道にコツコツですね。

木村:そうですね。

morich:HRのマーケットは、基本的にはミラクルCのような王道はなく、ひたすらにアポイントを取るものですよね。

福谷:地道にですね。

木村:地道にですね。タイミングの部分も本当に大きいですよね。

福谷:そうですよね。

morich:タイミングが大きいため、リレーションを作る種まきが本当に大切になりますね。

木村:そうなのです。

morich:3年間続けていて、途中で辞めたいと思わなかったのですか?

木村:いくらでもあります。

morich:ありましたか。

木村:ありました。「明日にでも辞めてやる」と思ったことは、何度あったかわかりません。

morich:父親が社長だと、やはり辞めにくいものでしょうか?

木村:そのような話もしたことはあったと思いますが、私は次のプランが何も決まっていなかったのです。なんだかんだ言って、やはり優しいのです。

morich:それは息子さんですからね。

木村:厳しくされますが、最後に励ましの言葉があるのです。

morich:愛情ですよね。

木村:その時は「もうちょっとがんばるか」と思うわけです。その心理的なボラティリティはすごかったですね。

福谷:そういうところが上手なのですね。

morich:意識してされたことではないと思いますが、そうですね。

私も今、息子が大学3年生で、「社長のかばん持ちをしたい」と急に言いだしました。インターンというかアルバイトが良いということで、私の周辺のいろいろな社長にお願いしたら、ある方が「俺はいいよ」と言ってくれて、名刺も作っていただきました。

福谷:良いですね。

木村:すごいです。

morich:そうなのです。「厳しく鍛えてください」とお願いして、かなりハードシングスにしていただきました。話を聞くと「敬語がなっていない」「洋服がだらしない」など、私も自分が怒られているような気分でした。

福谷:なるほど。

morich:「厳しくしてください」とは言ったものの、やはり「大丈夫かな?」と、非常に気になっていました。

木村:親心ですね。

福谷:morichさんの心配している姿がイメージできますね。

morich:そうです。息子が「今日行く」と言ったら、息子に内緒で先方に「どうですか?」「営業どうですかね?」とLINEを入れることもありました。

福谷:何かフォローもされるのですか?

morich:もちろんです。

福谷:なるほど。恵まれていますね。

morich:そうです。「営業とは」ということを教えながらです。

福谷:木村さん親子も同じような感じですか?

木村:そうですね。

ターニングポイントとなった人事職へ

morich:会社に入って以降、同期で早く昇進する人たちがいる中で、ご自身がぐっと成長したようなタイミングはいつだったのでしょうか? 転機を教えてください。

木村:私は人事を任され、採用担当をしていました。

morich:営業から採用担当ですか?

木村:はい。当時は上場の準備をしている頃でした。結局その時は上場できませんでしたが、これから新卒の紹介事業が盛り上がっていくと捉えたのがだいたい2008年頃でした。そして、2008年に立ち上げたら、リーマン・ショックが起こったのです。

福谷:そうですね、その時ですね。

morich:確かにそうですね。

木村:そのような中で、私はそこまで大それた成績は残せませんでしたが、「今だからよい人が採れる」と捉えていたため、「応募者のグリップ力がすごい」という評価を受けました。

morich:時代的に、攻めの採用だったのですね。

木村:そうなのです。

福谷:なるほど。

morich:なるほど。

木村:「おまえは人事に行け」と言われ、採用担当をしたところから、徐々にステージが変わっていったように感じます。

morich:何人くらい採用したのですか? 

木村:時期によって異なりますが、多い時は20人から30人くらいの規模で採用していました。

morich:あの頃は軒並み採用がストップしていたような状況でしたね。

木村:そうでした。したがって、こちらは攻めの採用をしたのです。

morich:非常に正しいですね。

木村:いや、実際のところ、当時の人材業界はヒヤヒヤしていました。

morich:後から影響がきますからね。

木村:採用ストップになると取引がゼロになってしまいますので、そこが一番辛い時代です。ただ、がっちりキープした本当に良い人で、今は役員をしている方もいます。

morich:そうですか。その時の採用があっての今ですね。

木村:そのとおりです。「実は自分はこういうところが強みなんだな」ということが徐々にわかってきました。

morich:2008年から2009年あたりでしょうか?

