~morichの部屋 Vol.4 スパイダープラス株式会社 代表取締役社長 兼 CEO 伊藤謙自氏~

福谷学氏(以下、福谷):とうとう2023年最後の「morichの部屋」が始まりました。

森本千賀子氏(以下、morich):今年も締まりますね。本日は、めちゃくちゃ楽しみです。

福谷:第4回目ですよ。

morich:そうなのです。あっという間でしたね。

福谷:あっという間でしたね。今年1年、morichさんとご一緒させていただき非常に嬉しく思っています。

morich:「最高コンビ」ですね。

福谷:「最高コンビ」とおっしゃっていただき、ありがとうございます。2023年はいかがでしたか?

morich:私は非常に忙しかったです。

福谷:たしかに。

morich:本当にめまぐるしかったです。生まれてこの方ずっと忙しいのですが、例年にない忙しさでした。

福谷:どちらを見てもmorichさんがいらっしゃって、本当に生きているmorichさんなのか、他に2、3人くらいいるんじゃないかと思いました。

morich:この間、2023年にどのくらいの方と出会ったのかを「Sansan」で確認しましたら、名刺の数が2,000枚を超えていました。オンライン以外でお会いしたということです。

福谷:すごい。オンラインは別として、リアルで会ったのが2,000人ということですよね?

morich:はい。2023年の1月1日から本日に至るまでで、リアルにお会いした方の数です。

福谷:では、それ以上の方々に知られているということですね。

morich:本当に良いご縁をたくさんいただきました。

福谷:大活躍中です。

morich:ありがとうございます。

福谷:そんなMorichさんと、2023年最後の「morichの部屋」第4回目をご一緒させていただくことに、非常に感謝しています。

morich:こちらこそ。楽しみです。

福谷:来年も第5回目以降をお願いできればと思っています。

morich:はい、続きます。

伊藤社長の紹介

福谷:本日も素敵なゲストをお招きしています。今は、目の前にいらっしゃらなくて。

morich:そうですね、いつもは目の前にいらっしゃるのですが、そろそろお越しいただけるのではないかと思っています。

伊藤謙自氏(以下、伊藤):こんばんは。

morich:こんばんは。お待ちしていました。

福谷:「morichの部屋」へようこそ。

morich:ようこそいらっしゃいました。本日は、スパイダープラス株式会社の代表取締役社長の伊藤謙自さんがゲストということで、楽しみにしていました。よろしくお願いします。

福谷:よろしくお願いします。すでにオンラインでは顔合わせをさせていただいているのですが、その際も非常に盛り上がったじゃないですか。

morich:そうなのです。本日は、どこにも書いていないリアルな伊藤謙自さんを解剖できればと思います。

福谷:さまざまなお話をうかがいながら、深掘りさせていただいて、解説したいと思っています。

morich:最初に自己紹介していただいてもよろしいですか?

伊藤:すみません。その前にビールをもらっても良いですか?

morich:すみません。そうでした。お待ちください。

伊藤:飲み放題だと聞いていたので。

morich:飲み放題です。何でもオーケーです。

伊藤:ありがとうございます。では、乾杯しましょう。よろしくお願いします。

morich:ありがとうございます。よろしくお願いします。

福谷:よろしくお願いします。

morich:うん。おいしい。

伊藤:「YouTube」には何度も出ているのですが、お酒を飲んだのは初めてです。

morich:「YouTube」のほうはいつも飲んでいる風ですが、あれは飲んでいないのですか?

伊藤:素面じゃないとまずいですよ。「イカれてる人」になってしまいます。

morich:上場会社ですので、怒られちゃいますね。

伊藤:はい。

本日は、伊藤さんを知らない方も多くご覧になっています。伊藤さんの魅力を約1時間でお届けできるかわかりませんが、さまざまなメディアからの取材を受けられている中でも、まだ表に出ていない部分を聞いていきたいと思っています。

伊藤:ぜひぜひ。いつも同じことばかり喋っているのです。

morich:そうですよね。ちょっと飽きちゃうではないですか。本日は違う観点からおうかがいしたいと思っています。まずは、伊藤謙自という人物を作った過去を紐解きたいと思っています。

会社紹介

伊藤:会社紹介はしなくてもよいですか?

morich:そうですね。酔っ払う前にお願いしてよろしいですか?

伊藤:当社は、建設会社向けのDXツールを販売しています。2024年から法改正がありますので、例えば時間外労働の上限規制が設けられることや、少子高齢化による建設業界の就業者数減少などの観点から、生産性向上や省人化を実現できるようなプロダクトを提供しています。

これまでずっとユーザーや契約会社が右肩上がりで増えており、良い感じだと思っています。特に、法改正があるため、2024年の業績は非常に楽しみです。

morich:もともと「2024年問題」があり、さまざまな法改正の中で、建設業界では各社が多くの課題を抱えている状態ですよね。

伊藤:おっしゃるとおりです。

morich:そのような中で、御社のツールを導入いただければすべて解決できるということでしょうか?

伊藤:すべては解決できないのですが、部分的なところでは、例えば現場監督が50時間掛けていた作業が1時間も掛からずにできるようになりますので、そのぶん他の仕事ができるようになり、生産性が上がることになります。また、同様に3人で検査していたものが1人でできるようになります。

morich:今までは、脚立を置いて、持つ人と測る人が必要だったところが、1人ですべてできてしまうということですね。

伊藤:はい。

morich:データ管理についても、これまで事務所に戻ってエクセルに入力して計算していたのが、その場でできてしまうということですね?

伊藤:そのとおりです。

morich:非常に便利なプロダクトです。

建設市場は、日本の全産業の中で最もマーケットサイズが大きいと聞いたことがあります。

伊藤:自動車産業がNo.1で、その次が建設業です。

morich:そこに切り込んでいくということですね。

伊藤社長の幼少期

morich:現在では日本の未来を背負って立つような方を形成した過去について教えていただきたいと思います。まずは幼少期からお願いします。どのような環境で育った少年だったのでしょうか?

伊藤:非常におもしろいのです。私の父は大学生の時に起業して、電気工事会社を経営していました。祖父はもともと気象庁で働いていて、北海道観測所へ勤務している時に戦争で満州に渡り、帰ってくると突然、自分でビジネスをすると言って材木屋や砂利屋を始めました。

morich:ネットワークも何もないところから始めたのですね。

伊藤:はい。それがけっこううまくいきました。父も電気工事会社を経営していましたが、祖父も「これからは電気の時代が来る」と言って、材木屋や砂利屋をすべて売却し、昔の東芝ストアーのようなものを田舎町で始めたのです。

morich:パナソニックショップのようなお店ですね。

伊藤:地元で初めて鉄筋コンクリートのビルを建てたのが、私の祖父なのです。

福谷:すごい。

morich:すごいですね。では、ようするに「良いとこのボンボン」だったのですか?

