~morichの部屋 Vol.5 ポケトーク株式会社代表取締役社長 兼 CEO 松田憲幸氏~
福谷学氏(以下、福谷):今宵も始まりました。「morichの部屋」です。
森本千賀子氏(以下、morich):楽しみにしていました。
福谷:ありがとうございます。2024年が始まりました。
morich:そうですね。本日は「morichの部屋」第5回です。実は、これまでの4回は、私が今まで接点がなかった方々にゲストに来ていただいて、ここで初めて会うケースがほとんどでした。
福谷:確かに、そうですよね。
morich:今回初めて、かなり長い年月のお付き合いがある方をお呼びしています。
福谷:20代からとお聞きしました。
morich:そうなのです。私の初々しい時代を知っていらっしゃる経営者さまは数少ないのですが、そのお一人です。
福谷:非常に楽しみにしています。
それもそうなのですが、morichさん、2024年はいかがしましょうか? 抱負などはおありですか?
morich:今年もさらなるチャレンジをしたいです。新しいことをたくさんしたいと思っています。福谷さんはいかがですか?
福谷:本日のゲストの方の記事を拝見して、やはり私も「チャレンジと勇気に尽きる」と思っています。
morich:実は去年、久しぶりに海外に行ったのですが、今年はその機会を増やしたいと思っています。本日のゲストの方のプロダクト、ソリューションがあれば、なにも怖いことはないという感じです。
福谷:では、海外にも行くということですね。
morich:今年は頻繁に行きたいです。
福谷:本当ですか?
morich:はい、本当です。
福谷:私も連れて行ってほしいです。
morich:どうぞ、ついてきてください。
福谷:ありがとうございます。私は去年からmorichさんとご一緒させていただくようになったのですが、実は先週もご一緒させていただきました。「私、morichさんの会社に入ったのかな」という感じです。
morich:福ちゃんとしょっちゅう会っていますよね。
福谷:そうですね。
morich:「福ちゃん」と呼んでいます。
福谷:ありがとうございます。2024年が始まり、「morichの部屋」も第5回となっています。今後もお付き合いいただきたいと思っています。
松田社長の紹介
福谷:さっそくですが、本日のゲストをご紹介いただければと思います。
morich:私が本当に心から尊敬する、大ファンの松田憲幸社長です。
福谷:よろしくお願いします。
松田憲幸氏(以下、松田):よろしくお願いします。
morich:お願いします。
松田:ありがとうございます。
morich:プライム上場のソースネクスト株式会社の創業者であり、現在は代表取締役会長です。その上、本当にチャレンジ中のポケトーク株式会社の代表取締役CEOも務められています。そのあたりを本日は紐解いていきたいと思います。
福谷:いろいろと深掘りさせていただきたいと思っています。
morich:けっこう私は知り尽くしているつもりなのですが、知らない部分も引き出せればと思っています。
福谷:なるほどです。ありがとうございます。本日から新しいタクシー広告も流れ始めているようです。そのようなところも含めてお話しできればと思っています。
morich:松田社長、よろしくお願いします。
松田:よろしくお願いします。
morich:みなさんにお願いしているのですが、簡単な自己紹介をお願いします。長いと思うのですが、ポイントを1分から2分でお願いします。
松田:僕は関西出身です。
morich:兵庫県出身ですね。
松田:兵庫県から大阪に行って、今はシリコンバレーに住んでいます。
morich:本日は日本にお越しくださいました。
松田:もともとは日本アイ・ビー・エムに勤めており、1993年に独立してちょうど30年を超えました。
morich:そうですね。
松田:ソースネクスト株式会社の前身である株式会社ソースを1996年に創業し、2022年にポケトーク株式会社を設立しました。ソースネクストの上場は2006年で、2012年からシリコンバレーに移住し、その5年後にポケトークができました。
「ポケトーク」はプロダクトとして非常におもしろかったため、「ポケトーク」自体を切り出して会社にし、優秀な人材やお金をさらに集めることでグローバル展開を目指しました。現在はそのポケトークをいかに成長させられるかということでがんばっています。本日はよろしくお願いします。
morich:ありがとうございます。お願いします。
私が松田さんと初めてお会いしたのは、ソースネクスト創業の2年後くらいです。私はリクルートに入社して3年後くらいで、25歳か26歳でした。社員がまだ20人から30人くらいの頃でした。
松田:そうですね。
morich:「若かりし頃」であり、私も本当に初々しい時代でした。
福谷:なるほど。
morich:でも、初めてお会いした時は衝撃を受けました。
福谷:そのようにおっしゃっていましたね。
morich:そうなのです。いろいろな戦略がかなり明解で、絶対に伸びる会社だと思ったのです。ですので、私は当時、茅場町にある本社からソースネクストに毎週、通っていました。私の感性は大正解だったと思っています。
松田:ありがとうございます。
松田社長の幼少期
morich:では、いろいろおうかがいしていきたいと思います。私が知らないのは幼少期です。
松田:幼少期ですか?
morich:幼少期です。どのような青年といいますか、原体験はどのようなものですか?
松田:どうなのですかね。それほど大したことはないですよ。
morich:野球少年だったのですよね。
松田:そうですね。野球は今も毎年、始球式で投げています。
morich:そうですよね。始球式で投げていらっしゃって、それもけっこう速いのです。
福谷:私も見ました。去年の甲子園の始球式を拝見しました。
morich:実は球速は100キロメートルを超えているのですよね。
松田:110キロメートルです。
morich:そうなのですよ。
福谷:なかなか速いです。
morich:「このご年齢で」と言うと失礼ですが、速いですよね。阪神ファンですよね?
松田:阪神ファンです。実は、一昨年はオリックスの始球式で投げて、去年は阪神の始球式で投げました。
morich:そうですね。
松田:そして、両方とも日本一になっているのです。
福谷:すごいですね。
morich:確かにそうですね。神がかっています。
松田:日本一はそれぞれ26年ぶりと、38年ぶりということです。今年はヤクルトで投げます。
福谷:今年も始球式があるのですね。
morich:では、今年はヤクルトに大注目ですね。
松田:幼少期は、野球がやはり大好きでした。あとはゲームです。プレイするだけでなく、さまざまなものを自分で作ることもありました。
それから、僕の家は父親が国税局や税務署で働いており、堅い職業だったのですが、株に投資している家庭でした。
morich:これは初めて聞きました。
松田:それで、家に『会社四季報』があったのです。
morich:家にあったのですか?
松田:家にありました。
morich:家にあるのはなかなか珍しいですね。
松田:それをいつも見ていたことを思い出します。
morich:それで数字に強くなったのでしょうか?
