伝説の投資家ウォーレン・バフェットってどんな人?
益嶋裕氏(以下、益嶋):本日は「伝説の投資家ウォーレン・バフェットの投資術」と題しましてセミナーを行わせていただくわけなんですけれども、大きくこの4点についてご紹介してまいりたいと考えております。
まず1つ目が「ウォーレン・バフェットってどんな人?」。名前は聞いたことがあるというお客さまがほとんどではないかと思うんですけれども、実際どういった方なのかというのを簡単にご紹介します。
そして、なぜそのウォーレン・バフェットさんが伝説の投資家と呼ばれているのかというのが2つ目。
そして3番と4番が、本日の本題になろうかと思いますが、バフェットの投資手法、そして現在保有している銘柄について、そしてそのバフェットの投資術をみなさまの投資にどのように活かしていただければいいのかということをご紹介してまいります。
というわけで、さっそく1つ目。「ウォーレン・バフェットってどんな人?」ということでご紹介してまいります。
まず写真付きでご紹介しておりますけれども、ウォーレン・バフェットさん、1930年8月30日生まれということですので、もう御年84歳ということになりますでしょうか。もうかなりご高齢の方でいらっしゃるんですけれども、まだまだ現役で一線級でバリバリと働いていらっしゃると。
米国のネブラスカ州オマハ出身ということで、このネブラスカ州というのはあまり聞かないと思うんですけれども、だいたいアメリカの真ん中あたりにある州です。
それよりもこのオマハという地名がバフェットで有名といっても過言ではないと思うんですけれども。バフェットさん、今も昔もこのオマハに住んでいるので「オマハの賢人」、賢い人と書いて賢人と呼ばれています。
そして、そのウォーレン・バフェットが経営しているのが、投資会社バークシャー・ハサウェイというところなんですが、その会長兼CEOをこのウォーレン・バフェットはやっていて、どの企業に投資をするか、どの会社の株を買うかという最終意思決定を行っているというのが、バフェットさんのプロフィールでございます。
少年時代のバフェットが手がけたビジネス
今では伝説的な人物になっている、このウォーレン・バフェットなんですけれども、昔はどのような人だったのか、子供の頃はどんな人だったのかということで、やはり賢人と言われるだけあって、さまざまなエピソードが残っています。
まず1つ目。「少年時代から独創的なアルバイトやビジネスアイデアを実践」ということなんですけれども。
この独創的なアルバイトというのは、バフェットさんはまだ本当に小さい頃、5歳とかそのぐらいの頃にコカ・コーラを仕入れてきて、それを自分で売り歩くというアルバイトをしていたそうなんですけれども。
まずコカ・コーラ6缶、当時はビンだったかもしれませんけれども、6本25セントで仕入れてきて、それを1つ5セントで売る。つまり5×6で30と。
25セントで仕入れて30セントで売るということなので、全部売れれば5セント利益が出るというのを、自分でコカ・コーラを仕入れてアルバイトをしていたと。それでお金を稼いでいたということですとか。
このビジネスアイデアなんですけれども。ピンボールという、今なかなか見ないかと思いますけれども、ボールを弾いて穴に入れるゲームがあるかと思うんですが、そのゲームの台を仕入れてきて、それを床屋さんに置くと。
床屋さんというのは、髪を切るまでの間待ってるお客さまというのがいるわけですので、その待ってるお客さまがピンボールで遊ぶと。
そうすると、当然そのピンボールの利用料が入ってくるので、その利用料を床屋さんとバジェットで折半してたと。半分半分にしてたということで、それでかなり大きなお金を稼いで。
かつ、複数の床屋さんでそのビジネスを実践して、ビジネスとしてできあがってきたら、それを最後にビジネスごとほかの人に売りさばいたと。そして、かなりまとまったお金を得たと。そして、そのお金を投資に向けたというエピソードが残っているそうでございます。
わずか11歳で株式投資をスタート
ということで、そのアルバイトやビジネスを実践してたんですけれども、2点目、「初めての株式投資はわずか○歳の時」ということで書かせていただきましたけれども、何歳かといいますと11歳だそうでございます。