伊藤:祖父はちょっと変わっていまして。50代でがんが見つかったのですが、とある宗教にはまったと言いますか。

固有名詞は出しませんが、機会があってある人の話を聞いたのです。そこで、普通だったら信者になるところが、祖父は教会を作ったのです。

morich:入信ではなくて、新しい教会を作ったということですか?

伊藤:「俺も今日から教会長だから」と言い、信者がいないのに、いきなり教会長になってしまいました。

morich:要するに、伊藤さんにもそのDNAが入っているということですね。

伊藤:「ちょっとイカれてるな」という感じでした。ただし、事業も儲かっていたため、すべて事業清算して借金もなく、祖父はその教会長として幸せに亡くなりました。

morich:シリアルアントレプレナー的ですね。

伊藤:私の父は38歳くらいの時に、3階建ての家のテレビの室外アンテナを取り付けている時に、屋根の上から落ちてしまいました。

当時はまだ安全性については無視されており、社員には「雨が降っていて、滑ると危ないから、俺がする」と言っていたそうです。「何をやっているんだ」という話ですが、そうして屋根の上から落ちて、脳の3分の1を失いました。

それで私は「良いとこのボンボン」から、一気に人生のどん底へドーンと落ちました。

morich:収入がなくなるということですか?

伊藤:父は部下だった当時の役員に会社を譲りました。結局もう働くことはできないし、さまざまな事情もあったのですが、祖父が「伊藤家の跡取りは、もう謙自しかいないから連れて帰る」ということで、私は父と一緒に祖父のいる北海道へ行きました。

morich:そうだったのですか。

伊藤:行ったは良いのですが、実は祖父と父は非常に仲が悪くて、毎日喧嘩をするのです。祖父も大人げなくて、脳の3分の1を失った父と本気で喧嘩するのです。

morich:それは、おかしいですね。親子ですよね?

伊藤:親子です。あまりに仲が悪いため、私が小学2年生の時に、父が「もう出ていく」と言って、私と父の2人で実家を出ていきました。実家近くの公営住宅に引っ越しました。家賃は月額5,000円で、お風呂は五右衛門風呂です。

morich:本当ですか? 「神田川」の世界ですね。

伊藤:幼少期は、その五右衛門風呂の住宅で育ちました。

morich:そのような人がいるのですね。周りではあまり聞いたことがありません。

伊藤:父は脳の一部を失ったというのもあるのですが、ギャンブルにはまり、夜は麻雀、昼はパチンコに行っていたため、私と顔を合わせることがないのです。私は小学2年生なのに、ほぼ一人暮らしでした。

morich:もともとは仕事に一途な方だったのですよね?

伊藤:もともとはそうでしたが、仕事もできなくなり、そのようになりました。

morich:当時は小学2年生で、食事などはどのようにしていたのですか?

伊藤:一応、米だけは炊いておいてくれたので、朝ご飯は自分で作りました。唯一の得意料理はハムエッグです。延々と、毎朝ハムエッグです。

morich:それが、ごちそうだったということですね。

伊藤:はい。昼は学校の給食でした。夜は、昔は商店のようなところでツケることができたじゃないですか。

morich:ご近所でね。ありました。売り子のおばちゃんなどがいました。

伊藤:そこで惣菜パンやインスタントラーメンなどを買って、自分で作って食べて、寝ている間に親父が帰ってくるような生活でした。「ネグレクトかよ」みたいな環境です。

morich:本当ですか? 今だったら、捕まっちゃいますよね。ある種のネグレクト状態です。

伊藤:小学4年生ぐらいまでずっと、ほぼ一人暮らしの状態でした。

morich:では、本当に栄養失調と言いますか。

伊藤:もうガリガリです。そのような体質になってしまったため、20歳頃までは身長180センチで体重は52キロしかありませんでした。

morich:本当ですか?

伊藤:体を鍛えなくても腹筋が割れている人です。

morich:それは、別の意味ですよね。

伊藤:はい、脂肪がついてなさ過ぎたためです。

morich:その食生活が変わらず、20歳まで続いたということですね。

伊藤:食が細くなってしまいました。

morich:幼少期の習慣が続いたのですね。

そのような原体験は、将来に何か影響したのでしょうか?

伊藤:どうですかね。比較的、寂しがり屋です。子どもの頃にそういうことがあって、ずっと一人だったことが影響しているのかもしれません。

morich:愛情に実感が持てなかったのかもしれませんね。

伊藤:小学4年生の時に祖父が亡くなって、祖父の住んでいた家に父親と戻りました。今度は、祖母が料理の下手な人でして。

morich:今、「うまい」と言うのかと思ったら、下手なのですね。

伊藤:普通、おばあちゃんの料理って美味しいじゃないですか。

morich:大体、そうですよね。

伊藤:私の祖母は料理が超下手で、そのまずい料理を小学6年生まで食べていたのです。

morich:もう仕方ないので。

伊藤:はい。そして小学6年生の時、訳あって父の妹が隣の家へ引っ越してきました。

morich:叔母さんですね。

伊藤:はい。その叔母は、料理が大変上手なのです。

morich:これが家庭料理と言うものだと。

伊藤:「これがご飯なのね」みたいな。

morich:小学6年生にして、ようやく家庭料理を知ったということですね。

伊藤:はい。叔母には非常にお世話になったのです。

伊藤社長の学生時代

morich:何かの記事で、漫画がすごくお得意で漫画家になりたかったというお話を読んだのですが、そのような環境の中で漫画を描いていたのですか?

伊藤:小学生の頃は漫画をずっと描いていました。あとは、ガンダムのプラモデルを作ったりもしました。

morich:どちらかというと、アウトドアな感じではなかったのですね。

伊藤:完全にインドアです。

morich:見えないです。本当ですか? では、けっこう家にこもっていたのですか?

伊藤:これもインドアな趣味ですが、中学生からギターを弾き始め、高校生までずっとバンド活動をしていました。

morich:音楽で働くことを目指そうとは思わなかったのですか?

伊藤:一瞬は思いましたが、実際にそれで一生飯を食べていけるかというと、それこそ本当に一握りしかいません。

morich:そうですね。

伊藤:父も祖父も自分で会社を作っているし、俺も何か会社の社長でもしようかと思いました。高校を卒業して、「会社を作るなら東京行くべきだ」と思い、東京に出てきました。

morich:例えば大学に進学するといった選択肢ではなく、すぐに働こうと思ったのですか?

