~morichの部屋 Vol.7 琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社 代表取締役会長兼社長 早川 周作氏~
福谷学氏(以下、福谷):「morichの部屋」、今回はラッキーセブンの第7回です。本日も、すばらしいゲストをお招きしています
森本千賀子氏(以下、morich):今回のゲストはすごい方です。実は私、この方にとても会いたかったのです。むしろすでにお会いした気分になっていたのですが、ニアミスが重なり、すれ違っていました。
福谷:一度もお会いしたことがなかったのでしょうか?
morich:ないのです。
早川周作氏(以下、早川):ないのですよ。
morich:リアルでお会いする機会がなかったのです。
福谷:いろいろとタイミングはあったのですよね?
morich:ありましたが、すれ違っていました。お互いの歴史がシンクロしており、シンパシーを強く感じています。引き寄せられたと思っています。
早川:恐縮です、ありがとうございます。
福谷:さっそくゲストの方のご紹介もしたいのですが、まずはmorichさん、本日も自己紹介をお願いできますか?
morich:初めての方もいらっしゃるかと思いますので、私の簡単な自己紹介をします。新卒でリクルートに入り、そちらに約25年勤めました。人と企業とのマッチングをずっと行っていました。
早川:新卒でリクルート歴25年はすごいですよね。
morich:かなりレアです。同期はほとんど20代で辞めていった時代です。ちょうどバブルが崩壊した非常に厳しい時代でしたが、気がついたら25年勤めていました。
東日本大震災が1つのキーポイントになりました。このタイミングで副業を始めたのです。リクルートは大好きな会社でしたので、辞めるという選択肢を取らず、サラリーマンを続けつつ、自分のしたいことも実現していきたいと考えました。震災が発生したタイミングで副業を始め、そこからは二足、三足のわらじを履きながら勤めていました。
morichという会社も、リクルートにいた頃に立ち上げました。しかし、リクルートが上場した2014年からいろいろと窮屈になり、「自分のしたいことを100パーセント実行する人生を送りたい」という考えのもと、2017年に独立しています。
早川:上場するメリットとデメリットの部分ですよね。
morich:そうなのです。メリットも大きいですが、ガバナンスやコンプライアンスに関してはやはりいろいろと厳しくなりました。
現在も変わらず、CXOの方々の採用支援をコア業務としています。
早川:CXOの方々の採用は、スタートアップにとって一番大切です。
morich:「経営幹部の『ゴレンジャー』はきちんと揃っていますか?」と、人材をご紹介しながら、スタートアップの母として支援しています。
早川:母として、ですか?
morich:母として、姉としてです。
早川:妹として、はどうでしょう?
morich:妹として、マドンナとして、女神として、支援しています。本日はよろしくお願いします。
早川:ありがとうございます。
早川社長の紹介
福谷:よろしくお願いします。ではmorichさん、ゲストのご紹介もしていただけますか?
morich:みなさまもご存知だと思います。琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社の代表取締役、早川周作さまです。
早川:ありがとうございます。
morich:本日も、いつものように「シャワー」を浴びて来ました。
福谷:「シャワー」というのは、morichさんはいつも、ゲストの方の情報をシャワーのように浴びて来られているのです。おそらく、すでに「ここまで知っているのか」というくらい知られています。
morich:そうなのです。早川さま自身より知っているぞ、という感じです。
早川:なんということでしょう。
morich:知っていますか? 早川さまは「周ちゃん」と呼ばれているのです。生まれ変わったら、なんと公務員になりたいのですよね。
福谷:おお、そうなのですね。
早川:はい、そのとおりです。生まれ変わったら、公務員になりたいです。
morich:このようなことまで調べています。
福谷:深掘りしたいと思っています。
早川:ありがとうございます。
morich:調べてきた中で、私の中の早川社長へのハートマークが100万個ほどになっています。
早川:いやいや、とんでもないです。
morich:みなさま、ファンになること間違いなしです。
福谷:確かにそうですね。
早川:とんでもないです。
morich:もともとたくさんいらっしゃいますけれどもね。
早川:そんなことはないです。
morich:まだ「早川周作ワールド」を知らない方には、本日のお話を聞いていただければと思います。
早川:ありがとうございます。
福谷:本日はお二人が真っ赤な服装のため、なんだか眩しいです。
早川:赤ですね。
福谷:お二人を前に、僕も非常に燃えてきたと思います。
morich:情熱の赤が大好きなのです。
早川:私は情熱だけで生きています。それ以外はありません。
福谷:それ以外はないのですか?
morich:調べていても、「志」「情熱」といった言葉が至るところに出てきました。
早川:いやいや、頭も悪いのです。
morich:後ほど詳しくお聞きしたいと思います。では早川社長、みなさまに向けて、簡単に自己紹介をお願いします。
早川:カメラ目線で、普通にしていてよいのでしょうか?
morich:はい、大丈夫です。後で紐解いていきますので、さわりだけお願いします。
早川:さわりだけですね。この世に生を受けて、47年です。
morich:そうは見えません。
早川:これが自己紹介です。
morich:「47年も生きてきたぞ」ということですね。
早川:生きてきました。
早川社長の学生時代
morich:非常に裕福なご家庭のお生まれですよね。
早川:秋田県で建設業の家庭に生まれ、そこでそれなりに裕福な生活をしていました。それ故に中学校の頃に少しやんちゃをしてしまい、どの高校にも行けない状態になってしまったのです。そのため、なかなかレアな「高校浪人」を経験しています。
morich:要するに、高校受験に失敗したということですか?