木村:2009年ですね。

morich:リクルートもご多分に漏れず、お客さまから毎日のように「求人はストップして」という電話がかかってきて、取引が停止になっていました。そのたびに「このタイミングで攻めなくてどうするんですか」という話をしていたのですよね。

木村:本当にそうですね。しかし、先が見えない時期でした。

morich:みなさまそうですよね。

木村:なかなか難しいですね。

morich:ある意味で賭けというか、先を見通せないために採用できない会社が多かった中で、すごいことだと思います。

木村:いいえ、そこは創業者の判断が的確だったということです。

社長へ就任、新たな学びの日々

morich:人事の後は、また違うことをされたのですか?

木村:そうなのです。自分でも私は人事が適任だと自負してきて、いろいろな採用活動に関わって、本当によい仲間を採用できました。

しかし、あらためて上場の準備に入った時に、突然「社長をやれ」という話になったのです。

morich:当時はどのような立場だったのですか? 

木村:当時は取締役には就いていまして、人事が会社の肝ということで、人事を担当していました。

morich:それでは、人事を管掌されていたのですね。

木村:おっしゃるとおりです。そこでいきなり「社長をやってくれ」ということになりました。

morich:「来年から社長に」ということですか?

木村:いったん専務を挟み、2年後に社長になるということでした。

morich:ゴールが決められていたのですね。

木村:決められていました。上場時には父が60代後半であり、「俺の顔では成長性が見えない」というのが理由です。

morich:なるほど、成長戦略ですね。

木村:はい、そうです。良い転機だということで、上場準備中に私が社長に就き、そこからが地獄と言うと何ですが、まったく別の知識の勉強が始まりました。

morich:そうですよね。使う筋肉が違いますね。

木村:そうですね。まったく知らない分野ですので、「決算書ってなんですか?」というところからはじめました。

morich:事前に帝王学のようなものを受けていたわけでもないのですね。

木村:「人にこだわれ」ということだけは言われてきました。

morich:そこは一貫しているのですね。

木村:「人はきちんと見ろ」と言われてきましたが、他のテクニカルな部分、例えばガバナンスの部分は他の方の畑だと思っていましたが、そちらもすべて把握しなければなりません。

morich:CHROとしての職務を全うしてきたのですね。

木村:そうなのです。そのような中で、少し足踏みもありましたが、2018年に上場できたのです。

morich:私のいたリクルートも、例えば新入社員を優秀な順に配属すると、上位2割は最初に人事へ配属されます。幹部の登竜門と言われていたほどです。

人事部長だった方も、ながらく人事をしていたというよりも、スター選手が人事部長にアサインされていたという経緯でした。

福谷:なるほど。

morich:ヒト・モノ・カネの中で、ヒトが最も大事だといいます。特にリクルートは労働集約型のビジネスでもありました。そのような意味では、お父さまのおっしゃることは、まさにリクルートの中にもありました。

木村:そうなのですね。

morich:したがって、人事部長のアサインや異動があると、その方は「ゆくゆくは経営幹部になるのだな」という認識です。スター選手の登竜門なのです。

木村:そう見られていたのですか。

morich:本当にスター選手が行くポジションです。今でこそ人事をそのように位置づける会社も増えてきましたが、当時はやはり守りのポジション取りでもありましたので、どんどん稼ぐ営業のスターが人事に異動することは、相当な英断だと思います。リクルートでは本当にそのような人事を行っていました。