伊藤:大学に行く頭なんかあるわけないじゃないですか。ろくでもない幼少期を過ごしているんだから、勉強なんかするわけがないのです。

morich:勉強とは無縁だったのですか?

伊藤:まったく無縁です。

morich:でも、今はけっこう本を読んだりすると記事で読んだのですが。

伊藤:今は本なども読んでいます。私は集中すると結構できるのです。「やればできる子」です。

morich:ガンプラなどもそうですよね。集中しないと作れません。

伊藤:中学3年生の高校受験の時、学校の先生に「お前の行ける学校はない」と言われたのです。

morich:1校もですか?

伊藤:名前を書けば受かるような学校はあったのですが、そこぐらいしか行けるところはないと言われました。

morich:中学生の時は勉強していなかったのですか?

伊藤:まったく勉強していませんでした。

morich:学校には行っていたのですよね。

伊藤:学校へは、行ったり行かなかったりでした。

morich:では、漫画を描いて、ガンプラを作ってというような生活をしていたのですね。

伊藤:さらにギターを弾いて、という生活でした。

ただし、勉強すればできると思っていて、地元では中の上くらいのレベルの学校を受けると言ったところ、先生から「100パーセント受からないぞ」と言われたのです。

morich:「100パーセント受からない」と言われたのですか。

伊藤:はい。ただ、「1人で2週間勉強すれば絶対に受かる自信がある」と言って、2週間学校へは行かず、1日18時間くらい勉強しました。

morich:寝る以外は勉強していたのですね?

伊藤:はい。結局、入試では全生徒の中で2位だったのです。

morich:地頭が良いのではないですか?

伊藤:北海道の公立で一番良い高校に合格できる点数だったのです。ただし、その高校に行っていたら、おそらく3ヶ月で辞めていたと思います。

morich:昔から、学校で話を聞いたらすぐに覚えてしまうとか、自分で「何か俺、天才かも」みたいな感覚はなかったですか?

伊藤:そもそも話を聞いていなかったため、覚えることもなかったのです。

morich:ギターも独学ですよね。

伊藤:そのとおりです。

morich:アーティスト的な右脳の才能と、左脳の本当にクレバーな能力の両方を持っていたのではないですか?

伊藤:自分ではわからないですけどね。

morich:では、行きたい高校に受かって、そこに行ったのですね。

伊藤:行きたい高校に入学しました。

morich:そこから勉強に目覚めたというわけではないのですか?

伊藤:2位で合格したのですが、中間試験では、42人中38位でした。

morich:あれ? それはなぜですか?

伊藤:何も勉強しなかったからです。「高校に受かったから、もういいや」と思ったのです。

morich:授業中は何をしていたのですか?

伊藤:あまり学校へ行っていなかったですし、行ってもずっと寝ていました。

morich:では、高校生活で青春を謳歌するということではなかったのですか?

伊藤:バンドがめちゃくちゃ楽しかったので、バンド活動ばかりしていました。

morich:本当は音楽の世界に行きたかったという思いは?

伊藤:それもありましたけどね。

morich:でも、現実的に自分はそちらの道では難しいと思われたのですね。

伊藤:ああいった業界は、ボーカルがメインだったりします。私はギターでしたが、将来スタジオミュージシャンになりたいかというと、それも違うかなと思ったのです。世の中のスタジオミュージシャンの方たちを敵に回してしまうのですが。

伊藤社長の会社員時代

morich:東京に行くことは決めていたのですね。どのような業種で何をするというのはなかったのですか?

伊藤:まったくなかったです。

morich:では、最初は何を理由に選んだのですか?

伊藤:一番給料が良くて、福利厚生で独身寮がある、水道光熱費をすべて払ってくれるなど、条件をたくさん出しました。

morich:要は、至れり尽くせりのところですね。

伊藤:そこに当てはまる企業があり、そこへ行くことにしました。ちょうどバブルがはじけたタイミングで、業界的には景気がよかったため、即採用でした。

morich:最初の業界が現在の前哨戦と言いますか、比較的近い業界に行かれたのですね。

伊藤:建築系の資材を販売している商社でした。

morich:商社ということは、職人ではなくて営業だったのですね。そこに何年いらっしゃったのですか?

伊藤:そこは2年くらいです。

morich:営業の仕事は比較的順調だったのですか?

伊藤:まったく売上がない会社を7社あてがわれました。

morich:新入社員というのは、最初はそういうものですよね。

福谷:確かに。

伊藤:前年の売上が7,000円程度だったのです。

morich:年間ですか?

伊藤:7社で年間7,000円です。「1社1,000円かよ」と思いましたね。

morich:本当ですか? どんなお客さまですか。

伊藤:ですが、翌年にはもう売上が2,000万円以上になりました。

morich:7,000円から2,000万円?

伊藤:はい。

morich:すごい成長率ですね。

福谷:その数字は伊藤さんが作られたのですか?

伊藤:そうです。

福谷:すごい。

morich:社長もびっくりですよね。

伊藤:社長賞をもらいました。

morich:本当ですか。

福谷:それはそうですよね。

morich:ちなみに、営業ではどのようなことをしていたのですか?

伊藤:とにかく東京都内をぐるぐると巡って、1週間かけて7社すべてを毎日回りました。

morich:担当の会社が都内あちこちにあったのですね。

伊藤:はい。その7社は必ずすべて回っていました。

morich:それで社長とも仲良くなったのですね。

伊藤:だんだん向こうも根負けして「わかったよ、話聞いてやるよ」となるわけです。最初は、行っても「お前のところからは買わないから」みたいな感じだったのです。

morich:そのような感じだったのですね、けんもほろろと言いますか。

伊藤:最初はそうでしたが、しつこくずっと通っていると、話を聞いてくれるようになりました。

morich:ですが、2,000万円売り上げて社長賞をもらって、これからだという時に辞めたのですか?

伊藤:「もういいな」と思ったのです。「けっこうやったしな」と。

morich:やりきったという感覚ですね。次はその取引先に転職されたのですか?

伊藤:はい。取引先に「給料を倍出してやるから、うちの会社に来い」と言われました。

morich:その7社のうちの1社ですか?

伊藤:そうです。

morich:社長から?

伊藤:それで「じゃあ行きます」と。「給料いっぱいくれるなら行きます」と。

morich:morich:給与が決め手で転職されたのですね。何をするかはわかっていたのですか?