早川:そのとおりです。
morich:それは本当ですか? 1校も受からなかったのですね。
早川:受かりませんでした。
morich:なかなかレアですね。
早川:おそらく、学年に1人や2人しかいないと思います。
morich:なかなか見かけませんね。
早川:高校浪人をしていた当時は、秋田県にあるたけや製パンという会社で働いていました。
morich:バイトをしながら浪人していたのですか?
早川:はい、そうです。たけや製パンでは餅やパンなどを包む仕事をしており、その他に土方としても働いていました。しかし夏頃、高校生が羨ましいと思ったのです。
morich:キラキラしていますよね。
早川:高校に入り直そうと思い、そこからかなり勉強しました。秋田県の高校に行くと友人が変わらないため、千葉県の高校に進学しました。
morich:すごい進学校に入ったのですよね。
早川:当時できたばかりの進学校でした。どうしようもない「お馬鹿」だったのですが、面談に行くと、突然「東大に行けるか?」と言われました。
morich:先生に言われたのですか?
早川:僕は思わず、「はい」と言ってしまったのです。
morich:本当ですか? それでは3年間、かなり勉強されましたか?
早川:医学部を目指し、3年間の寮生活を過ごしました。
morich:医者も、子どもの頃の夢だったのですよね。
早川:そのとおりです。僕は小学校2年生の時に交通事故に遭い、かなりの長距離を飛ばされてしまったことがあります。
morich:その情報は、どこにも載っていませんでした。
早川:実は、身体障害者の方の車に轢かれてしまったのです。手でかけるブレーキが効かず、跳ね飛ばされてしまいました。その場にいらっしゃったオカベ先生というドクターに、応急処置をしてもらいました。
morich:たまたまお医者さまがいらっしゃったのですか? すごくラッキーでしたね。
早川:そうです。その方の運転が心配だということで、後ろからドクターが付いてきていたのです。
そのような経験に加え、高校へ進めずたくさんの後ろ指を指されてきたため、秋田県の人たちを見返したい気持ちがあったのです。国立大学の医学部などに現役で合格すれば見返せるだろうと勘違いしていました。
morich:確かに、医学部に入れば「あいつはすごい」となりますよね。
早川:「変わったのではないか」と見られますね。
morich:それで医学部を目指し、進学校に入学したのですね。
早川:寮でかなり勉強しました。おそらく、あの時期が一番勉強していたのではないでしょうか?
morich:47年間で最大の学習期ということですね。
早川:センター試験が終わり親に報告の電話をすると、連絡が付かなかったのです。
morich:そこで、衝撃的なことが起こったのですよね。
早川:はい、そのとおりです。1月30日、母にやっと連絡がついたと思ったら「父が会社を潰して蒸発した」と言われたのです。
morich:いなくなったということですか?
早川:そうです。これはもはや「ハッピーセット」でした。倒産と蒸発のハッピーセットです。
倒産と蒸発の「ハッピーセット」
morich:かなり衝撃的な出来事ではありませんか? 学費はどうするのかという問題がありますよね。
早川:当然ながら、大学には行けません。結局、本日の会場の近くの荻窪で、新聞配達をすることにして、「秋山ハウス」というところに住むことにしました。
morich:家賃3,000円ほどという情報を見ました。
早川:いえ、2万3,000円です。
morich:2万3,000円ですか? 南こうせつさんの『神田川』の世界ですね。
早川:そうなのです。木造で4畳1間、風呂なし、トイレは共同でした。
morich:すでにマンションなどがある時代ですよね。当時でも、そのような物件は滅多になかったのではないですか?
早川:そうですね。「秋山ハウス」はアパートやマンションではなく、ハウスでした。
morich:木造ですか?