松田:自分の会社が『会社四季報』に載る会社になるとは思いませんでしたが、ひょっとしたら潜在意識にあったのかもしれないですね。
morich:そうなのですね。大学は、大阪府立大学の工学部数理工学科ですね。
松田:はい、そうです。数字は今でも大好きですよ。
morich:理系の方は大学院に行くことが多いですが、大学院に行かずビジネスをしたのですよね。
松田:そのとおりです。早く社会人になって経験を積んだほうがよいと直感的に思い、就職しました。
語学との出会い
morich:大学時代はどのような学生だったのですか?
松田:大学時代は英会話学校に通っていました。
morich:そうなのですか? そう言えば、確かに本にも書いてありましたね。
松田:数学を続けても意味がないと思ったのです。
morich:「数十万円という投資をして」とおっしゃっていました。
松田:実は、あれはだまされたのです。
morich:そうだったのですか。
松田:東京でも流行っていたかもしれませんが、大阪では当時そのようなセールスが流行っていたのです。「あなたは当たりました」という電話がかかってきて行ってみたら、ただの英会話教材の販売でした。
morich:それにまんまと引っかかったのですね。
松田:引っかかり、50万円のローンを組みました。
morich:本当ですか?
松田:その教材は大したことはなかったのですが、その1週間後くらいにまた同じキャッチセールスに引っかかりました。
morich:2回も引っかかったのですか?
松田:そうです。次は100万円だったのです。
morich:本当ですか? 大学生の頃の100万円は大変です。
松田:しかし、100万円のローンのほうが内容が良かったのです。「リアルの英会話学校の先生も来て、フリートークできます」「レーザーディスクとパソコンをつなげられて画期的です。でも100万円します」ということでした。
学生でしたのでお金があるわけではなく、アルバイトして払おうと思ったのですが、100万円のローンを組む時に「さっき50万円のローンを組んだばかりだから、これを解約してくれれば入る」と言って入ったのです。
morich:解約できたのですね。
松田:その後、英会話学校としてそこに週3回くらい、最低2時間は通っていました。それが大学2年生の後半です。
morich:それでも英語はぼちぼちだったのですか?
松田:最初はひどかったです。英語はぜんぜんできませんでした。20歳くらいまでは外国人を見たら逃げていました。
morich:本当ですか?
松田:それが急に、外国人を見たら接近する人になったのです。
morich:今では「言葉の壁をなくす」とおっしゃっていますね。
松田:その英会話学校と、大学3年生の時のロサンゼルスでのホームステイを経て、当時できたばかりのTOEICで900点を取るという目標を掲げました。
morich:すごく高い目標ですね。
松田:最初に受けた時は470点でした。
morich:それでも、ぼちぼちできていますよね。それが原体験でしょうか?
松田:はい、そうです。英語を勉強する、英会話学校に通う大学生活でした。
その後、日本アイ・ビー・エムに入社し、はったりでも一応、TOEICで900点が取れたこともあって、ニューヨーク出張に行かせてもらったところから人生が変わっていきました。
morich:そこから変わっていったのですね。そもそも、なぜ日本アイ・ビー・エムに入られたのですか?
松田:それはやはりコンピュータが好きだったのと、大学の教授が「これからは英語とコンピュータだ」と言っているのを聞いて「確かにそうだ」と納得したのです。
コンピュータも好きだったため、どんどんパソコンを触ってさまざまなものを作っていましたが、英語はあまりできませんでした。しかし、留学することまでは考えていませんでしたね。
morich:そうは言っても、当時はまだインターネットがないですよね。
松田:インターネットはありませんし、大阪ではFEN(現在はAFN)も放送されていませんでした。唯一英語が聴けたのはNHKラジオの7時から7時27分のニュース番組です。それだけがバイリンガル放送で、録音して毎日聴いていました。
morich:もしかして、実は真面目な人ですか?
松田:真面目ですよ。
morich:それから日本アイ・ビー・エムに入り、サラリーマン生活をしていたわけですね。
松田:そうですね。とにかくコンピュータに関してわからないことはなくそうと考えていました。
morich:当時はいわゆるSE、エンジニアですよね。
松田:SEです。完全にSEです。
morich:今は営業の人なのではないかと思いますが、当時はSEだったのですよね。
松田:むしろ、営業職を何も経験しないで会社を作ってしまったため大変でした。
morich:いわば、「これぞ営業」という職種の経験なく起業したのですか?
松田:見積書も請求書も書いたことがないような人が経営者になってよいのかという感じでした。
morich:「いつか起業しよう」という思いはあったのですか?
松田:起業と言うより、そもそも「社長になりたい」と思ったこと自体、一度もありませんでした。今もそうかもしれませんが、社長に対するイメージがすごく悪かったのです。
福谷:いやいや、そんなことはないと思います。
松田:ですので、社長になることはまったく想定しておらず、なる気もなかったのですが、外資系の会社から転職のオファーが来た時に、自分では社員の給料さえ決められないことがわかったのが大きかったです。
morich:おっしゃっていましたね。
松田:社員の給料を決めるにはどのようにすればよいのだろうと思って起業したのが最初です。
起業後
morich:日本アイ・ビー・エムではできないこともあった中で、それを実現できるような会社を作りたいともおっしゃっていましたね。
松田:このような言い方をすると語弊がありそうですが、例えば日本アイ・ビー・エムの人であれば、その「日本アイ・ビー・エム」という社名で仕事をしている人が多いと思ったのです。
僕は、お客さまから「松田」と指名がかかる、相手が外国人なら「NORI」と呼ばれて、「『彼に来てほしい』と言われるような人になりたい」という意識がありました。よく考えれば、それが独立ということなのかもしれません。
morich:どのようなビジネスをするかは最初から決めていたのですか?
松田:ぜんぜん決めていませんでした。壮大な夢はなく、とりあえず会社を作って、直接お客さまから仕事をもらおうと思っていました。最初に作った会社は有限会社トリプル・エーです。
morich:私、それは知りませんでした。
松田:実はそうなのです。
morich:株式会社ソースではないのですか?
松田:違います。
morich:その前があるのですか?
松田:最初に作ったのは有限会社トリプル・エーというコンサルティングの会社です。当時は有限会社設立に300万円が必要で、退職金と株を売ったお金で300万円を収めて起業しました。
最初は、お客さまから直接仕事をもらうだけでした。コンサルティングのような、単なる請負のようなビジネスだったため、続けているうちに、これはスケールしないとわかったのです。
morich:ある意味そうですね。労働集約型ですね。
松田:おっしゃるとおりです。ですので、「どうすれば、このようにお酒を飲んでいる間や旅行に行っている間にも儲かるだろう」と思った時に、「製品を作ればよい」と思いついたのです。それで、一瞬でシアトルに飛んで行きました。
morich:その瞬間にですか?
松田:当時、「Microsoft Windows」で盛り上がっていましたし、シアトルには友人や妻の妹もいたこともあって、感覚的に「行こう」となんとなく思い、マイクロソフトのオフィスに行きました。そうは言っても、ビル・ゲイツに会ったわけではなく、行って写真を撮っただけですが。
morich:「なにか掴めるのではないか」ということだったのでしょうか?