伊藤:わかっていました。そこで現場監督の仕事などをいろいろと覚えて、「これだったら自分でできるな」と思いました。足りなかったのが施工で、それが自分でできるようになれば、資材を販売していた関係会社にお願いすれば、おそらく仕事をくれるだろうなと思いました。

morich:確かに、自分でできますよね。

伊藤:最初はそれで独立しました。

morich:実は私の父も、もともとインテリアの商社にいて、その後に独立したのですが、職人さんたちをいわゆるマネジメントするような仕事をしていたのです。経緯が似ていると思って記事を読んでいたのですが、まさにそのような独立ですよね。

伊藤:そうです。

morich:ご自身も職人として働いていたのですか?

伊藤:働いていました。

morich:そうなのですね。要は、天井を這うようなイメージですか?

伊藤:そのようなこともやっていました。それこそ、ほぼ2日寝ないで、完徹で働き、家に帰ってきて玄関で意識を失っていたりもしました。

morich:職人の頃ですか?

伊藤:職人をしている頃です。

福谷:すごい。

morich:当時売っていたものは何だったのですか?

伊藤:売っていたと言いますか、大型のビルや商業施設などのダクトや配管に、結露防止や防熱のための断熱材を巻く仕事です。

morich:天井裏など見えないところで、実際にそれを貼っていたという感じですね。

伊藤:そうですね。

morich:徹夜が多かったですか?

伊藤:徹夜したり、昼はこっちの現場へ行き、夜はこっちの現場へ移動して、といったスケジュールです。

morich:けっこう汚れたりしますよね。

伊藤:そんなのもう、関係ないですね。3日くらい風呂に入らなくても、別にどうでもよかったです。

morich:特に天井裏などは、すごい世界ですよね。

伊藤:そうですね。だから私も含め、車に乗っている職員側は臭いのです。

morich:お風呂も入らないし。

伊藤:今みたいにファブリーズとかがあれば良かったのですが。

morich:確かに。夏とか大変そうですね。

伊藤:大変です。ただ、全員鼻が麻痺しているので。

morich:臭いに慣れてしまうのですね。

伊藤:慣れてしまうのです。

morich:人間の慣れってすごいですね。

独立後

morich:職人としての生活は何年ぐらいだったのですか?

伊藤:職人は3年、4年ぐらいです。元請けになりたいと思って法人化し、そこからは自分で職人さんたちを下請けとして使う立場になったので、現場に出ることはなくなりました。

morich:最初に、職人さんたちをどうやって集めたのですか? これに関しては私の父親も非常に苦労していました。

伊藤:格好良くいうと、リファラルです。

morich:今でいうリファラルですね。

伊藤:要するに友だちつながりです。例えば、自分の仲の良い友だちに「お前の友だちに無職の人はいないか」と。

morich:なるほど、友だちの友だちですね。

伊藤:「ちょっと呼んでこい」と言って。

morich:なるほど。みんな職人の仕事をしたことがないですし、何をすれば良いのかわからないですよね。

伊藤:「とりあえずお前はあそこの現場行ってこい」みたいなかたちでした。

morich:私の父親も苦労していたのが、やはりヒトモノカネの「ヒト」でした。職人の仕事は冬は寒いし、夏は暑くて大変です。

格好良く言えばリテンション、いわゆる辞めないような工夫はどうされていたのですか?

伊藤:そんなことは考えたこともないです。あまり辞めなかったですね、当時の子たちは。

morich:家族的な雰囲気で経営していらっしゃったのですか?

伊藤:そういうわけではなく、やはり日銭稼ぎという理由が大きかったのではないかと思います。

morich:仕事は順調でしたか?

伊藤:仕事は常にありましたので、最初から調子は良かったです。

morich:それは昔のお客さまなどからの仕事でしょうか?

伊藤:はい。それも含めて、新規の元請けになってからの仕事もありました。最初はけっこうきつかったです。やはり実績がないとなかなか使ってもらえないため、そうすると他社よりも安い金額で請けないと仕事が取れなかったのです。

morich:そうですよね。

伊藤:だから、赤字が2年ぐらいずっと続いていましたが、そこからちゃんとしたお金をもらえるようになりました。

morich:そこから独立、法人化されたということですね。

伊藤:そうです。

morich:当時の最も苦労したエピソードはありますか?

伊藤:なんでしょう。自分の中では、あまり苦労したという感覚はないのです。

morich:順調に進んでいたのですね。

伊藤:本当に「来月の金がない、どうしようか」という時に、今日見ている方の中でも、パチスロをしている方などはご存知かもしれませんが、当時「ミリオンゴッド」という台がありまして。

福谷:「ミリオンゴッド」ですか。

morich:知っていますか?

福谷:聞いたことだけはあります。

伊藤:非常に恐ろしい台があったのです。

morich:なんですか、それは? 

伊藤:負ける時は1日50万円負けるのです。

福谷:やばいやばい。

morich:それは人間の心理にくるやつですか? もしかして。

伊藤:それで、勝つ時は本当に1日50万円勝つみたいな。それで「来月の支払いが300万円足りない、どうしよう」という時に、「これはもうミリオンゴッドだな」と思いました。

morich:もう、イチかバチかということですか?

伊藤:はい。仕事がひととおり終わったあと、6時ぐらいになったらそのミリオンゴッドのためにパチンコ屋に行くのです。

「持っているな」と思ったのですが、そうすると一発目から、「ゴッドタイム」というのが入りました。「ゴッドタイム」が入ると爆発的に出るのです。

morich:ゴッドタイムというのは「きた!」みたいなことがわかるのですか? 

伊藤:一発でわかります。それが本当に1回転目でくるということが何度もありました。

morich:ゴッドだけに、神がかっているじゃないですか。

伊藤:それで、ものの1週間も経たないうちに、本当に300万円勝っちゃいました。

morich:パチスロで?

伊藤:はい、それで300万円の支払いをしたのです。

福谷:いやいや、破天荒と言いますか、非常に持っていますね。

morich:本当ですか? それは持っていますね。

伊藤:持っていますよね。

morich:流石にそんなことは普通起こらないですよね。

福谷:普通、それって苦労するシーンじゃないですか。それを簡単にクリアしちゃうみたいな。

morich:楽勝な感じですね。

伊藤:いや、でもメンタル的には苦労しました。「今日も勝てるかな」みたいな気持ちになって。

morich:1日目で50万円くらい出て、それを元手にして、また次の日に行くということですね。

伊藤:はい。また行って、10万円ぐらい突っ込んだらそこからまたボーンと出てといったかたちですね。

morich:本当ですか? 普通は日和りますよね。「ちょっとこれぐらいにしとこうかな」みたいな。「もう行くしかない、やるしかない」みたいな気持ちだったのですか?