日本の小学校で言いますと、小学校5年生とか6年生とかそのぐらいかと思うんですが、その時に今ご紹介したようなアルバイトで稼いだお金を使って投資を始めたと。
子供の時のバフェットというのは、今みたいな投資手法、今日ご紹介するような投資手法ではなくて、3点目のところなんですけれども、テクニカル分析で投資をしていたと。
これはかなり意外に思われる方も多いのではないでしょうか。バフェットと言えば、バリュー投資ですとか、企業の業績・価値に注目をして、その価値が本来持っている価値が株価よりも低ければ買うというような投資法で有名な方なんですけれども。
子供の頃というのはテクニカル分析、チャートを作って、いろいろな線を引いて、その線から上にいったから買い、もしくは下にいったから買いとか、そういったことで投資を行っていたと。
その当時子供の時のバフェット、初めて買った株が、38ドルである株を買ったそうなんですけれども、それが自分の兄弟にもその株を勧めたと。兄弟も「そうなんだ。バフェットが言うなら……」ということで買いましたと。
すると、自信を持って買った株がみるみる値下がりをしてしまいまして、なんと27ドルぐらいまで下がってしまったと。38ドルから27ドルでございますので、だいたい30パーセントぐらい下がってしまったと。
そうするとバフェットは兄弟から責められるわけですね。「上がるって言ったじゃない」「買いって言ったじゃないか」「だから買ったのに下がってるじゃないか」と文句を言われてバフェットは非常につらい思いをしたと。
ただ、なんとかその後、27ドルまで下がったその株なんですけれども、値を戻しまして、40ドルまで値を戻しましたと。
そこでバフェットは売ってしまったんですね。38ドルで買って、40ドルで売ったわけですので、少しは利益出たわけなんですけれども、そんなに大きな利益を得られたわけではなかったと。
そのあとまだ続きがありまして。そんなに時間がかからないうちに、その株はなんと200ドルまで上がったというんですね。
バフェットが自信満々に38ドルで買って、27ドルまで下がって、40ドルまで戻して売ってしまった。そしたら、そのあと5倍ぐらいの200ドルぐらいまで株価が上がったと。
当時の経験をして、バフェットは忍耐の大切さを学んだと後世語っているということで、そのようなエピソードを持っているバフェットでございます。
“世界一の投資家”と呼ばれる所以
本日の2点目のお話でございますが、なぜウォーレン・バフェットは世界一の投資家とまで呼ばれているのか。こんなにも長い間尊敬され続けているのかというところを少しご紹介していきたいと思います。
まず1つ目。尊敬されている1つ目の点。これが一番大きな点というのは、もう異論の余地ないかと思いますけれども、もう投資のパフォーマンスが脅威的だからですね。
この表はバークシャー・ハサウェイの経営成績と米国のS&P 500、米国を代表する株価指数でございます。日本で言うと、TOPIXのようなものとお考えいただければと思いますけれども、その成績を比較した表となっております。これ1965年から2013年ですので、だいたい50年近くの間なんですけれども。
まず下側のこのS&P 500、米国株全体のパフォーマンスですね。これも実はすごくて、年平均で9.8パーセント。10パーセント近く毎年毎年パフォーマンスを平均すると上げてきたと。それを複利で累計すると9,841パーセントになると。
ということで、この成績自体がものすごいものなんですけれども、上が黄色く塗っているのがバークシャーの、バフェットの成績ですが、その9.8パーセントの2倍ぐらいですね。年平均19.7パーセント。
複利で積み重なりますと、ものすごく差が出てきますので、累計で69万3,518パーセントですね。私も読み上げていてなにがなんだかよくわからない数字というぐらいパフォーマンスを上げてきたと。
このポイントというのは、一度このパフォーマンスを上げたからではなくて、50年近くにわたってこの成績を上げ続けてきたというのがバフェットのすごいところであって、尊敬されている大きなポイントだと思います。