松田:「いつかこんな会社になろう」という思いだけです。
morich:それも知らなかったです。
松田:なにもなかったですけどね。
morich:しかし、そこで製品・プロダクトへの思いが強く芽生えたという感じですね。
松田:そのとおりです。それで、シアトルにあった量販店で約2時間、おもしろいものはないかとひたすら見ている時に、1つの製品が目に入ったのです。それは算数を子どもに教えるためのソフトで、「これを日本語化したら売れるのではないか」と思いました。
福谷:なるほど。
松田:今は英語を日本語化するのは簡単ですが、当時は大変難しかったのです。
morich:ローカライズですね。
松田:漢字は2つのキャラクターがなければ表せないため、英語から漢字かな表記に変換するのは難しいのですが、この内容であればできそうだと思いました。ただし、営業は一回もしたことがなく、「秋葉原に持っていけばよいのだろう」となんとなく思っていました。
morich:営業の経験がない分、逆に「どうにでもなる」と思ったのかもしれないですね。
松田:ですので、店頭で自分が売るところから始めました。
morich:いきなりビックカメラのような量販店では売ることができないため、まずは秋葉原でということですね。
松田:当時、秋葉原にはT-ZONEやソフマップといったお店がいくつかあり、そこを訪ねてひたすら売り込みました。
morich:自分でですか?
松田:そうです。ソフマップの大宮店などに行って売るのです。
morich:大宮店ですか。そこからスタートですか?
松田:はい、ずっとそこです。去年もそのようにしていました。
morich:いまだに店頭に立っているため、社長を知らないお客さまからすると、いわゆる販売員の方だと思われるということでしたね。
「特打」の開発
morich:今でも私は覚えているのですが、ソースネクストとしての飛躍のターニングポイントは「特打」ですよね。
松田:そうです。その前に「驚速」というのがありました。
morich:「驚速」と「特打」があると思います。CMを知っていますか?
福谷:もちろん。
morich:「特打」に行き着いた理由はなんだったのでしょうか?
松田:「特打」は、シアトルに行った時に、60代か70代の女性が非常に高速でタイピングしていたのです。一方で、日本の社員のタイピングは速いとは言えませんでした。
morich:そうですよね。私も最初は遅かったです。
松田:僕は一応プログラミングをしていましたので速かったですが、シアトルでその姿を見た時に、「これでは勝てない」と思いました。海外はタイプライターの文化もありますので、「日本はぜんぜん太刀打ちできない。やばい」と思ったのです。1996年の日本はまだ手書きの時代でした。
morich:確かにそうでした。
松田:しかし、それはいつの日か絶対にメールに変わりますし、メールでゆっくり打っていたらコミュニケーションができません。
そこで、なんとか日本のタイピング速度を上げなくてはいけない、タイピング速度を上げればみんなの効率が圧倒的にアップするというのをコンセプトに作りました。少し大げさに言いますと、「日本を救うためにこれは出さなきゃいけない」くらいの勢いでした。
morich:思考回路というか、思想がすべてつながっているように思います。どこにペインがあるかというところからのスタートですね。
松田:これからは自分でキーボードを打たないといけない時代に変わるということで、本当にみんな困ったのではないでしょうか?
したがってターゲットは「おじさん」でした。今から考えるとぜんぜん「おじさん」ではありませんが、当時の「おじさん」は30代、40代です。自分自身が当時31歳くらいで、ターゲットは30代から50代の人たちでした。
morich:自分と同年代からちょっと年上の方の、ビジネスの最前線の人たちですね。
松田:タイピングを速くするにはどのようにしたらよいかを考えた時、打っているうちに速くなるシューティングがよいのではないかと思いました。
morich:楽しみながらということですね。
松田:そのとおりです。
morich:「特打」は使ったことがありますか?
福谷:使ったことがあります。
松田:そうなのですね。
morich:本当に楽しみながらできるのです。私も当時はタイピングが遅かったため、会社でさせられました。
松田:家庭教師をしたことがあるのですが、教育についてわかったことは、勉強できる・できないには能力ももちろん関係するものの、勉強できないケースはだいたい勉強していないのです。
morich:そもそも勉強していないということですね。
松田:生徒の後ろに立って、勉強しなかったら怒るというスパルタのようなことをしていると、多少は勉強できるようになるじゃないですか。タイピングも一緒で、タイピングできなかった時に後ろに人がいて怒っていれば、絶対にできるようになるのです。
morich:確かに。
松田:しかし大人になって、タイピングのために先生を雇うというのはあり得ませんよね。
morich:しかも、怒られるためにとなるとね。
松田:ですので、自分からタイピングするためにはどうすればよいかという考え方をしました。楽しい環境を作れば自然に始められます。プラクティスが多くなれば絶対にできるようになります。この順番が大事です。
まずは楽しくさせることが重要で、そうすれば自然にみんな打てるようになります。このようにして、600万本売れました。
売れるロジック
morich:「特打」をはじめ、本当にさまざまなソフトウェアが売れたのですが、みなさんはこの本を知っていますか? 福ちゃんは読みましたか?
福谷:読みました。
morich:みなさんもぜひ読んでほしいのですが、松田さんによると、「売れる力」にはロジックがあるのですよね。
松田:それほどすごいロジックではありませんが、僕からすると、売れる・売れないには製品の良し悪しは関係するものの、やはりいかにプロモーションするか、知ってもらうかが大事です。
morich:そうですよね。
松田:加えて、値段も重要です。値段の面で売れないことが本当に多いです。
morich:今日はそこをみなさんにお伝えしたいです。
私はこの、なぜ600万本売れたかが書かれている本(『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』)を読んだのですが、まずお話ししたいのは、「ポケトーク」を含めて、今おっしゃったプロモーションの戦略がずば抜けているという点です。
松田:もちろん、ソースネクストは自分で作った製品もありますが、やはり最初は持ってくることや、日本中や世界中を回って面白そうなものを見つけてくることもありました。
製品としての良し悪しはもちろん重要ですが、失敗した時に「すごく良い製品なのに、なぜか売れなかったね。やっぱりだめだよね」と言って諦める会社がすごく多いです。
ただ、僕の感覚では、その原因の9割は価格のミスマッチです。ソースネクストがなにをしたかというと、ただ値段を下げるだけです。
morich:1本1,980円でしたね。
松田:例えば売値を3分の1にすれば、売上本数が10倍や20倍になるものがたくさんあるのです。ましてや10分の1にすると1,000倍くらい売れるものもあります。
morich:当時は1つのソフトウェアがとても高かったですよね。その戦略を採るのも、ある意味で相当勇気のいる選択だったのではないでしょうか?