伊藤:もう、とりあえず300万円貯めなきゃと思いまして。

福谷:支払いがあるから。

伊藤:はい。ちなみに、その300万円勝って以来、私はパチスロには1回も行っていません。

morich:普通はハマりますよね。

伊藤:もう1回も行っていないです。

morich:その心は?

伊藤:「今回パチスロの運はすべて使い切ったから、もうこれ以上はしない」です。「こんなにうまくいくわけないから、これからは負けるからもうやめよう」と勝ち抜けしました。

morich:なかなか普通はできないですよね。やはり根は真面目なのですか?

伊藤:真面目じゃないですよ。真面目な人間はそんなことやらないです。

morich:普通なかなか、朝並んで一発目で行きません。

伊藤:いやいや、仕事が終わってからじゃないと。

morich:すみません、仕事が終わってから行かれていたのでした。

伊藤:一応、ちゃんと仕事はしていました。パチンコ屋にずっといたわけじゃないです。

morich:それで支払って、事なきを得たのが一番のエピソードですか?

伊藤:後は「ドットコムバブル」がはじけて、取引先が倒産したりなどもありましたが、その時にもいろいろと助けてくれる方もいて、なんとかしのいできました。

morich:半沢直樹の世界などでは、銀行が手を引くようなこともあったと思うのですが、味方についてくれたのですか?

伊藤:逆に、その時は銀行がお金を出してくれました。

morich:それはやはり信頼関係によってですか。

伊藤:おそらく、ドットコムバブルの名残がまだ銀行にはあったのだと思います。だから比較的融資してくれたというのがあったかもしれません。

morich:それは今の会社になった後ですか?

伊藤:そうです。

スパイダープラスの社名の由来

morich:スパイダープラス社を立ち上げたということ、そもそもなぜこの会社名だったのですか? 知らない人もいらっしゃると思うので教えてください。

福谷:確かにそうですね。

伊藤:上場前に社名を変えてスパイダープラスになったのですが、もともとは別の会社名でした。

「スパイダープラス」というプロダクト自体は、もともと我々がやっている断熱工事の積算をする際に、図面上に書かれている配管ダクトなどに色を塗って線を書いていくのです。それをシステム化しクラウドで自社用に作ったのですが、その図面が蜘蛛の巣のようになるため、社内では「スパイダー」と呼んでいたのです。

さらに、断熱工事会社だけをターゲットにしていても売上のアッパーはすぐに来てしまうため、建設業界全体にマーケットを広げたいと思い、いろいろな方からのアドバイスも受けて作ったのが「スパイダープラス」です。

「スパイダー」から派生したものだから「スパイダープラス」という名前になりました。

スパイダープラスの強み

morich:建設業界向けということですね。しかし、この業界は後発でもけっこう競合が入ってきていますよね。

伊藤:入ってきていますね。

morich:それでも、これだけ強いのはなぜですか?

伊藤:やはり続けてきた長さじゃないでしょうか。先行者利益と言いますか。

morich:最初は御社のプロダクトのようなものはなかったのですね。

伊藤:まったくなかったです。

morich:当時は、本当に黒板に書いたりなんなり、という世界だったのですか?

伊藤:我々がプロダクトをローンチした時は、大手企業さまなども「クラウドって本当に大丈夫なの?」という感じはありました。

morich:セキュリティなどの懸念ですね。

伊藤:はい。そのため、最初の5年ぐらいは鳴かず飛ばずでした。

morich:そんな時期もあったのですね。

伊藤:その頃もけっこうきつかったです。ただ、一転して「クラウドが良いのではないか」という風潮になってきて、そこからは急激に広がっていったかたちです。

morich:このようなSaaSのプロダクトのお客さまは、そこそこの大手でエンタープライズなお客さまに、1社導入いただくまでが本当に大変とおっしゃるのですが、伊藤社長はどうでしたか?

伊藤:当社に関しては、「クラウドが駄目だ」という業界の中でも、一定数「クラウドでもいいんじゃない」といってくれるエンタープライズの会社があったため、非常にラッキーだったと思います。そのようなところと共同でいろいろと開発しました。

morich:なるほど、ティーチャーカスタマーですね。それはどうやって見つけたのですか?

伊藤:本当にたまたま展示会でお会いした方や、もともと私が断熱工事をやっていた時のお客さまなどです。

morich:そのつながりは大きいですね。

伊藤:やはり業界出身ですので、業界のペインをわかっているなど、話がスムーズに進みやすいです。

morich:現場では何が大変なのか、どのような苦労があるのかを実体験として持っていらっしゃるというのがすべてですよね。そこで一緒にプロダクトをどんどん改善して、アップデートしていったということですか?

伊藤:そうですね。未だにアップデートしています、たぶんずっと終わらないだろうなという世界ですね。

morich:どんどん要望が入ってくるわけですか?

伊藤:そうですね。

morich:どれぐらいのペースで改善していっているのですか?

伊藤:月1アップデートは必ず行っていますし、機能追加も数ヶ月に1回は行っています。新しい商品ラインナップも年に4本、5本ぐらいは出しています。

福谷:それはお客さまからいただいた要望に沿ってブラッシュアップしていくのですか?

伊藤:そうですね。

福谷:お客さまのお声もしっかり拾ってということですか?

伊藤:はい。

morich:あとSaaSの企業で一番苦労されるのが、導入いただいたものの、使ってもらえないことだと思います。

特に建設業界って超アナログじゃないですか。イメージとしては、例えばホワイトボードや黒板に書くような世界から、そもそもiPadさえも使ったことない方も多いのではないかと思います。使ってもらうまでのプロセスとして、どのように持っていくのでしょうか?

伊藤:まず、当社にはサポートセンターがあり、「使えないことがあったらすぐ電話してください」ということで、「その場で使えないをなくしましょう」というサポートをしています。

あとは、オンボーディングでの営業やカスタマーサクセスを、4、5年前で年間2,000回ほど行っていました。

morich:2,000回もですか。

伊藤:今はもう、何千回なのかわからないぐらい行っていますね。

morich:少しでもわからないところがあれば、パッと現場に向かって、そこで教えてあげるという感じでしょうか。

伊藤:そうですね。また、現在はデータ解析がかなりできるようになったため、どこの会社のアクティブ率が悪い、この会社はこのような使い方をしているといった分析ができます。

「ここの会社はこのような使い方しかしていないから、もっと効率が良くなるよう提案しよう」と言って、「これも使いましょうよ」と提案することでカスタマーサクセスをうまく回していくようなかたちです。

morich:カスタマーサクセスの方が2,000回も寄り添うようなことって、業界的にもないことですよね。

伊藤:そうですよね、いい加減にお金をもらいたいと思っています。

morich:有料じゃないのですか?