木村:そうだったのですか。

morich:はい。

採用と経営は地続き

木村:しかし、採用活動は楽しかったですよ。

morich:そうですよね。採用も営業ですものね。

木村:そうなのです。そのグリップをどうするかは、やはり当社の魅力を伝え、理解いただくことです。

morich:そうですね、大事ですよ。

福谷:お話を聞いていると本当に大事だなと思います。

morich:採用は人事のスキルだけではなく、営業、マーケティング、広報、さらには心理学、脳科学、哲学をフル活用します。

福谷:なるほど。

morich:私もリクルートの人事で、採用のリーダーをしていた時には、上司から心理学の本を渡されました。

福谷:心理学ですか。

木村:私も読まされました。

morich:そうですよね。

木村:やはり人の心をきちんと学べということでした。

福谷:読みたいですね。

morich:その知識はいずれ営業部署に異動になった時も、そこからさらに異動になった時も非常に役に立つもので、経営者としても役立っています。結局のところ、人のモチベーションというのは気合いや根性ではないのですよね。

福谷:そうではないですよね。

木村:そうではないです。

morich:つい、経営は根性だと思ってしまいがちです。

福谷:そういう方は多いです。

morich:モチベーションマネジメントは心理学に通じるものがあります。

福谷:それがミッション・ビジョン・バリューにもつながってくるのですね。

木村:そうですね。

福谷:非常に大切にされていることですね。

morich:それを経験されたからこそ、今の社長業があるのではないですか? 

木村:そうですね。決められたレールと言われればそれまでですが、ただ、やはり人事という仕事が、現在の当社の文化にも活きています。人事異動の際には必ず次のキャリアアップを考えたり、適正をしっかり見極めたりします。

単純に事務向きと言っても、事務にもさまざまあります。定型業務が好きと言っても文章が好きなのか、数字が好きなのか、スピードはあるかといったことで変わってきます。そこはかなり読み込んで、バックグラウンドも理解するように心がけています。

morich:人的資本経営ですね。

福谷:経営ですね。

morich:スキルやアセットをしっかり分解してアサインメントされているといいます。

とはいえ、社長業はP/LやB/Sにも関わります。財務戦略のようなこともしなくてはなりませんが、どのようにしていたのですか?

木村:私はもう割り切って、自分の不得意なところは得意な人に任せます。

福谷:大事ですね。

morich:そこで副部長の出番ですか。

木村:副社長は事業会社のまた別の人がいます。今は専務ですが、最初は本当にお恥ずかしいレベルのことを聞いていました。

morich:財務諸表などわかりませんものね。

木村:そうなのです。しかし、聞かないと始まりませんし、私の立ち位置だからこそ逆に積極的に聞かないと、プライドを捨てないと駄目だと思いました。

福谷:確かにそうですね。

morich:上場すればIRについて投資家からどんどん質問が来るのに「わかりません」とは言えません。

木村:言えないですね。わからないところは積極的に聞きました。

また、新型コロナウイルスの流行には、やはり相当打撃を受けました。そのようなところをどのように説明するかについて、別の部門の人に聞くこともしました。

morich:しっかり勉強されてきたのですね。

木村:そうですね。ひととおりは学びましたが、そこからはじまりでした。「いろいろな人に聞くことが私の仕事だ」くらいのイメージでいましたので、おそらく増田も「こんなこと聞くのか」と思ったことでしょう。

morich:プライドを捨てて聞けるということが大事ですね。

福谷:大事です。

創業者である父との関係性

morich:私も仕事柄、事業承継の現場には多く立ち会いますが、ほとんどはお父さま側の創業者が引退しきれないというか、現場に出張ってしまって、社長は名前だけで影が薄いような会社が多いのです。お父さまは潔く権限を渡されたのですか? 

木村:いや、そのようなことはないです。

morich:ないですか。

木村:今も元気にしていますが、話すことがあまり得意なタイプではないのです。したがって、何を考えているのかを知るためには思い切りまねをしなければ駄目だと思い、言っていることをヒアリングし、それをひたすら社員にいかに適切に伝えるかを考えていました。

福谷:本当にすばらしいですね。

木村:最初はそのようなメッセンジャーの役割を、割り切ってしていました。

morich:そうですか。

木村:そうすると、想いが見えてくるのです。

福谷:なるほど。

morich:言葉は少なくても、そこにはきちんと言霊がありますね。

木村:「今後はこうなっていく」ということが、話の中でいろいろと見えてきました。

morich:きちんと考えていらっしゃるということですよね。

木村:そうです。その内容を社員全体に説明したり、コメントとして社内報で残したり、そのように割り切っていました。

morich:それは家の中で行っていたのですか?