松田:しかし、ソフトウェアはほとんどが開発費です。例えば「開発に1億円かけたため、1万本を売ろう」という計画になったとします。1億円割る1万本で原価は1万円、流通マージンを入れて売価は3倍にしましょうという流れになります。この価格で結局売れませんでしたというのは当たり前です。
しかしこの3万円を3,000円に下げれば、ひょっとすると100倍売れるかもしれません。
morich:確かにそうです。
松田:そんなものばかりでした。
morich:開発コストを下げるということでしょうか?
松田:開発コストは下げなくてよいのです。開発は絶対に費用がかかってしまう部分ですので。
例えば開発費が1億円だとして、1万本売れたら1本あたりのコストは1万円ですが、100万本売れれば1本あたり100円になります。これがソフトウェアビジネスのマジックです。
福谷:なるほど。
松田:したがって、たくさん売る努力をするためには値段を下げることもありますし、量販店に来たらすぐに置いてある、目立つように露出を取ることももちろんあります。
ソースネクストブランドであればメールマーケティングもできますし、ソースネクストブランドというだけで目に付くというのもありましたので、プロモーションはそれらの組み合わせです。しかし、プライスの占める割合は大きいです。
morich:「ポケトーク」などは、ある意味、資本力があってからのスタートだと思いますが、一番はじめの頃はいかがでしたか?
松田:一番はじめの時は、ひたすら店頭に立って売るしかないですよね。あとは目立つパッケージにすることです。店頭にいたからこそ、買う・買わないが、どこで決まるかわかったのです。
みなさまの中にはプロモーションと言いますか、売れないのはテレビCMが効いていないためなどと思う方もいるかもしれませんが、そのようなことはありません。結局、お店に来た人が見て買うかどうかだけです。
福谷:確かにそこが大事ですね。
morich:それはやはりパッケージが大事なのでしょうか?
松田:パッケージです。当時は「Amazon」もなかった時代ですので、量販店に来た時に箱やネーミングが目立つか、レジ前の近くに置いてあるかなどが最大要因でした。
morich:確かに目立っていました。パッケージとネーミングは本当に特異でしたよね。
松田:そこだけだと思います。
morich:その後のクラウドサービスも、わざわざパッケージを作っていらっしゃったのですよね?
松田:そうですね。「Dropbox」に入れ込んでいました。
morich:別に中になにか入っているわけではなくても、パッケージで売るということですね。
松田:量販店に商品が積まれているというのは、ある意味で信頼の証、太鼓判みたいなものなのです。だって、あのすごいお店が、お客さまの目の前にこんなに置いているのなら、まさかそんな変な商品ではないはずだと思いますよね。
morich:おかしなものではないだろうと思いますね。特にレジ前ですと信用力があります。
松田:お客さまもきっと、「Amazon」で買う場合は「Amazon」にしか文句を言えないですよね。しかし、量販店で買う場合は量販店の人に文句を言えますし、メーカーにも言えます。販売員がいればその人でもOKです。この信頼関係はすごいですよね。
morich:量販店との信頼関係の作り方がおもしろいです。
福谷:とても気になります。
家電量販店との直接取引
morich:みなさまご存じかどうかわかりませんが、このようなソフトウェアはだいたい、卸を通します。流通プロセスで言いますと、卸があっての小売です。しかし、この「ポケトーク」もそうですが、実は直接量販店と取引されています。おそらく唯一ですよね?
松田:そうですね。
morich:量販店には何千万本というソフトが売られていますが、直接取引はたぶん唯一だそうです。
松田:そうですね、なんとかがんばって関係を作りました。
morich:どうやってそこに行き着いたのか、みなさまにぜひお話しください。
松田:お互いにメリットがないといけませんので、お店にとってそのほうがより儲かる、より在庫にもリスクがないなどとそのようなところを打ち出すことが重要だと思います。
結局はどこも利益がいかに多く残るかが大事ですが、流通を通すと、その中でメーカー同士の戦いがあり、マージンもだんだん減っていきます。
また、直接取引ですと我々自身でお店のメンテナンスができるため、POPを貼って工夫することもできました。win-winかどうかに尽きるのではないでしょうか?
morich:コロナ禍前でしたが、「ポケトーク」も量販店の店頭をジャックしていましたね。
松田:そのような関係をパソコンソフトで築き上げてきたため、「ソフトの代わりに『ポケトーク』を置いてください」という流れになったのだと思います。今でこそ、「ポケトーク」は売れた商品だと言えますが、量販店は売れるかどうかわからない製品をそんなにたくさんは買えませんので、当時、流通を通していれば違う結果になったと思います。
売るためにはやはり、店頭にたくさん積んである、置いてあるという迫力が必須でした。特に「ポケトーク」はどれだけさんまさんのCMを流したとしても、やはり自分で試さないといけない商品です。
morich:そうですね。
松田:「ああ言ってるけど本当なのかな?」と試すところが重要なのです。
morich:確かに、あの感動は1回使わないとなかなか味わえないものがあります。
松田:そのためにも量販店にたくさん置いていただき、お客さまに直接試してもらう機会が必要だったのです。「今時量販店なの?」と言われる方もいますが、やはりそこは大きいチャネルです。
先ほどお話しした信頼関係の構築だったり、お客さまが試せる機会であったり、なにかあった時にすぐ駆け込める環境だったり、これはメーカーだけでは築けません。
福谷:なるほど。
morich:特に、通常であればアプリの開発に走るところをハードウェアにしたということで、体験価値がとても大事な製品だったと思います。
松田:今はソフトウェアにだいぶ振ってきていますが、アプリですとワン・オブ・ゼムになってしまいますし、ハードにしたほうが素早く使えます。
また、当時は「その翻訳ソフトをダウンロードして使ってよ」って言っても、60歳以上の方はそのとおりにできませんでした。実際、僕も「App Storeからダウンロードして」も意味がわからなかったんです。しかしこれは、そのような60歳以上の方々を対象として打ち出した商品です。
morich:そろそろ「ポケトーク」の話に移りたいと思うのですが、その前に、上場されてからの紆余曲折、とても苦しい時代もあったというふうなことも著書に書いていました。そこをどうやって乗り切ったのか、聞かせてください。
リーマン・ショックで原点回帰
松田:リーマン・ショックが一番きつかったかもしれないですね。いきなりすべての発注が止まってしまいました。今でもそうですが、eコマースで売るものもありつつ、量販店チャネルがまだ重要な時代でしたので、日本中をひたすら回りましたね。
morich:社長自らですか?
松田:はい、北海道から沖縄まで1,034店舗を回りました。
morich:全部ですか?
松田:ぐるっと回って、一つひとつ在庫の確認をしました。これは当たり前なのですが、売れている製品ほど在庫がないのですよね。
morich:確かにそうなりますよね。
松田:売れない製品が残ります。これはもう大原則だと思うのですが、どんな商売でも、もし物理的なものを売っているなら、いかに売れているものの補充を行うかがポイントだと思います。
morich:それを自らされたのですか?