早川:木造で、2階へ行くには急な階段を上ります。
morich:想像がつきますね。
早川:2階に上ると左側に少し大きな6畳ほどの部屋があり、4畳1間が並んでいました。まさに「苦労人」と聞いて想像するような世界ですね。
明治大学の夜間の法学部に進学しようという思いから、このような生活で学費を貯めることにしたわけですが、その進学先を選んだのも、父の会社の倒産や蒸発の一連の出来事の間、一番輝いて見えたのが弁護士だったからなのです。
morich:親身になって相談に乗っていただいたのですね。
早川:親族などに相談しに行っても、今までの関係性など、さまざまな事情があり、なかなか援助を得られませんでした。その中で唯一助けてくれたのは弁護士だったため、本当に人を助けられる仕事は弁護士ではないかと思ったのです。
そこで、荷物を一つ持って荻窪に新聞配達に出てきました。法律が勉強できて、当時学費が最も安い大学は明治大学の夜間の法学部でした。年間34万円から35万円ほどだったのです。
ですので、現在では紫紺会など、さまざまなところでお世話になっていますが、当時は明治大学に対する思い入れはまったくありませんでした。
本当に貧乏で、学費にできるようなお金もなかったため、僕が大学を選ぶ基準は、法律が勉強できるかどうかと、学費の安さでした。それを満たしたのが明治大学だったというだけなのです。
morich:きちんと調べた上で最も学費が安い大学に行かれたということですね。そのあたりからも、志の強さが感じられます。
早川:その頃住んでいた「秋山ハウス」には日本体育大学に通う苦学生や、一時的に懲役を終えて出てきた人など、さまざまな方がいらっしゃいました。
「ハッピーセット」が起こった時、行政に相談に行ってもまったく相手にされませんでした。「お前らなんて、住むところもなくていいだろう」という感じだったのです。奨学金を借りに行くと、「保証人を連れてこい」と言われます。「なぜ、政治や社会基盤は強い地域で機能し、弱い地域ではあまり働かないのだろうか?」と思いました。
morich:確かにそうですね。
早川:そこで、19歳にして「社会を変えたい」と思い立ってしまいました。そのようなわけで、20代で政治家を目指すことにしたのです。
政治の世界を目指して
morich:政治の世界を目指された原体験はそこだったのですね。
早川:苦労人の世界に身を置く19歳ですので、「20代で僕は衆議院選挙に出る」と言うと、「まず、選挙に出る前に病院に行け」と言われました。「病院ってどういうこと?」と聞くと、「精神科に行け」と言われたのです。
morich:本当にそのように言われたのですか?
早川:当時の「iモード」で「精神科」と検索すると、病気の例として「虚言癖」と記載がありました。確かに、精神科に行く必要があるかもしれないと思いました。
morich:「政治家になる」ということを、みんなに信じてもらえなかったのですね。
早川:信じてもらえませんでした。100人中100人が信じてくれなかったのです。
morich:しかし、その時は本当に政治家になりたかったのですね。
早川:そのとおりです。そこで、大学1年生から法律事務所で働き始めました。在学中に創業した不動産会社がたまたまスケールしたのですが、25歳になって被選挙権を得られたため、その会社を完全に離れました。
morich:その不動産会社は経営が順調だったのですよね。
早川:はい、うまくいっていました。
morich:その会社を誰かに譲ったのですか?
早川:そのとおりです。すぱっと譲りました。
morich:その潔さは、どこから来るのでしょうか? 普通は執着しますよね。
早川:あまりこだわりがないのです。人に対する執着もあまりない上に、不幸な大金持ちをあまりにも多く見過ぎました。
お金に執着することによって、時間を無駄に費やしたり、本来は自分の志のために行動しなければならないのに、優先順位を間違えたりしてしまうのです。僕は、そのあたりは比較的クールかもしれません。
morich:ある種、合理的と言えるかもしれません。しかし、儲かっていたならそこにいれば安泰でしたよね。
早川:そうですね。銀座で毎月700万円から800万円は使って、トヨタの「センチュリー」で送り迎えしてもらっていました。
morich:典型的な成功者の生活を送られていたのですね。
早川:とんでもないです。そこはつまらない場所でした。
morich:そこに自分の志があったわけではないということでしょうか?
早川:そうです。あくまで、政治に出る、もしくはこのような志を叶えていくための通過点だと感じました。
大学1年生で法律事務所に入ったのも、法律を勉強するためです。会社も、その法律事務所の投資家から5,000万円ほど出資いただき、創業しました。
そうする中で、「自分が本当にしたいことではないことを進めて、お金が入ってくる状況はいかがなものだろうか?」とは思いました。僕のことはキャッシュとしか認識されておらず、不動産会社の経営も本心で推し進めたいことではない一方で、選挙に出るにはそれなりにお金が必要です。本当にしたいことを実現するためにはキャッシュが必要だったために、ビジネスを行っていたという感じです。
ですので、被選挙権を得た25歳で会社をすっぱりと譲りました。
morich:費用などを自身できちんと確保してから、選挙に出たということですね。
早川:そのとおりです。いざ25歳で政治の世界に行こうと思った際、政治のことがまったくわからなかったため、さまざまな本を読みました。読み進めていくと、1993年に細川内閣が政権交代を果たしたことを知りました。
morich:そうですね。福谷さんは知っていますか?
福谷:少し知っていますが、まったく詳しくはありません。
morich:まだ子どもの頃ですよね。
早川:まだ生まれてもいないのではないでしょうか?
福谷:生まれてはいます。
morich:インパクトの強い政権でした。
羽田氏の鞄持ち時代
早川:そのとおりです。そこで細川護煕氏に会いに行ったのですが、彼はすでに政界を引退して陶器などを作っており、あまり政治の勉強にはならないと感じました。
morich:会いに行ったのですね。
早川:次に、羽田孜氏に会いに行ったところ、そうそうたる国会議員とSPを引き連れて歩いているのを見かけて、「これだ」と思ったのです。僕は羽田氏の腕に抱きつき、「僕を国会議員にしてください」と言いました。
僕の1冊目の本にも書いていますが、ここで羽田氏に人生最大の嘘をつかれました。「お前は目が違うからなれる」と言われたのです。
morich:「政治家になれる」と言われたのですね。
早川:羽田氏は当時、農林水産大臣から大蔵大臣(当時)、民主党の初代幹事長まで、数多の役職・閣僚を歴任しました。
morich:飛ぶ鳥を落とす勢いでしたよね。
早川:そのような実績がある人間に、「お前は目が違うからなれる」と言われれば、信じますよね?
morich:その気になりますね。
早川:その気になって無給で2年半、鞄持ちをしていました。
morich:無給ですか?