木村:私はすでに実家通いではないのです。

morich:結婚されて実家からは出ているのですね。

木村:結婚して子どもも元気ですが、そのようなコミュニケーションは時間がかかることと思います。

morich:時間を取っているのですか?

木村:けっこう取っています。

morich:本当ですか。だいたい会長と社長の関係性は、必要最低限というところが多いものです。

よくお願いされるのは、「こうしたほうがいい」「ああしたほうがいい」と思っていてもなかなか言えないため、「社外から番頭的な人を連れてきて、自分に代わって社長を立派な経営者にしてほしい」といったことです。

木村:morichさんが絡めば、さらに伸びるかもしれないですね。

morich:そうですね。ぜひ言ってください。親子の会話の足りないところや、本来であれば会長と社長でタッグを組まなければいけないところで、間に入るような方を置いて、経営ボードの層を厚くします。

木村:よく「仲は良いのですか? 悪いのですか?」と聞かれますが、これは両方なのです。

福谷:なるほど。

morich:そうですよね。

木村:ぶつかる時は思いきりぶつかりますが、共感する時は思いきり共感します。

morich:やはり親子という部分はありますか?

木村:その絆はやはり大きいと思います。他の人はおそらくここまでのコミュニケーションは取れないと思います。また、そこに垣間見える人間味が、幼少期にはまったくいなかったとはいえわかるものです。

morich:背中を見てきたのですね。

木村:なんとなく背中を見てわかるところもあります。

morich:ここまでの軌跡のようなことですね。

木村:そうです。そのようなところを意識しています。むしろ、口達者ではない創業者の代弁をしっかり行い、創業者の色を出していく役割なのだと、社長就任からしばらくは考えていました。

福谷:なるほど。

外国人留学生領域への期待

morich:現在は、引き続き採用や広報という文脈でいらっしゃると思いますが、紙からWebの時代になりました。さまざまな企業が採用マーケットに乗り出して、かなりレッドオーシャンのように見えます。御社として、今後の勝ち筋というか、どのような戦略を考えていますか?

木村:まず、シンプルに人口が減っていきますね。しかも大学のマーケットの影響を最初にダイレクトに受ける業界です。したがって、当社はまず外国人の活用に照準を絞り、2009年、2010年くらいから始めています。

また、ここは増田の管掌ですが、今日本国内に800校の日本語学校があります。

morich:マーケットですね。

木村:そうです。これをすべて押さえています。

福谷:えっ。

morich:本当ですか。

木村:その方々を大学に進学させ、卒業するのにやはり4年かかります。

morich:それは留学生ですか?

木村:そうですね、外国人の留学生です。

morich:特定派遣ではなく、留学生ですよね。

木村:卒業するタイミングで日本社会に送り出します。

morich:それでは、日本の大学に進学させることと、大学を卒業するところの両方を押さえているのですね。

木村:そうなのです。これを両方押さえているのは当社だけです。4年間というタイムラグはありますが、そこから始めていくことは非常に大きいです。

morich:何かそこをケアするビジネスもされるのでしょうか?