伊藤:無料ですよ。

morich:無料ですか。

伊藤:そうです。無料で行っているのは当社ぐらいだと思います。

福谷:今後はどうしていくのですか? 無料で突っ切るのか。

伊藤:この場ではちょっと言えません。

morich:今は、使用料である程度カバーしているのですね。

伊藤:はい、そこで賄えています。また、当社のプロダクトは同業他社に比べて高いのです。

morich:なるほど、1アカウントあたりですよね。

伊藤:はい。それでも選んでもらえるのはなぜかというと、費用対効果でしか継続しないのです。

morich:そのとおりですね。

伊藤:だから、「安かろう悪かろう」とは言いませんが、「我々のプロダクトは高いけれど、それだけ費用対効果が良いから選んでもらえている」という自信は非常にあります。そのために、オンボーディングであったり、さまざまな勉強会をこまめに開催しています。

全社導入してくれている会社さまの中には、新入社員が入ってきたらプログラムの中にスパイダープラスの研修を入れてくれているところがあります。ここまでお客さまに入り込んでいる会社ってなかなかないと思います。

morich:ないです。

福谷:なかなかないですね。

morich:ちなみに、一番使っていただいているところで、どれぐらいの台数を導入されていますか?

伊藤:約3,000人です。

morich:1社あたりですか?

伊藤:はい。

morich:すごい、もうインフラですね。エンタープライズのお客さまだと、自社で開発する体力があると思います。形にするという発想もあるのではないかと思うのですが、そこは「餅は餅屋で」という感じでしょうか?

伊藤:先日、某超大手企業の常務ともその話題になりました。昔は自分たちで作っていたそうですが、今はスパイダープラスもそうですし、良いプロダクトがいっぱいあるため、自分たちが使い勝手の良いものを選んで使ったほうが良いのだそうです。

自分たちで開発するとメンテナンス費用もかかるし、全社員で必ず使用することにしても、社員が使わないという問題も出てきてしまうため、費用対効果が悪いそうです。

morich:サポートも大事ですよね。

福谷:なるほど。

伊藤:「今はいろいろな良いアプリがあるから、自社で開発する必要がなくなり、良い時代になった」とおっしゃっていたので、感覚が変わってきています。

morich:なるほど。

伊藤:昔は絶対自社でやりましたよね。

morich:そうですね、内製するスタンスの会社は本当に多かったです。かつ、使い方も含めてのノウハウですから、昔は出したくないところでしたが、今は一緒になって開発していくという発想ですよね。

福谷:確かに。

伊藤:そうですね。

morich:より良いものを作り、業界を本当に盛り上げていきましょうということですね。

建設業界の今後

morich:これから建設業界はまだまだ伸びていくと、よく予測されています。

伊藤:建設業は伸びますよ。

morich:そうなのですね。

伊藤:ただ、人がいないのです。

morich:確かに。

伊藤:大阪IRなどもこれからです。半導体関連では、TSMCや札幌のラピダス、SBIが北陸のほうに新たな建設計画を予定しているとの話もあります。みなさま感じられていると思いますが、都内を見ていても新しいビルがどんどん建っています。

morich:建て直していますよね。開発でも、「この区画に1個大きいビル建てます」といったかたちで、渋谷の街や、この周辺もそのような流れになっています。

伊藤:渋谷にこの間行ったのですが、「なんだこれ」と思いました。

morich:本当に、まったく変わりました。

伊藤:「俺の知っている渋谷はこんなんじゃない」と思いました。

morich:私も今行くと迷ってしまいます。どこでもそうですよね。小さな雑居ビルを大きく開発していたりします。

伊藤:完全に浦島太郎状態です。私は今、虎ノ門にオフィスを構えているのですが、虎ノ門なんて一昔前はなにもなかったエリアです。

morich:本当にそうですよね。麻布台ヒルズあたりも、びっくりするくらい変わっています。

伊藤社長の趣味

伊藤:内容がいつもどおりの展開になってきているので、そろそろおもしろい話をしませんか?

morich:そうですよね、すみません。これはこれでおもしろくて。

福谷:聞き入っちゃいます。

伊藤:ビジネスについては、いろいろなところで同じ話をしていますので。せっかくこのような場ですし。

morich:そうですよね、すみません。私たち的には、おもしろいなと思いながら聞いていました。

福谷:今日、私が感じていることがありまして。

morich:どうぞどうぞ。

福谷:伊藤さんはとてもおしゃれだということです。

morich:確かに。

福谷:普段、私は「先生!」といったかたちでお会いすることが多いのですが、本当にすごくおしゃれだなと思っています。

morich:確かに、ジャケットのボタンなどもとてもかわいいですよね。

福谷:はい、すごく気になっているのですが、いつもこのようにおしゃれな出で立ちなのでしょうか?

morich:プライベートが謎なのです。私もどこまで踏み込んで良いのかと思っています。

伊藤:洋服などは好きですね。

morich:そうなのですね。プライベートでは何に投資されていますか? 凝っているものと言いますか。

伊藤:洋服なども好きですが、あとはインテリアでしょうか。

福谷:ゴルフはいかがですか?

伊藤:ゴルフはあまり好きではないです。お誘いはたくさんいただきますし、嫌いではないのですが。

morich:昔はまっていたという音楽については、今はいかがですか?

伊藤:今は、30年ぶりぐらいにギターを買い、また最近ギターを弾き始めています。

morich:ずっと触っていなかったのですか?

伊藤:触っていませんでした。

morich:それはなぜでしょう?

伊藤:はっきりした理由はありませんが、あまり弾きたいなと思えなくて。

morich:そこからもう一度、「また何かやってみようかな」という心境になったということですか。

伊藤:はい。で、やってみるとめちゃめちゃおもしろくて。

morich:昔とはまた異なる感覚なのでしょうか。

伊藤:そうですね。

morich:今後、ライブなどの予定はあるのですか?

伊藤:その予定はありませんね。

ビジョン

morich:伊藤さんは、これまでに手に入れてしまっているじゃないですか。ビジネスも含めて順風満帆なイメージで。

伊藤:いえいえ、あまりそうでもありませんが。

morich:今後は海外に向かっていくといったお話もあったと思いますが、何を成し遂げたいとお考えですか?