早川:無給です。親父さん(羽田孜氏)が気遣って「これで食事を」と言ってくださることはありましたが、選挙に向けて準備していた資金があったため、「勉強させてもらえるだけでけっこうです」と言い、1円ももらいませんでした。
morich:本当に修行のつもりで鞄持ちをされていたのですね。テレビでよく見るような、いわゆる政治家秘書の仕事でしょうか?
早川:そのとおりです。午前6時45分頃に親父さんを宿舎に迎えに行き、朝食会や党の会議に出た後に国会が始まります。ランチを取り、親父さんが呼ばれているさまざまなパーティーへの代理出席など、いろいろな業務を行っていました。パーティーは1日3件から4件出席していました。
morich:代わりに出られていたのですか?
早川:代理出席したり、親父さんと一緒に出席したりしていました。
morich:かなりの信頼関係を作られていたのですね。
早川:本当にありがたいことに、さまざまな業務に関わらせてもらいました。
当時の政治家はきちんと働ける人でした。そのため、1日何十件も陳情が届きます。その陳情を受けて捌く作業をしている中で、世の中のさまざまなものが見えてきました。
morich:具体的なものが見えてきたのですね。
早川:楽しかったです。
morich:第1秘書や第2秘書などはあると思うのですが、早川社長はどのようなポジションだったのでしょうか?
早川:僕は私設秘書で、当時は26名ほどの秘書がいました。
morich:26名ですか?
早川:国土交通大臣にもなった息子の雄一郎氏も、当時は秘書として働いていました。最初は下のほうのポジションから始まりますが、僕がパーティー券を最も多く売ることができたため、良い評価を賜り、信頼を得られたのだと思います。
morich:そのような世界でもあるのですね。
早川:いろいろなことがありました。
縁もゆかりもない、鳥取1区からの出馬
morich:しかし、「自分は秘書では終わらない。政治家として立つ」ということをずっと志として持っていらっしゃったのですよね?
早川:はい、そのとおりです。
morich:今か今かとタイミングを見計らっていたのですね。では、「今だ」と思えたのは、何がきっかけだったのでしょうか?
早川:実は26歳の頃、生まれ育った土地から「選挙に出ないか?」というお話がありました。
morich:多くの場合は地元で出馬しますよね。早川社長ですと秋田県ですね。
早川:そのとおりです。新聞にも少しずつ取り上げてもらえるようになったのですが、秘書を始めて1年半ほど経った頃、「チャンスが来た」と思った時に、当時の秋田県知事のご子息が手を挙げたため、僕は諦めざるを得なくなりました。
その時、縁もコネも金もなく、父親が会社を潰して蒸発し、大学の夜間部に通っていた僕のような人は、知事や大臣の息子に勝っていかなければ、真の議員バッジを着けられないと思ったのです。したがって、次に選挙で立ち向かいたい相手に、条件が1つ付きました。知事または大臣の息子であることです。
そこで、鳥取県1区から出馬することにしました。鳥取県1区の石破二朗先生が、鳥取県知事を務めた後に自治大臣になられたため、石破茂氏は知事の息子であり、大臣の息子です。知事の息子か大臣の息子と戦いたいと思っていましたので、また「ハッピーセット」が来たのですね。
こちらも本に書きましたが、鳥取県に乗り込んだところ記者陣に「鳥取にいらっしゃったことはありますか?」と聞かれ、「日帰りで1回しか来たことはありません」と言ったら、大爆笑されたことがあります。
morich:「鳥取県って、日本地図だとどこだろう?」という人もいますよね。
早川:週刊誌で、鳥取と島根の場所が反対になっていたこともありました。
morich:そこからは地道に活動されて、地元の方と接点を持たれたということでしょうか?
早川:そうです。そこから1ヶ月くらいで4万8,092票をいただき、その後7万人くらいの後援会組織を作っていったかたちです。
morich:どのようにしてコミュニティを作ったのでしょうか?
早川:私が落選した翌日に親父さんから電話があり、突然「3万枚の名刺を作れ」と言われました。「いよいよボケたのだろうか」と思い「なぜですか?」と聞いたら「3万枚の名刺を作って、それがなくなるまで歩け」と言われたのです。
選挙区には漁村もあり、隣村もあり、市街地もあります。すべての地域を歩くことによって、結果的に日本の縮図を知ることになります。1校区で1,000世帯ある地域、3,000世帯ある地域を、1軒1軒インターフォンを鳴らしながら歩きました。
morich:隣近所といっても、歩くとなると大変ですよね。
早川:旧郡部では、家と家の間が500mはあることがあります。県境のほうに行くと「ここで終わりかな?」と思っても、道を曲がったら「ああ、まだある」ということもありました。
morich:すべて歩いて回ったのですか?
早川:はい、そうです。選挙区で行ったことがない家や会社は1軒もありません。2周はしました。すべて回りました。
morich:2周ですか? 何日間で回るのですか?