今、申し上げた成績を1年ごとの棒グラフで示しておりまして。少し小さくて恐縮なんですけれども。この上側の棒グラフの青い線がバークシャーの成績。赤い線がS&P 500、米国株全体の成績なんですけれども。
このあたりご覧いただきますと、青い線が赤い線よりも長く上に伸びているのが多いのがご覧いただけるんではないでしょうか。
このとおり、バフェットというのはS&P 500に対して非常に勝ってることが多くて。S&P 500に対して49年間で39勝10敗ということで、ほとんど勝ってると。さらに絶対リターン、年間の収益率がマイナスだったのは、約50年間でたった2回しかないと。
S&P 500は、赤い線が下に伸びているのがけっこう回数がありまして、このあたりとかですね、だいたい10回ぐらいはあるんですね。年間でマイナスになったのが。10回ぐらいはあると。まあそれは当然なんですけれども。
ただ、バフェットは2回しかマイナスになっていないということで、これはITバブル崩壊の時と金融危機の時ですね。この2回しかマイナスになっていないと。
でも、そのマイナスもかなり小さいということが、ここに、見にくいかもしれませんが、青い線で少し短く下に出ているのがおわかりいただけると思います。
約4兆3,000億円をビル・ゲイツの財団に寄付
ものすごく成績が長い間にわたっていいのがやはり一番大きな尊敬されている理由なんですけれども、それだけではないんですね。これは表題として「莫大な寄付による社会貢献」というタイトルをつけさせていただきました。
実はバフェット、2006年の6月、今から8年ほど前になりますけれども、その当時の資産の85パーセント、つまりほとんどでございます。そのほとんどを、円に換算すると4兆3,000億円ぐらいだったそうなんですけれども、それをまるっと慈善財団に寄付すると発表いたしました。
今まですごく成績をたくさん上げてきてリターンを稼いできた、それで築いてきた資産のほとんどをもう慈善財団に寄付すると発表しました。
その寄付の大部分というのは、マイクロソフトの創業者として有名なビル・ゲイツさんとその奥様が運営している「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」というところに寄付をしたということです。
実はこのマイクロソフトのビル・ゲイツさんとウォーレン・バフェットさんというのは非常に仲が良いことで知られておりまして。年齢としてはバフェットさんのほうがぜんぜん上なんですけれども、この2人はすごく仲が良いと。
実はこのバークシャー・ハサウェイの社外取締役をこのビル・ゲイツさんが務めているということも知られております。
自身を“幸運な1%”と捉えるバフェット氏の名言
この社会貢献について、バフェットさんこんなことを言っております。「幸運な1パーセントとして生まれた人間は、残りの99パーセントの人間のことを考える義務があります」ということで、自身のことを「幸運な1パーセント」ということで、非常に謙虚ですよね。
たぶんこの莫大な資産を築いた、そしてこのすごく長い期間にわたってリターンを稼ぎ続けてきたというのは、バフェットさんの才能とか努力とか、そういうものが大きいと思うんですけれども、それでもバフェットは自分を「幸運」であると。
運がいい1パーセントであるから、そういった人間は残りの方々のために、なにかをしなければいけないんだというふうなことを残していて、非常に人格という面でもみんなから尊敬をされている大きな要因として知られております。
ちなみにこのバフェットさん、東日本大震災のあと、だいたい半年ぐらい経ったあとに、実は日本に訪れてくれていることがありまして。それはバフェットがアメリカで投資している企業、これ未公開、非上場企業なんですけれども、その子会社が日本にあるということで、そのセレモニーに出席するようなかたちで日本を訪れてくれて。
その時に、東日本大震災の爪痕がすごく大きく残っている時だったんですけれども、「日本は大丈夫です」と。「日本の技術力というのは本当にすばらしいし、復興できますよ」というふうに実は激励してくれているということで、実は日本とも少し縁があるバフェットさんでございます。