福谷:ビジョンのようなものですね。

伊藤:私はSNS界隈でもずっといろいろと言われ続けていますが、私は絶対に自分の言ったことをやり遂げるというのがポリシーです。それこそ、2、3年前に出演したYouTubeの番組でも「目標は時価総額2,000億円」という話をしました。

こう言ってしまうと、また後からSNSがざわついてしまうのですが。

morich:広報の方からチェックが入ってしまいますね。

伊藤:Xを見ている方々もザワつかないでください。

私が2,000億円達成すると言ったのであれば、達成するという話です。今の時価総額は悲しいかなという状況で、ここ最近は調子が良くなり株価が少し上がったりもしていますが、私はこのようなところで終わらせる気はまったくありません。

そもそも、2,000億円達成を目指してがんばって仕事をしているのですから、信じてついてきてほしいという思いです。目先の株価のアップダウンなどは、2024年、2025年で爆発させてやると思っていますので。

morich:とにかくもう、5年ぐらいは放っておいてほしいと。

伊藤:はい。いわゆるテンバガーのようになるかどうかはわかりませんが、自分では5倍ぐらいにはなるはずだと思っています。

morich:日々チェックするのではなくて、とりあえず5年間は信じて待っていてほしいということですね。

伊藤:とりあえず「5年間、我が社の株価は見るな」と。

morich:私もそう思います。

伊藤:「もう、『今日は5パーセント下がった』『今日は3パーセント下がった』と毎日気にしなくても良いじゃん」と思います。5年後を見てびっくりしてほしいのです。

もし「半額になっているやん!」という状況になっていたら本当にごめんなさい、辞任します。そのぐらいの覚悟で挑んでいます。

morich:ビジネスについては「とにかく黙って信じて待っていなさい」ということですね。

伊藤:達成できる自信は大いにありますので。

morich:本日のお話を聞いて、御社の株を買おうかな、なんて思ってしまいました。

伊藤:私は高校入試で、2週間だけ勉強して2位を取りました。ちなみに、1位は高校に入学してから卒業するまでずっと1位だったような人で、ずっと勉強をしているような本当に天才系の人でした。

一方の私は、一瞬だけ勉強してポンと入ってしまいました。ただ、そのような私が365日、この仕事だけをしているのです。こんなに毎日ビジネスへ真剣に取り組んでいるのですから、「これで1位を取れないわけがないだろう」と思っているのです。

morich:それに加えて、伊藤さんは運も持っていますよね。

伊藤:はい、運も良いのです。

morich:パチスロといい、「ここで張る」という運を持っていますよね。成功しているビジネスマンの方や経営者の方を見ていると、やはり最後は絶対的に運なのだなと思います。

福谷:みなさん、運を持っていますよね。

morich:そうですね、それを味方につけられるかどうかですよね。

伊藤:それから、私は本当に人に救われています。本当に、今までどれほど多くの方に助けられたかわかりません。しかし、それはやはりその方々が、私のことを見て認めてくれているからこそ助けてくれるわけです。

morich:お客さまだけでなく、社員もですよね。

伊藤:そうですね、それは自分でも自信を持っていいのではないかと思います。

morich:きっと、愛されキャラなのでしょうね。

伊藤:愛されキャラかどうかはわかりません。このような顔をしていますから、あまり愛されないとは思いますが。

morich:いやいや社員の方から慕われていると思います。

福谷:ファンはたくさんいらっしゃると思います。

伊藤謙自としてやっておきたいこと

morich:そのようなことからも、会社のことは「もうとにかく黙って信じろ」ということですね。

伊藤:それは、もう間違いありません。

morich:しかし、その先には何が待っているのでしょうか? 伊藤さんはまだお若いですよね?

伊藤:若くありませんよ。

morich:100年時代ですから、まだこれからですよ。

伊藤:100年時代といっても、このあと仕事は50年も続けません。

morich:まずは5年がんばって、5年後に時価総額2,000億円になっているとします。その先、会社に限らず「伊藤謙自としてこれはやっておきたい」ということはありますか?

伊藤:フワッとし過ぎているかもしれませんが、別に「自分の名前を残したい」というような願望は一切ありません。

ただ、なんとなく思っていることとしては、「自分で稼いだお金を最後にどれだけ世の中に対してうまく還元して、有効活用してもらうことができるか」ということは、よく考えています。

結局、お金は墓場まで持って行くことはできませんし、家族に大きなお金を残してもろくな息子に育ちません。

morich:本当に、今までを見てきてもそうですね。

伊藤:そのような意味では、自分も日本という本当に良い国に対して、その一助になれることにお金を使いたいと思っています。

morich:それは、どのようなことでしょう?

伊藤:例えば、日本の強みをもっと伸ばせるようなものなどですね。

先日、大学で講義をしてきたのですが、そこで学生に「日本の強さ、優位性ってどういうところにあると思う?」と質問しました。すると「治安が良い」「美味しいものが安く食べられる」という回答が多かったのですが、世界的な国力の観点からみた時に、それは日本の強みではないだろうと思ったのです。

ですから、スパイダープラスの仕事にしっかりと取り組み、やり終えて自分の中で満足した後には、何かもっと日本の強みを作れるような、あるいは日本の国力を強くできるような仕事をしたいとは思っています。

morich:では、これまでとはちょっと違う仕事というか、ライフワークのようなものを見つけていかれるということでしょうか?

伊藤:これからの5年、10年の中でもさまざまな出会いがあると思いますので、いろいろな方々に教えてもらいながら、自分でできることをやりたいですね。

影響を受けた人物

morich:ちなみに、伊藤社長が今まで影響を受けた方や尊敬している方は、どなたかいらっしゃるのですか?

伊藤:高校1年生の時の担任の先生です。初めて担任を持つ先生でしたので年齢は24歳ぐらいだったと思います。先ほどお話したように、私はあまり学校に行っていませんでした。もうしょっちゅう、家に迎えに来てくれたのです。

morich:良い先生ですね。

伊藤:「お前、次の授業出ないと単位が取れない。だから、早く支度して学校に行くぞ」と言って、そのようなやり取りをしょっちゅうしていました。

morich:まるで金八先生のような方ですね。

伊藤:たまに学校に行って、ずっと席に座って寝ているわけです。そうするといきなり机をバーンと蹴飛ばされて、机が吹っ飛んでいきました。

morich:それはすごい光景ですね。

伊藤:すると、その先生が「お前、いったい何をしに学校来ているんだ」と言って、いきなり黒板を殴り始めたのです。

morich:黒板を殴るのですか?