早川:2年です。1年ですべて回りきって、その後また回りました。
morich:それは地元で評判になりますよね。
早川:はじめは1校区ごとに公民館などで集会を開きます。最初に来るのは3人くらいです。
morich:やはりそのようなレベルの世界なのですね。
早川:だいたいこの3人の構成も決まっており、1人はボケている人、もう1人はクレームを言いに来る人、残り1人は支持母体の人です。
morich:偵察に来ているのですね。要するに「この地に殴り込んできた早川周作は何者だ?」と見に来ているということですよね。
早川:そうです。その3人に「私はこのような社会を実現したいです。今はこのような課題があります」と2時間から3時間話します。
morich:3人に対して話すのですか?
早川:そのとおりです。最後に「来月の何月何日何時にもう1回来ますので、もしよろしければ人を呼んでくれませんか?」と伝えます。そうしますと、次回は6人から7人が参加してくれるようになります。
morich:倍になっていくのですね。
早川:そこでまた2時間から3時間語ります。そして「また来月来ます」と言うのを繰り返していくと、どこの校区でも100人から200人は集まるようになりました。
morich:そのようにするのですね。私もその時のメッセージを聞きたかったです。
早川:私は何か大きいことができるわけではなく、地道に積み重ねていくのが好きなのです。
現在も、オンラインで「アスティーダサロン」という仕組みを作り、1日16件くらいのアポイントをこなしています。そのようなことをするのが好きなのです。
morich:輝かしいキャリアのように見えて、実は地道にコツコツとこなされているのですね。
早川:ぜんぜん輝かしくないですよ。輝きの一つもないです。
morich:私も、過去にある成功者の方に「成功のコツは2つある」と言われ、「何ですか?」と聞いたら、「コツコツだ」と言われました。まさに早川社長のことだと思いました。
早川:そうですね。「地道に勝る王道なし」などとよく言われますが、やはりコツコツと、ある一定の努力を積むことは大切です。「努力は実力を生み、実力が幸運をつかむ」ということを社内に伝えているのですが、成功にはそれしかないと思います。
morich:鳥取の選挙の頃、集会には最大でどれくらい集まりましたか?
早川:市民会館などでパンパンに人が入っていたため、3,000人から4,000人くらいですね。
morich:2年の間でそれほどまでになったのですか?
早川:そうです。
morich:すごいですね。みなさまをファンにしたということですね。
早川:いやいや。いわば「早川被害者の会」です。
先々月、「アスティーダエグゼクティブサロン」という約1,000社が参加するイベントを沖縄で開催したのですが、こちらも別名は「早川被害者の会」です。
福谷:あの会は「被害者の会」だったのですね。
早川:冗談です、そんなことはありません。
morich:どちらかといいますと、最初の3人は敵対心むき出しのオーラが出ていますよね。
早川:はい、そのとおりです。
morich:温度というか、雰囲気がだんだんと変わってくるわけですね。
早川:スポーツ業界も、私が最初に入ってきた時は「何なのだ、あいつは」という感じでした。
morich:確かにそうですね。冷やかしと捉えられたようでした。
早川:私が「アスティーダトークン」を出すと言った時も、「トークンとは何だ?」という雰囲気でした。
「早川周作 完全無視」などで検索すると、「リーグ完全無視、スポーツ界初の上場…“結果でぶん殴る”琉球アスティーダ社長の経営手腕」という記事が出てきます。私は「すべきことを間違えずに、しかるべきことを確実に行えば、絶対に結果が出る」と考えている人間なのです。
morich:政治の世界はどうだったのでしょうか?
早川:政治の世界ではいろいろありました。経験して感じたのは、政治家として世の中に対する影響力や政策を実現する力を持つには、やはり当選回数が最低6回、7回はないと無理です。
morich:1回では難しいのですね。
早川:それを考えると、やはり首長になるほうがよいと思います。
morich:軽はずみな発言はできないと思いますが、いつかもう一度政治の世界に戻りたいという考えはありますか?
早川:大変恐縮ながらも、おそらく近年中にみなさま方が「ああ、こういうことか」となると思います。
中小企業に光を当てるコミュニティ作り
morich:政治家から次のステージに移りました。コミュニティを作られたのですね。
早川:私が政策として掲げてきたのが「中小企業の元気が日本の元気」ということです。99パーセントが中小企業であるにもかかわらず、国家予算が0.01パーセントしかついていないことはおかしいですよね。光の当て方を変えなくてはいけません。
それを考えた時に、やはり中小企業が手を取り合って政策提言できるようなコミュニティが必要だと痛感しました。現在はそのコミュニティを7,000社くらいに広げ、その中で僕がおもしろいと思った起業家の会社、約90社の顧問・アドバイザーを務めています。このコミュニティからいろいろな会社が上場していきました。
morich:会員はみなさま経営者ですよね?
早川:経営者です。
morich:経営者の方々とはもともと接点があったわけではなく、政治の世界から転身した後に地道に関係を作った方たちでしょうか?
早川:最初の創業期にご支持をいただいた企業が多いです。私が創業したのは26年前で、みなさまご存知のとおりITバブルの時期でした。当時のメンバーには個性的な友人が多く、そこから次々と広がっていきました。
最初は10人くらいの仲間内で、ベンチャー企業政策提言をできるような組織を作っていきたいと始めました。そして「来月また開こう」と選挙と同じように続けていきました。
morich:「人を呼んできて」と、どんどん来ていただく感じですね。顧問業を行いながら、次の志・ターゲットはどうやって定めたのでしょうか?