木村:そこは検討段階ですが、まず進学の部分はほぼ押さえています。次は就労、就活を広報としてどのように盛り上げていくかです。

もともと日本語が達者で日本が好きで、5年から6年日本で生活している、これほど親和性がある外国人は少ないと思います。

morich:確かにいないですよね。そのような方々は日本語が本当にうまいですよね。

福谷:うまいです。

morich:私はコンビニでおそらくインドやそちらの方だと思いますが、店員さんが日本語が非常に堪能で感動します。少しややこしいことを言っても、もうすべて対応していただけます。

福谷:わかります。

morich:宅配便も対応されるので、驚きます。

木村:日本語学校生の中で、コンビニで働くことは相当ハイレベルです。

morich:やはりそうなのですね。

福谷:すごいですよね。

木村:たばこの銘柄やチケットの発券、公共料金の支払いもできますし、何種類もある支払いをすべて日本語で把握できます。

福谷:接客もとても気持ちが良いですね。

morich:本当にそうですね。

木村:そのような方々が日本で社会人になれなかった場合、就労ビザが取れないために帰国してしまいます。非常にもったいない状況です。

morich:確かにそうです。

木村:適切な法律の整備が求められることが前提ですが、今後はやはり、この資産をやはり日本で採用しないと、AIが服を着て旅行に行くことはありませんので、経済そのものがシュリンクしていってしまう怖さがありますね。

やはり経済を保つためには日本人と外国人の共生社会というものをしっかり作っていき、私たちはそこを日本として最大化させていこうというミッションを掲げて取り組んでいます。

morich:なるほど。800校ということですが、どのくらいいらっしゃるのですか?

木村:マーケットそのものでは、日本語学校生は約9万人と言われています。

morich:そんなに多いのですね。

木村:はい。ただし、9万人というマーケットは決して多くはないため、私たちのような規模の企業がしっかり押さえられる範囲です。ここのところに、みなさまが期待をかけてくださっているというところがあります。

morich:どこの学校にどのような人がいるということは、データベースでおさえているのですか?

木村:すべてデータは取れています。さらに、私たちが日本語学校の教師などに、最近の事情を指導する機会もあります。

morich:なるほど。

木村:そのようなことをしっかり行っています。

morich:労働力が激減していく中、女性やシニアの活躍を考えなければならない中で、外国人の方は大きなポテンシャルがありますね。

木村:そうなのです。為替や治安についてどうこうと言われますが、やはり日本は治安が良く、医療も充実しています。加えて、日本の方は差別をあまり顔に出さずに接することができるといったところで、非常に安全だと言われているのですね。

morich:日本は留学生にとって人気な国ですか? 

木村:人気です。やはりアニメ、漫画の影響もあります。

morich:確かにそうですね。

木村:しかし、結局内定が取れないことがあります。

morich:それでは帰らざるを得ません。

木村:日本で働きたいと言っている人が帰ってしまうという現実を、どうにかして是正していきたいと思っています。

morich:その外国人ビジネスは、いつ頃から始めているのですか?

木村:2008年くらいからですが、外国人のビジネスはまったくもうかっていなかったと聞いています。当時の大学は「お金を出してまで外国人は取らないよ」という空気でしたが、今となっては「お金を出しても採用したい」という大学が年々増えています。

morich:非常に真面目で、日本語はもちろん、英語も話せるのではないでしょうか。そのような意味では、日本の大学生よりも優秀ということですよね。

木村:実際のところそうですね。当社にも新入社員として外国人が入っています。

morich:そのような会社は本当に増えていますね。

木村:会社を退職すると帰国することになりますので、切迫感が違います。

morich:帰国になってしまう。

福谷:なるほど。

木村:「クビにしないでください」という人がいると、日本の学生が「あれほど必死なら、私たちもがんばらないとやばいんじゃない?」という空気になり、逆作用が起こるところはおもしろいです。

morich:先日、中国のかなりの田舎から出てきたという大学生に出会いました。日本に来るためにみんなから寄付を募り、村の期待を一身に背負って来日しているため、ただでは帰れないと、本当に必死に大学で勉強していました。