松田:もちろんです。
morich:本当ですか?
松田:これはもう仕方ないですよね。お店の人も、売れているってわかっていても、気がついたらなくなっていたら、誰かが補充するしかありません。
morich:そうですよね。
松田:そのように在庫を仕入れるのですが、自動発注で在庫が仮に店に到着していても、倉庫に入って店頭に出ていないケースがあるのです。ですので、倉庫からまた出さなければいけません。
morich:それも、作業されていらっしゃったのですか?
松田:作業しました。
morich:本当ですか?
松田:それをひたすら続けていると、そのうちお店の人も、「これはきちんとしなきゃいけないな。社長が来てるし」という雰囲気になります。
morich:「まさか社長が来るなんて」と思いますよね。
松田:なんと言いますか、雰囲気としては、地域を回って全員と握手する政治家のような感じです。
morich:それでも、現地を見て気づくことも大きいですよね。
松田:とても大きかったです。1つは、在庫をいかに補充し、売れる製品をいかにずっと売れ続けさせ、展開を大きくするかということ、もう1つは現場にいれば競合他社の動向がすべてわかるということです。
morich:全部見えますよね。
松田:「このようなキャンペーンを実施すればよいな」とか、「このような製品があればもっと売れるな」ということがわかります。たぶん、頭が現場に戻ったのでしょうね。もともとそれで始めた会社でしたので。
morich:そうですよね。原点に戻るみたいな感じですね。
松田:原点に戻ることが一番大きかったと思います。メーカーだと結局、今ある製品をいかに売るかが大事です。店頭での売れ行きの良いものがなくて在庫が余っている、売れない物が余っているという状況ではどうしようもありません。どれだけ流通に売っても、どれだけ店舗に売っても、結局、最終的な消費者に行かない限りは売れないため、ここが一番の肝です。
また、すごい新製品の開発は絶対にしなければいけません。これは、ずっと周りを見ていると見えるのです。量販店というのはすごいです。売れるものがすべてわかります。
morich:しかし、ソフトウェアのいろいろな会社、もっと言うと大きい会社ほど、社長が店頭に立つということはないですよね。
松田:ないでしょうね。
福谷:ないですよね。
morich:ないです。
松田:あまり好きじゃないと思います。
morich:それも上場企業で行っているところはなかなかないですよね。
松田:そうですね。でも僕は、上場してからのほうがむしろ立っていたかもしれません。
morich:今でも立っていらっしゃいますよね?
松田:去年は立っていましたね。今年は始まったばかりですので、まだです。
morich:「今日はどこの店舗ですか?」と聞いて、日本に帰ってきたら必ず立つということですね。
松田:はい、そのとおりです。
シリコンバレーへ
morich:それから、周りの反対を押し切りながらも、シリコンバレーに行かれました。
松田:そうですね。これは赤字から抜け出した後ですね。本当にITはほぼ全部アメリカですので、今後IT企業として生きていくためには行かないといけないと思いました。
morich:確かに、IT企業はスタートがあちらですね。
松田:もっと言えばシリコンバレーです。もう、95パーセントくらいはそこに集積しています。Amazonとマイクロソフトだけはシアトルにありますが、これらも結局シリコンバレーに大きな支社がありますので、それも含めるとほとんどすべてがシリコンバレーです。
したがって、今後グローバルに出ていくために、シリコンバレーに住むしかないと考えました。
morich:この住むっていう決断はなかなか大変です。
福谷:なかなかの決断ですよね。
morich:それも「家族総出」と言いますか、単身で決まった期間だけ行くのではなく、全員で引っ越してというかたちですよね。
松田:そうですね、単身ではないです。単身赴任ではだめだとわかっていました。
morich:そうだったのですね。
松田:出張では何回も行っていたのです。しかし出張で行ってなにかのディールをしようとしても、滞在期間が短い上に、アメリカの携帯電話番号を持っていないこと自体が怪しいのです。
向こうはテキストで全部やりとりしますし、そのようなコミュニティに入るためには、やはり家族がいないといけません。ファミリーパーティと言っているのに、1人だと怪しいのです。
これについては、僕がどうしても結びたかったディールがあって、なかなか契約が結べなかったのですが、ファミリーパーティに家族を呼んだ瞬間、翌々日にはサインができたのですね。彼らは家族を通して、どのような人か見極めているのです。
日本であれば帝国データバンクなどからの情報を見て、「何点だからだめ」「何点だからよい」などと言っているのですが、アメリカはそうではないのです。全体的に家族を見る、それが信頼の証だと思います。
morich:その人を構成しているものなのでしょうね。
松田:本当は日本でも同じなのかもしれません。
morich:日本だと、そのようなパーティに呼ぶというのは、なかなかないですよね。
松田:そのような場所もないです。やはりそのような点はとても大きかったため、ファミリーパーティをどんどん開くようになったのですが、そのようなことで、さらに家族同士での付き合いが広がっていくと、その結果として契約につながるのです。
morich:なるほど。要するにコミュニティですよね。
松田:はい、そのとおりです。
morich:そのようなコミュニティは、行っていきなり入れるものなのですか?
松田:自分で作っていくしかありません。ひたすらランチなどに行って、だんだん仲良くなっていきます。とにかく毎日なにかしていました。
日本だと飲み会ですが、アメリカは飲み会が基本的にありません。しかし、ランチならみんなオッケーしてくれるのです。
シリコンバレーはエンジニアの人が多いため、みなさまいわゆる出不精といいますか、なかなか外に出ない人が多いです。そこで、「あなたのオフィスで、何時から何時に会いたいです。可能であればランチしましょう」と声を掛けていました。
自分を訪ねて来てくれるのはうれしいことですし、今は新型コロナウイルスの影響で違うかもしれませんが、アメリカの会社は基本的にランチをタダで提供していることもあって、こうすればほぼ会えました。
morich:会社の中でですよね。
松田:タダ飯を食べたいというわけではないのですが、三十数回もランチを食べた会社もあります。
morich:それも、外部から来て、何回も食べたのですね。
松田:コツはとにかくアポを入れることです。
morich:「行きます」というフットワークの良さに関しては、今も変わらずにありますよね。
松田:行くことがおもしろいのです。アポイントを取る時に、「会いたいのですが」とだけ送る人がいるじゃないですか? これでは絶対にアポは取れません。僕がいつも行うのは、「会えたらうれしい」というメッセージを送る時に「御社もしくはあなたの都合のよい場所で会いたい」と伝え、日付や時間も明示すればほぼ逃げられません。
morich:実は私とも、もともとそのようにして二十数年前に出会ったのですが、お互いシリコンバレーに向かっていたこともあり、ちょっとブランクが空いたのです。久しぶりに「Messenger」で、なんと「morichのオフィスに行きます」と連絡をいただきました。
福谷:なるほど。
morich:オフィスで再会しましたよね。
松田:その前に「Facebook」の友達申請を半年くらい無視されていました。
morich:ぜんぜん気づかなかったのです。お正月明けに「松田さんから来てる」と思ったのです。本当に何年ぶりかの再会でしたよね。
福谷:ここ最近のお話ですか?