早川:中小企業やIPO支援を行ってきたのも、私は「光が当たらないところに光を当てる」というところでチャレンジをしてきました。
しかし、19歳から新聞配達をするなどして戦い続けてきて、さすがに私も疲れました。実は「もうよいかな」と、一時的に年の半分くらいを海外で暮らしていたのです。
morich:いわゆる「FIRE」ですね。
早川:あちらこちらに行き、娘も55ヶ国くらいに連れていきました。そのような中で、6年ほど前に、「5歳で始めて、15歳でメダルが取れる可能性があるスポーツ」「貧富の格差が拡大する沖縄でも、お金をかけずしてチャンスが与えられる球技」として、卓球があると言われたのです。
morich:その時にはすでに沖縄に移住されていたのですよね。なぜ沖縄だったのですか?
早川:そのとおりです。海外に移住せず、沖縄に住んでいます。はじめは移住先として、シンガポールや香港などを考えていましたが、実家には私の母親が残されていたのです。
母親は秋田県の金浦町という漁村で生まれた人で、「外国なんてとんでもない」と言ったため、それなら日本語が通じる沖縄にしようと、12年、13年前にベースを移しました。
morich:お母さまも一緒に移られたのですね。
早川:はい。離れて住むといろいろな問題があるため、近くに住んでもらっています。「イオンモール沖縄ライカム」という大型ショッピングモールの近くなのですが、そうするとよく歩くのでボケないのです。
morich:それに、沖縄の方はみなさま、お元気な印象です。
早川:大型ショッピングモールの近くで、沖縄をベースとして生活を始めました。最初は六本木1丁目のアークタワーズにも家があったため、行ったり来たりしていました。
無縁だったスポーツの世界
morich:移住当初はスポーツビジネスやマーケティングなどについては考えていましたか?
早川:まったく興味がなかったですね。JリーグやBリーグのチームの社長の就任依頼などは来ていましたが、まったくピンと来ませんでした。
morich:ご自身は過去に何かスポーツをプレーされていたのですか?
早川:いや、していません。高校時代は応援団に所属していました。
morich:明治大学の時はもうお仕事をされていましたものね。
早川:ずっと仕事をしていました。
morich:スポーツとは無縁だったのでしょうか?
早川:無縁でした。あえて言えば、40歳からトライアスロンを始めました。ある雑誌の関係で取り囲まれて「運動不足の経営者がトライアスロンにチャレンジする企画を始めよう」と言われ、「絶対にしない。なぜ泳いだ上に走るのかわからない」と言っていたのです。
morich:「なぜあんなに苦しいことをするのか?」ということですよね。
早川:そのとおりです。しかし断り続けていたら「断るのはできないからだ」と言われ、「できるけどしないだけだ」と話したのです。飲み会が終わる頃には挑戦する羽目になっていました。
その後妻に泳いでいる姿を見てもらったら、「衝撃的な40歳」と言われました。
morich:確かに泳ぐイメージがあまりないです。
早川:「あなた泳いでいるの? 溺れているの?」と言われたのです。
morich:そこからのスタートですか?
早川:私は自分が泳げないということを40歳で知ったのです。そこから北島康介さんがプロデュースした代官山のプール施設「AQUALAB」に38回通いました。
morich:ストイックですね。
早川:今は、5キロメートルくらいは普通に泳げるようになりました。
morich:溺れているところから5キロメートルとはなかなかです。
早川:最初は沈んでいただけでした。溺れていたのと同じです。
morich:その前にスポーツの世界との接点はありましたか?
早川:ぜんぜんありませんでした。
卓球との出会い
morich:沖縄に行ってから、スポーツ業界への誘いがあったのですか?
早川:Tリーグが立ち上がった時、大学の先輩の松下浩二さんが、たまたまチェアマンになったのです。
morich:福原愛さんがいた時でしょうか?
早川:福原さんが理事になった時ですね。たくさんのご迷惑をかけて申し訳ございません。
福原さんは当社の取締役でしたが、半年くらい前にあまりにも報道が過熱してしまいました。我々も上場市場の鞍替えを準備している中で審査上の課題もあるだろうという考えから、今は執行役員のようなかたちになってもらっています。いろいろありますね。
morich:その頃、卓球自体は盛り上がっていた時でしょうか?
早川:ぜんぜんですね。まったく盛り上がっていませんでした。
morich:一時期、卓球フィーバーがあったように思いますが、その頃は少し陰りが出てきていたのでしょうか?
早川:そうですね。まったく人が集まらなかったです。
morich:言われてみれば、オリンピックでは盛り上がりますが、リーグとして見に行くことはなかなかないですよね。
早川:そうなのです。
morich:サッカーやバスケは、リーグに観戦に行くという選択肢があるのですが、確かに卓球のリーグは見たことがないです。
早川:定着していますよね。しかし、Jリーグが30年くらい、BリーグもBJリーグを含めると15年くらいでしょうか? それを考えると、Tリーグはまだできたばかりなのです。人は集まらないですよね。
morich:マーケティングもしていないですしね。
早川:そうなのです。
morich:「Tリーグを託す」と言われたのでしょうか?