木村:そのように全力で学ぶ方が多いですよね。

morich:そうなのです。必ず就職して、村にフィードバックするとおっしゃっていました。

木村:そうですよね。実際そのような学生も本当に多いため、うまく共生していきたいと思っています。

morich:外国人マーケットをさらに活性化させていくのですね。

木村:活性化させることで、日本全体の経済の最大化をしていきたいと思っています。

morich:労働力に期待ですね。

福谷:本当にすばらしいです。

morich:私は今日絶対に株価が上がると思います。

福谷:上がると思います。

morich:私は外国人のマーケットについて、そのような背景とビジョンがあることまで読み取れていませんでした。

木村:知っていただける機会になればうれしいです。

福谷:morichの番組に出ると株価が上がると言われています。

morich:「最近は株価が低迷しているので、上げるために出たいです」という経営者もいらっしゃいます。少なくともファンは増えますよね。

福谷:幼少期のことからお話しする機会はなかなかありませんね。

木村:赤裸々に話す機会はないですよね。

今後のビジョン

morich:個人としてのビジョンのようなものはありますか? 

木村:個人としてのビジョンは非常にシンプルで、私が手がけた仲間が育ち、世界に羽ばたいていってほしいです。社員はもちろん、関わった大学生でも高校生でも、私たちが関わったことで刺激を受けて全員が羽ばたいてくれれば、私は満足だと思います。

morich:会社を飛び出したとしても満足なのですね。

木村:はい。退職する際はほぼ全員が円満退社です。コミュニティはとても大事ですので、元社員と会うこともあります。

morich:「昔お世話になりました」ということですね。

木村:そうなのです。離れていっても活躍しているのを見ると、非常にうれしいです。コミュニティを100人、200人、300人とさらに増やし、全体が活性化すると良いと思っています。

morich:非常に良い社長ではないですか。

福谷:私はもう大ファンです。

morich:そうですよね。最初は「本当?」と思いましたが、すばらしいです。

木村:このような者でした。

morich:すばらしいですね。

福谷:もう一度言わせてください。大ファンです。

morich:ですよね。「社長の息子さんってどうなの?」と私も半分くらい思っていました。

福谷:「そうは言っても」のような、少し緩さがあるイメージがあります。

morich:「すぐ専務になっちゃって」と思ったのですが、思想というか哲学というか、すばらしいですね。

木村:とんでもないです。今できることを一生懸命にやっているというだけなのです。

morich:心理的安全がこの会社の象徴という印象がありますね。

木村:そうですか。

morich:社内も「なんでもこい」「なんでもやってみよう」という雰囲気なのではないですか?

木村:そうですね、基本的には任せていくスタンスです。「私はフィールドを最大化させていくので、それ以上はみ出したければやってみて」と思っています。最大化のフィールドをさらに大きく活用してくれているので、今もますます拡大していますね。

福谷:なるほど。冒頭で増田副社長が「うちの社長はすばらしい」とおっしゃったとおりですね。

morich:本当に力説されていましたね。普通なら冒頭で私にそのようなことを言わないですよね。

福谷:確かにそうですね。私の目線の先に増田副社長がいますが、1時間ずっと頷いています。

morich:温かい愛情を感じますね。

木村:後で飲みに行きます。

福谷:ここでお時間が来てしまいました。

木村:早いですね。

福谷:ぴったり1時間ですね。

morich:堪能しました。私は映画館の誘導をするアルバイトをしていたというのが吹き出しました。

福谷:いろいろな学びがありますね。そこでもブラッシュアップされていました。

morich:戦略を練っていましたね。

福谷:真摯ですよね。

morich:『千と千尋の神隠し』をしっかり覚えて。

福谷:そうです。

木村:覚えています。

福谷:途中でmorichさんの『E.T.』の話もありましたね。

木村:『E.T.』は相当前ですよね。

morich:少し前すぎました、すみません。

福谷:本日も「新morichの部屋」は、すばらしいゲストをお招きしました。

morich:学びがたくさんありました。

福谷:すばらしいお話をお聞かせいただきました。木村社長に、最後にもう一度「大ファンです」と言わせてください。

morich:そうですね。

木村:ありがとうございます。

morich:男が惚れる経営者ですね。

福谷:そうだと思います。本当にご来場いただきましてありがとうございました。

morich:ありがとうございました。

木村:どうもありがとうございました。