松田:2020年です。
morich:2021年ですね。
松田:『カンブリア宮殿』に出た後でした。
morich:そう、出た後です。それを見ていたのです。「ああ、松田さんだ」と思いました。
松田:秘書の方が「この間出ていたおじさんだ」っておっしゃっていました。
morich:オフィスに来ていただいたのです。「私、行きますよ」という、このメッセージですね。
福谷:そのようなアプローチを受けたのですね。
「サラリーマンは社長を目指すもの」
morich:シリコンバレーに行った時はまだ、ソースネクストの社長の時でしたよね。
松田:そのとおりです。シリコンバレーに行ったのは2012年で、社長から会長になったのが2021年です。
morich:その1つの背景として、やはり自分がいなくなっても、意思決定ができる体制を作るという狙いもあったということですか?
松田:社長がずっと近くにいると、普通はみんなあまり考えなくなってしまいます。時差があれば、少なくとも自分でいったんは考えますよね。なにかとんでもないことが起きた時に「いったん考える」ということが、けっこう重要なんだと思いました。
morich:「時差があるから、社長が気づくまでにとりあえず自分たちで考えなきゃ」ということですね。
松田:そのとおりです。ですので、「普通、子会社の社長は英語ができる社員を行かせますよ」と言われます。しかし、アメリカはファウンダーをとてもリスペクトします。アメリカでのビジネスを本当に成功させるつもりなら、僕が行くしかないと思いました。
加えて日本には、すでに信頼している仲間が大量におり、もう20年ぐらい事業を行っているわけです。そちらを彼らに任せるほうが自然だろうという発想でした。
morich:その発想は本当におもしろいです。まだ、年齢的には50代でいらっしゃるにもかかわらず、後継者として新卒で入社したプロパー社員にしっかりと渡し、そして、今の「ポケトーク」のチャレンジをされているということですね。
松田:そのとおりです。あれは彼が入社して20年くらい経つ時でしたので、もう3年前になります。彼ほどの人間が20年経って社長になれないのは、ぜんぜんおもしろくないという考えがありました。創業系の会社は、やはりスピードが早くておもしろいですが、最大の問題は社員がなかなか社長になれないというところです。
morich:社員がいくらがんばっても、亡くならないとダメみたいなことですよね。
松田:「いつなれるのかわからない」というところがあります。ですので、早く社長を交代すると、今後採用にプラスになると思ったのです。
今から35年前、日本アイ・ビー・エムに入社した頃に周りと「将来何になるの?」と話していて、「社長になる」と言っている人が何人もいました。僕は「この人たち狂っているな」と思っていました。
morich:そのような方が日本アイ・ビー・エムの中にいたのですね。
松田:「サラリーマンってそんなもんだよ、松田」と言われました。
morich:社長を目指すものなのだということですね。
松田:「普通、社長目指すでしょ」と言われました。言われてみれば確かに、『半沢直樹』も頭取を目指す話です。
morich:そうですね。
松田:「そうなんだ」と思いました。でもこれはすごいことです。要するに「社長になれる可能性がない」とは言わなくても、ファウンダーが作った創業系の会社だと、「社長になれる」と思っている人は少ないじゃないですか?
morich:ないですね。
松田:ですので、早めに社長の椅子を渡すと、社員は「ああ、俺でも社長になれるんだ」と思ってくれます。
morich:確かにそうですね。
松田:僕は今でもハイヤリングをしますが、社員が社長になるのは嘘ではないため「社長になってくれ」と言えます。
morich:もう有言実行されていますものね。
松田:「あと10年後、20年後に社長になって」と言えます。これによって、その社員の質が大きく上がるだろうと考えています。
morich:社員にとっての目指す指標というか、ゴールが変わってくるわけですね。
松田:そこが僕には大きいところでした。そうすることで、「社長になりたい」という人が1人でも出てくれば、会社にとって大きなプラスになると思いました。
ポケトークへのチャレンジ
morich:本当に潔く社長の椅子を明け渡し、実際にその意思決定も現社長の小島さんに完全に委ねていらっしゃいます。そこで逆に、新しいチャレンジとして「ポケトーク」に挑戦するわけですね。
松田:社長交代から1年後でした。
morich:当時は大反対があったと聞いています。
松田:「ポケトーク」へのチャレンジは成り行きでそうなったのですが、そもそも1993年に創業した時や1996年にソースネクストを始めた時は、なにもないところからのスタートでした。
創業7年で5兆円規模になるような会社がたくさんあるシリコンバレーにいて、実際にその様子を見ていると、「今、こういうふうに作ったらどうなるだろうか?」と自分もチャレンジしたくなったというのが正直なところです。
一度、シリコンバレーの周りの企業のように投資家からお金を集めて、人材もイチから採用していくとどうなるのだろうかと考えて、チャレンジしたいと思うようになりました。
morich:とはいえ、ポケトークは社内ベンチャーでなんとなく始めるようなスケールのビジネスではありませんよね。
松田:「イチから完全に作ってやる」という思いもあったと思いますが、これに関してはちょうど新型コロナウイルス感染症の流行で厳しくなってきたというところがありました。一方で、「逆に狙い目だ。ここだからいける」という思いもありました。
morich:ちょうど『カンブリア宮殿』に出演され、日本で東京五輪が開催され、五輪を機会に「ポケトーク」が一気に世に出るタイミングでのコロナ禍でした。
松田:そうですね。
morich:本当ならたぶん、そこで大混乱が起きると思います。
松田:そうですよね。でも逆に、ポケトークの事業ががソースネクストの大部分を占めていたため、その時点ではスピンオフはできませんでした。
コロナ禍によりパーセンテージがある一定のところまで落ちたからこそ、分割すなわちスピンオフができたところがあります。つまり、新型コロナウイルスの流行がなければ、ポケトークという会社は生まれていなかったということです。
morich:そういうことですね。コロナ禍によって、売上比率的にスピンアウトしやすくなったのですね。
松田:合法的にできるパーセンテージまで落ちました。
morich:そこで、ポケトーク社ができたということですね。この「ポケトーク」がおもしろいプロダクトです。先ほども少し触れたように、本日はアプリではなくデバイスのほうを持ってきていただきました。福ちゃん、見たことありますか?
福谷:あります、あります。
morich:これがまたすごいのです。話してください。
福谷:ボタン押したまま、日本語でよいですね? 「今日は本当にお越しいただきましてありがとうございます」
ポケトーク:Thank you very much for coming today.