早川:「5歳で始めて、15歳でメダルが取れる可能性があるスポーツ」「貧富の格差が拡大する沖縄でも、お金をかけずしてチャンスが与えられる球技」と聞いて、私は30分でチームを引き受けてしまったのです。
morich:なぜですか?
早川:志を感じたからです。
morich:卓球はラケットがあればできますものね。
早川:そのとおりです。
morich:私も田舎の生まれですが、小学校の時に卓球大会があり、優勝したことがあります。ラケットさえあればどこでもできますよね。お金持ちでないとできないスポーツではありません。
早川:「5歳で始めて、15歳でメダルが取れる可能性がある」「お金をかけずにチャンスが与えられる」という話を聞いた時に思い出したことがありました。
工場用地をM&Aする案件で中国の深圳から内陸部に行った時、路上の横で上半身裸の人がビリヤードや卓球をしている姿を見たことがありました。その境遇から這い上がっていくストーリーや思いを、卓球で実現できるのではないかと思ったのです。
しかし、引き受けるに至る前提はありました。ある航空会社が4,000万円でスポンサーに付くこと、強いチームだから大丈夫だということを聞いていたのです。「それなら挑戦してみよう」と思い、引き受けました。そうしたところ、また「ハッピーセット」が来たのです。
まず、そのメインスポンサーに「そのような話は聞いていない」と言われました。「あれ?」と思いました。
morich:前提が変わりますね。
早川:さらに「強いチーム」と聞いて引き受けたのですが、試合をする度に負けるのです。
morich:要は選手がいないということですか?
早川:ダントツで最下位でした。思わず役員に「卓球って、こんなに負けるスポーツなんだな」と言ってしまったほどです。
morich:しかし、どこかのチームは勝っています。
早川:役員にも「どこかのチームが勝っているから、うちのチームが負けているのですよ」と言われ、「確かにそうだ」と思いました。
morich:本当に恐縮ながら、現在Tリーグには何チームあるのですか?
早川:最初に4チームでスタートし、現在は男女で12チームです。各都道府県に続々とチームができています。
morich:その中の最下位だったのですね。
早川:ダントツで最下位でした。自信を持って言えます。ファーストシーズンの勝率を見ていただければ、愕然とします。
morich:それではスポンサーは付きようがないですね。
3年で日本一のクラブチームへ
早川:そこで、強いチームにしたいと思い、3年で日本一のクラブチームにすると決めました。
morich:すごい志ですね。
早川:いろいろなことがありました。戦っても、戦っても負けて、一生懸命になってスポンサーを開拓しました。これまでの人脈を最大限に使い、頭も下げて夜中まで付き合いました。最初に2億円、3億円が必要だったのです。
一生懸命にお金を集め、選手に託し、ハイタッチをして送り込むのですが、負けるのです。
morich:スポーツビジネスで難しいのは、スポンサーを集めればよいというだけのお話ではなく、勝たないとだめだということですね。
早川:そうなのです。例えばM&Aの案件やなにかの交渉事で、営業担当者の調子が悪い場合は「調子が悪いなら私が行こうか?」と言えますよね。
しかし、卓球などスポーツではそうはいきません。我々のチームには日本のエースの張本智和選手がいますが、彼をハイタッチして送り出した後、調子が悪そうだからと、「私が代わりに『チョレイ』してくるよ」と言って試合に出て1点を取れるかというと、絶対に取れないですよね。
morich:絶対に無理ですね。
早川:だからこそ、おもしろいのです。自分は本当に死にもの狂いで働いて集めたお金を投じ、選手たちは僕のマネジメントの範囲外で一生懸命がんばり、しかし経営陣と選手たちでビジョンとミッション、バリューを共有して、強いチームを作っていくのです。これは、会社経営だけでは感じられないおもしろさです。
morich:ビジネスの世界で泣くようなことはそうそう起きないですが、スポーツビジネスですとそのようなシーンも生まれますね。
早川:3シーズン目で優勝した時、私は泣きました。
morich:本当ですか? やはりスポーツには特別なものがありますね。
早川:夢と感動があります。逆に、夢と感動をこれだけ与えられるものにもかかわらず、お金の循環がなかったのです。
morich:確かに、そうですね。
早川:ですので、ガバナンスも効いていないし、ディスクロージャーもされていないし、1社も上場していないわけです。海外のマンチェスター・ユナイテッドの時価総額は3,000億円まで達していたり、ドイツのF1チームも時価総額300億円となったりしています。
しかし日本では、天下の鹿島アントラーズがメルカリに61.6パーセントの株式を15億8,000万円で取得され、買収されています。
これだけエモーショナルになれる、テクノロジーが進化する中でも不変の価値があるものが、なぜこれほど軽んじられているのだろうと思います。この状況を変えたいと思い、上場まで着火していった感じです。
morich:火がついたところですね。
早川:「チャッカマン」です。
morich:運営会社としての立ち位置と、選手たちのチームビルディングと両方をするのですよね?