伊藤:私のことは殴れないので、その代わりに。血も出ていました。

morich:怒りをそこにぶつけたと。熱血ですね。

伊藤:でも、こちらは子どもですから、それも刺さらないのです。その時、私はもう面倒くさいと思って帰ってしまいましたが、そのようなことがずっと続いていました。

しかし、私も一応人間ですので、高校2年生の終わりぐらいになると「さすがにここまでしてもらって申し訳ないな」と思い始め、少しは学校に行くようになりました。

高校3年生の4月か5月ぐらいだったと思いますが、その先生が「謙自、お前は最近けっこう学校にも来るようになったし、がんばっているな」と言ってくれたのです。普通のことをしているだけで、何もがんばっていないのですが、ただ褒めてくれました。でも、それが彼との最後の会話になってしまいました。

その後、少し学校の休み期間があり、ちょうど私がとても好きなミュージシャンが札幌に来ていたのです。私はそのライブを観て帰ってきて、家で寝ていました。

すると、昔ながらの電話の連絡網が来たのです。ふだん連絡などしてこない同級生から「お前今、どこにいるんだよ」と電話がかかってきたので、「俺の家に電話してきているんだから、家にいるに決まっているじゃないか」と。

「今すぐ学校に来い」と言うので「なんで?」と返すと、「いや、担任の先生が亡くなった」と言うのです。彼はふだんまったくしゃべらない奴なので、嘘ではないのだろうと思い、焦って学校に行きました。

そうすると、先生が本当に亡くなっていたのです。もともと脊髄に損傷かなにかがあったそうで、そこから風邪をひいて脳にウイルスのようなものが回り、一晩で亡くなってしまい、非常にショックを受けました。

その後、先生のご遺体が棺桶の中に入り、ご両親が学校に来られて、先生のお母さんが「伊藤謙自くんってどの子ですか?」とおっしゃるものですから「これは俺めっちゃ怒られるやつだな」と思ったのです。

すると、そのお母さんが「うちの息子はずっと日記を書いていた」と言うのです。「今日は謙自が学校に来なかった」「今日は謙自が学校に来た」「最近謙自が学校に来るようになって良かった、うれしい」ということを書いていたのです。

そのお母さんは「息子はとにかく伊藤くんのことが心配だったので、嬉しかったらしい」と。それを言われた時に涙が止まらなくなってしまいました。

その先生が最後に言っていた、「謙自、真面目になったよな」という言葉がずっと残っていて、「駄目だな、このままではいけないな」と、そこからようやくちゃんとしようと思えたのです。東京に行って社長になろうと思い始めたのも、その先生がきっかけでした。

morich:それはすごい経験ですね。

伊藤:それからは、当たり前のことなのですが、学校にも休まずに行きました。そのようなこともあり、無事学校も卒業して今に至っています。

ちょっとエモい話になってしまうのですが、ずっとその先生のお墓参りに行きたいと思っていました。しかし、先生のお墓は私の実家からは離れた場所にあったので行けずにいました。

35歳ぐらいの時に親戚の結婚式で北海道に帰ることがあったのですが、先生のお墓が近かったですし、事業もそれなりに順調でしたし、「やっと墓参りに行ける」と思いました。

morich:報告ですね。

伊藤:先生は26歳で亡くなったので、自分はもうそれよりもはるかに年上になっていました。先生が吸っていたセブンスターを買っていき、先生がずっと言っていた言葉が「謙自、卒業したら一緒に酒飲もうな」でしたので、スーパードライも1本ずつ買って行きました。

先生のお墓にスーパードライを置いて、セブンスターに火をつけて置いて、そこで1時間ぐらいずっと、自分の脳内で先生といろいろ会話をしていたら、「俺はまだまだがんばれるな」と思いました。

morich:先生も嬉しかったと思いますよ。

伊藤:35歳くらいの頃、先生のお墓参りに行ったその後に、スパイダープラスが生まれているのです。ですから、やはりあの先生が今でも自分の中で助けてくれている人なんだと思います。

morich:ターニングポイントになったのですね。先生もきっと見ていますね。

伊藤:そうですね、今でも先生はきっと私のことを見てくれているのではないか、適当なことはできないな、と思って仕事をしています。

morich:常に見てくれていますね。本当に良い話です。

福谷:良い話ですね。

5年後、さらにその先に向けて

福谷:続きをお聞きしたいのですが、お時間が来てしまいました。

morich:先ほどの先生との出会いも含めてかもしれませんが、先日これからやりたいことの1つとして、幼少期とても苦労されたご経験から、同じような子どもたちに対して何かできればとお話をされていましたよね。

伊藤:そうですね。やはり、どうしても人は親を選べませんので、経済的に困窮しているような子どもたちに、少しでも自分が手伝えることがあれば取り組みたいとずっと思っています。

morich:もしかすると、それが今後の伊藤社長のもう1つのミッションかもしれないですよね。

伊藤:そうですね。引退した後は、自分の孫のような存在になる子どもたちと、そのようなことができると楽しそうだなと思います。

morich:もしかすると、子どもたちは「どうして自分だけ」と思っているかもしれませんが、そのような苦労があっても伊藤社長のようになれるかもしれません。

伊藤:そのような面では、小2から小4まで一人暮らしをした小学生は世の中にそうそういないと思います。

morich:本当にそうです。聞いたことがありません。

伊藤:それでも今、まだまだ威張れるような会社ではありませんが、私も一応上場企業の社長にもなれましたし、本当に諦めないで取り組めば、夢は叶うのではないかとも思います。

morich:今日は本当にいろいろなことを教えていただきました。やはり、先生との出会いなども含めて、やはり要所要所で伊藤社長は運を持っていますよね。それが1つのターニングポイントで、今につながっているのだと思います。

伊藤:ちなみに今、何名ぐらいが本日の配信を視聴されているのでしょうか?

福谷:107名の方がご覧になっています。

伊藤:すみません、このような話にお付き合いいただいて。

morich:いえ、本当にとても良いお話でした。

morich:本当にありがとうございます。大変勉強になりましたし、伊藤社長、私、大ファンになってしまいました。今日、このお話を聞いてわかりました。5年待ちましょう。まずは5年、つべこべ言わないで。

福谷:「お仕事の内容はわからないけども、一応株主です」というような方々もいたりいなかったり。

伊藤:これから5年、株価は見ないでください。

福谷:やはりそれぐらいビジョンがあるということですね。

morich:先生との出会いも含め、やはりこのような経験をされている方は絶対に強いと思います。

福谷:私はまたゲストにお呼びしたいです。

伊藤:週5で来ますよ。「仕事しろ」と逆に怒られてしまいますね。

morich:ぜひお越しください。

福谷:お忙しい中お越しいただき、本当にありがとうございます。本当に今日はありがとうございました。

morich:ありがとうございました。

伊藤:ありがとうございました。