福谷:完璧ですね。
morich:これが最初のデバイスの時からできていました。
松田:7年前からですね。
morich:これは今や、国内では99.7パーセントのシェアですよね。広報の方もいらっしゃるので確認ですが、99パーセント以上で間違いないでしょうか? グローバルでも、シェアは3割くらいでしょうか?
松田:グローバルでもけっこう好調です。アメリカでもよく売れています。
morich:3割くらいですね。ここからのチャレンジも含めてお話を進めますが、このポケトークは、まず、明石家さんまさんの起用がなによりも衝撃的でした。
松田:そうですね。これは僕ではなくクリエイターからいただいたアイデアでしたが、当時はとにかく知ってもらうことに注力したかったため、さんまさんに出ていただきました。たくさん広めていただき、120万台近く売れています。
今はもうハードウェアというより、次から次に喋りかけてもスムーズに翻訳して、同時通訳してくれる機能の開発やアップデートをメインに進めています。スマホでもタブレットでも動き、もちろん日本でもアメリカでもどこでも使えるものに変わりつつあり、僕としては言葉の壁を本気でなくしたいと思っています。
語学を勉強しなくてもよい世界
morich:関連する話題としては今、シリコンバレーに英語しか話せない娘さんと息子さんがいらっしゃいますね。
松田:そうです。娘は7歳くらいまで日本にいましたので、日本語も多少は話せます。
morich:奥さまも日本人ですので、そのようなご家庭ですと、学校では英語を使っていても「日本語も学ばせておかなければ」という思いから、家では日本語を使う方も多いですが、松田家は家でも英語だそうです。
松田:こちらは賛否両論というよりほとんど否しか聞きません。おすすめもしていませんが、僕は日本語と英語の両方を完璧にするのは本当に大変だと思っています。ましてや、アメリカにずっと住んでいる中で日本語が完璧になる可能性はゼロです。
日本人は少しでも他と違うとおかしいといじめるではないですか? それが嫌だと思います。
morich:発音がおかしい時などですね。
松田:ですので、完全に日本人の顔であっても、日本語がまったくできなければ「この人、外国人なんだ」と思ってくれます。加えて、僕はみなさんが語学を甘く見ていると思っています。本当はかなり難しい学問だと思います。
morich:実感しています。英語学科でしたが、英語は話せません。
松田:科目の1つとして英語や数学が同列に並んでいますが、それぞれまったく違うOSを導入するようなものですよね。あれを両方とも完璧にするのは本当に大変です。ですので、どちらかを完璧にしてからでないと、もう片方を学んではいけないと思います。
morich:幼少期から英語を習わせるわけではなくて、ということですね。
松田:日本人なら日本語を完璧にしてから英語を習得するべきです。ただし、それは大変難しいことですので、「ポケトーク」で語学を勉強しなくてもよい世界を作りたいという思いがあります。
日本の英語教育
morich:最近、うちの息子も英語を勉強していません。「なんで勉強しないの?」と聞いたら「『ポケトーク』があるじゃん」と言われました。そのような言い訳にも「ポケトーク」が使われ始めています。
松田:僕がこのようにして話した時に、すぐにイヤホンで聞こえたり、ウィスパーリングで聞こえたりする世界はもうすぐできるようにしないといけませんし、できると思っています。
今の英語の学習の仕方は受験のための勉強で、楽しくもありません。その上、完璧に話せるようになるわけでもありません。アメリカに12年住んで、これは非常に不利だと一番痛感しました。アメリカ人はまったく語学を勉強しないのです。
morich:そうですね。多くの人にとって母語である、英語しか話せません。
松田:その点、日本人は不利です。アメリカ人は難しい日本語を勉強せずに済み、数学やファイナンス、ITなどをたくさん勉強できるわけですよね。
morich:自分の好きなことに時間を使えますね。
松田:一方で、日本人は英語を学ばなければ高校も大学も行けません。その割に、英語を使ってすることは何もありません。パスポート取得率も17パーセントほどです。
morich:そうですね。その上、学校教育でみんなを英語嫌いにさせています。
松田:アメリカで語学は趣味の領域です。アメリカの中学校は、パブリックスクールであれば選択科目が5科目あり、それは音楽、美術、技術、家庭科、外国語学習です。この5つから2つを選択します。語学を選択する人は40パーセントしかいません。
morich:美術と音楽を選択したら、もう外れてしまいますね。
松田:このラインアップ自体がもはや趣味の領域ですよね。
morich:確かに。
松田:当たり前ですが、日本の国立大学には音楽や美術の試験はありません。
morich:アメリカではその並びに第二外国語があるわけですね。
松田:ですので、本当は日本もこのレイヤーに持っていきたいです。英語はあくまで選択科目にできればよいと思います。アメリカの「SAT」には数学と国語しかありませんので、日本も同じようにすれば、理系と文系が対等になるのではないかと思います。
morich:確かに。
松田:理系の経営者が日本に少ない理由はここにもあると思っています。
morich:英語学習に時間を費してしまうためですね。
松田:国英数の3科目だと文系のほうが得意科目が多いはずです。勉強するなと言っているわけではないのです。しかし試験があれば、試験に出るような問題だけを解くことになるのが、習得に不利です。
もしそれがなければ、音楽を聞いたり、映画をひたすら見たりして、音楽や映画で使われている英語を「リアルなやりとりではなんと言っているのだろう」と自ら勉強するようになるはずです。音楽やカラオケなどは自分から勉強しますよね。もし音楽がテストにあって、東大や京大の試験科目にあったら、音楽が嫌になってしまうはずです。
morich:そうですね。
松田:ですので、英語が試験になってしまっていること自体がまずいです。英語ができないだけで数学はよくできる人が良い大学に行けないという仕組みはよくないと思います。
morich:確かに。必ず英語は試験科目にあります。
松田:私立でも英語は試験科目にありますよね。「読み書きそろばん」のうち、そろばんがいつの間にか消えたように、「ポケトーク」によって試験のための学習はしなくてよいという世界にして、語学は趣味として勉強しようという流れを作ったほうが、TOEICやTOEFLの成績は絶対に上がるはずです。「ポケトーク」によって、そのようなかたちに持っていけるのではないかと思っています。
morich:なるほど。楽しめますし、目的がありますものね。
松田:実際のところ、日本人は英語を嫌いになって勉強を辞めてしまっているわけです。そのような語学の勉強は時間がもったいないです。社会人になって、40歳とか50歳になって英語を勉強している人もいますが、現代人にそのような時間はないと思います。
morich:確かにそうです。しかしどんなに投資しても、本当になかなか上達しません。
松田:勉強しても意味がないため、我が社では50代からは英語の勉強を禁止しています。
morich:確かにそうですね。このような「魔法の杖」で解決すればよいですよね。
松田:勉強すべきことは他にもITなどたくさんありますので、わざわざ効率の悪いことをする必要はありません。
日本人の英語力がアジアでは下から2番目だったり、世界で百何十位だったりと劣っているのは、日本人がばかなのではなく、日本語と英語の構造があまりにも違っていてアンラッキーというだけのことです。したがって、たくさん勉強してもぜんぜん吸収できません。
ドイツ人でビジネスできる人が英語を話せるのは、ドイツ人が日本人より頭が良いということではなく、ドイツ語と英語の構造が近いというだけです。
morich:言語の構造が近いということですよね。
松田:だからこそ、その障壁を取る努力は日本人ががんばるべきところだと思っています。教育を変えるだけでも大変な価値があると思います。
言葉の壁をなくす
morich:本当にそうですね。未来の世界観をどうイメージされていますか?
松田:言葉の壁に関しては、日米首脳会談が1つのヒントでした。日本語を話せないバイデン氏と日本語を話す岸田首相の横にウィスパーリングする人がおり、2人はお互い、普通に意思疎通しているように見えました。
岸田首相が日本語を話すと、バイデン氏の耳元で英語をささやいているわけです。この「ウィスパーリングする人」を全世界の人が持てるような世界を作りたいです。
morich:単に通訳ではないという格好でしょうか?
松田:おおむね通訳と言ってよいです。要するにバイデン氏は、横にいる通訳の方から内容を聞く力を借りています。
つまり、多言語のコミュニケーションは、話した言葉を誰かが訳したからというよりも、聞こえた音声の内容を全員が理解できているから「会話になる」ということです。その手段をすべての人に持っていただくことがポケトークの1つのかたちだと思っています。
形状はイヤホンかもしれませんし、字幕かもしれません。眼鏡のような形状かもしれませんが、とにかく「ポケトーク」があれば何語でも聞こえるという世界が現実化すると思っています。
morich:これが本当に実現したら戦争はなくなるかもしれませんね。本当にそう思います。戦争というのは、コミュニケーションが本当に高い壁になっているせいで起こるような気がしています。
松田:言葉の壁は、実はお金さえあればなくなります。全員が通訳をつければよいわけです。
しかし、そうならないのは2つ理由があります。第一に、そのようなお金がありません。首相なら年間1億円払ってもよいのでしょうが、一般にそのような人はいません。第二に、仮にお金があっても、同時通訳できる人がなかなかいません。稀有な存在です。
morich:本当にわかりやすく説明しながら同時通訳してくれる人は、そういないですね。
松田:ですので、同時通訳してくれる人を無限に作れてコストは極限まで下げるのが我々の役割だと思っています。それを50年、100年先ではなく、5年先くらいに作るのが我々のミッションであり、第一関門だと思っています。
morich:爆発的なスピードでソリューションが生まれていますので、5年といわず、もっと近い未来でもよさそうです。
松田:3年でもよいですね。来年はさすがに非現実的ですが、もう語学を勉強しなくてよいのではないかというレベルに持っていかねばならないでしょうね。
morich:そうすると本当に、世の中の人は世界が近くなりますね。
松田:絶対に近くなります。言葉の壁が怖くて海外へ行けないのだと思います。
morich:多くの人はそうだと思います。
松田:アメリカ人は、どこに行ってもなんの苦労もしていないわけです。英語を堂々と話していればよいわけです。
morich:英語は絶対にどこでも通じますからね。
松田:どこに行っても絶対にその国の言葉なんか使おうとしません。
morich:日本人を見ても英語を話しますね。
松田:だからこそ僕は「このビジネスは勝てる」と思っています。ミッションやビジョンがすばらしくても、ビジネスとして勝てないと意味がないと思っています。語弊が生まれそうですが、アメリカ人が最大の敵です。
morich:だいたいのビジネスはアメリカが勝っていますね。
松田:ITはアメリカが総取りです。しかし、この翻訳という分野だけは、アメリカ人が苦労していない部分ですので、わからないはずです。
morich:その説明を聞いて納得しました。アメリカ人は、言葉にハンディがない分、このようなニーズがないですよね。アメリカの会社は、ここの領域には絶対に力を入れないとおっしゃっていました。
松田:正確には、力を入れないというより、重要性がわからないと思います。僕はいつもこれを視力に例えます。視力が悪い人でないと、眼鏡やコンタクトレンズ、レーシックの必要性はわかりません。
つまり、アメリカ人は国際的なコミュニケーションにおいて視力が高い状況にあるため、眼鏡やコンタクトレンズの必要性がわからないのです。視力が高いと眼鏡もコンタクトレンズも生まれません。
一方、日本人は視力が低い状況ですので、眼鏡やコンタクトレンズに飢えています。視力が低い人にとっての眼鏡やコンタクトレンズに当たるのが「ポケトーク」です。我々はこのツールを真剣に作ろうという執念があります。彼らにはそもそも執念もなにもありません。
ふだんであれば最大の敵であるアメリカ人を相手にしなくてよいため、勝てると断言はできませんが、勝てる確率が高いと考えていますので、がんばっていきます。
福谷:そろそろお時間です。
morich:本当ですか。実は組織論もうかがいたかったのです。なぜかと言いますと、「日本における『働きがいのある会社』ランキング」で、ベストカンパニーに7年連続で選出されるなど、社員のエンゲージメントが高いのです。
例えば、社員の誕生日を全員分覚えていらっしゃって、カードを書くなどといったことをされています。松田社長が数字に強いというのはあると思うのですが、福ちゃんは社員の誕生日、覚えていますか?
福谷:生放送ですのであんまり言えないですが、わからないです。
morich:ソースネクストやポケトークは社員のエンゲージメントが本当に高く、組織力が抜群なのですが、そのような組織の作り方も含めて、『売れる力』に載っています。
福谷:私もお聞きしたいことがたくさんあったのですが、時間が足りませんでした。
松田:すみません。なんだか勝手に物を申してしまって。
福谷:松田社長第2弾もありそうですね。
morich:まだ、今日のお話は聞きたいことの10分の1くらいです。
福谷:morichさんの「Business Insider Japan」での連載もそうなのですが、いろいろな記事で、なぜアメリカに行くべきなのかというお話を拝見させていただきました。
実は昔、渡米したいと思っていたのですが、実際には渡米を取り止めて上京しました。しかし、まだチャンスがあるのかなとも思っており、そのあたりについてもお聞きしたいです。ご視聴のみなさまにもそのようなことを思っている方がいらっしゃるかもしれませんので、機会がありましたら、そのような挑戦や勇気といった部分をお聞かせいただきたいと思います。
ありがとうございます。今回もびっしり1時間というかたちでしたが、時間がぜんぜん足りませんでしたので、ぜひ2回目の出演を依頼したいと思っています。本日もいろいろなお話ができました。お忙しい中、お越しいただき本当にありがとうございます。
morich:ありがとうございました。
松田:ありがとうございました。