早川:そのとおりです。例えば、始まったばかりのリーグで、仮に選手費用が8,000万円から1億2,000万円かかるとしたら、P/Lがそもそも1億円のショートから始まるわけです。
morich:そこからのスタートになりますね。損益分岐点がそこになるわけですものね。
早川:そうなのです。当時は、例えば10億円のうち1億円の利益を出して、株価を付けてそのスケール感を保つというのが定番の上場スキームでした。
morich:そうですね。
早川:それが、本来の「10億円で1億円の利益を出さなければ」という状態の環境ではなく、まずマイナスから入るわけです。
morich:特殊ですね。スポーツビジネスはなかなか難易度が高いです。
早川:しかし、おもしろいです。おもしろいのですが、このような経営面を選手にどのように理解してもらうかという悩みはあります。
琉球アスティーダスポーツクラブは沖縄県中城村という人口2万人の村からスタートし、私自身もいまだに家賃4万8,000円のところに住んでいます。
morich:今も住んでいるのですよね?
早川:今も住んでいます。
morich:そこにはなにかこだわりがあるのですか?
早川:どのような状況からでも夢は叶えられるということを証明するために、私はあえて中城村を選んでいます。
Tリーグには、女子チームですと例えば日本生命さまや日本ペイントさまがいます。
morich:スポンサーといいますか、冠が付いている会社ですよね。
早川:そのような上場会社であれば、財務的には余裕があると思います。また、未上場の木下グループさまも自由に使える部分があると思います。
morich:オーナーカンパニーですものね。
早川:そのような会社を相手に、我々は戦わなければいけません。これは非常に楽しいことだと思います。
morich:難易度が高いといいますか、前人未到の領域ですよね。
早川:中城村のアパートの半地下にある名もない会社が、日本で一番B/Sがきれいな会社に立ち向かうかたちになっています。
morich:チームも強くなり、上場も果たしました。いろいろなチャレンジされていますが、正直なところ何が勝因だと思いますか?
早川:私はやはり、「思い」しかないと思っています。強烈に思いを寄せ、強烈に志を持ち、何があったとしてもやり遂げるという「思い」だと思います。例えばプロスポーツチームで初めて上場すると、当然、取引所のみなさまからは嫌悪されます。
morich:そうですよね。審査などは相当厳しかったのではないかと思います。
早川:本当にいろいろなことがありました。優勝した時もそうですが、3シーズン目は毎試合付いて行きました。全試合です。今日もベンチの横で応援する予定です。したがって、私自身が一番の選手の応援者であり、理解者であるべきだと思っています。
しかしながら、これはチームの中に入らなければわからない部分が大きいです。例えばこの前も、少しふがいない戦いをしてしまったと思い、そのことを「X」で投稿したら、「そんなことないです」というコメントをいただきました。それはおっしゃるとおりかもしれません。
しかし、やはりチームの中に入り常に同行することで、選手のモチベーションや、何を食べているか、どのように過ごしているのかという私生活を見て、選手一人ひとりがどのような思いを持っているのかを、私はすべて理解しているつもりです。
morich:普通は監督がだいたいチームビルディングをするのに対して、オーナーはある意味、運営会社のほうを切り盛りするという役割分担ですよね。
早川:それではつまらないではないですか?
morich:監督とも連携して行っているということですよね。
早川:はい、そのとおりです。徹底していますよ。選手とは日々連絡を取り合っています。
morich:では、選手一人ひとりのコンディションも把握できているということですね。
早川:だいたい顔色を見たらわかります。あと、メールの返信の文末が「。」なのか、それとも「!」なのかでもわかります。
メールや「LINE」の文章が何行あるのかによっても、「今コンディションあまり良くないな」などとわかります。
morich:メンタルの状態もわかるわけですか?
早川:だいたいわかります。私はオタクっぽい性質を持っているところがあります。
morich:オーナーと選手という関係を超えていますね。「おやじ」のような感じですね。
早川:本当に「息子」のような感じです。選手と向き合うことがとても好きなのです。外部から見ますと、このような内部のことはわからないと思いますが、私は選手に対して、どのように向き合い、どのように考えているのかということや、「自分がしたいのだ」という思いを常に伝えているつもりです。
morich:選手もその潜在力をめきめきと発揮して、強くなっていくわけですか?
早川:そうですね。本来の能力などの表に出される力ではなく、チーム力や「楽しい」「このチームのために命を懸けて戦うのだ」という非認知能力の部分をどれだけ引き出せるかだと思っています。それはお金では買うことができませんからね。
morich:確かにそうですね。
早川:そのパフォーマンスを最大化するために、どのような声掛けをしたらよいのかを本当に真剣に考えながら行動しているつもりです。
コロナ禍とスポーツチームの稼ぎ方
morich:運営会社としてもいろいろなチャレンジをされていらっしゃいますが、早川社長としてこのスポーツチームをどのようにしていきたいですか? 先ほどトークンのお話もありました。
早川:チケット収入やファンクラブのほか、スポンサーに頼らないでよいような、スポーツチームの稼ぎ方を変えていきたいです。
morich:その部分のアップデートですね。
早川:例えば、サガン鳥栖さまのユニフォームの胸のスポンサーがなくなった瞬間に「何億円の赤字が出た」などと予想することができます。しかし、このことを上場会社の場合で考えると、KPIの設定とそれに対する予実管理をすることはなかなか難しいことです。相手企業の業績など、さまざまなことによって変わってきます。
morich:ボラティリティが非常に大きいと言えますね。
早川:そうです。我々は今、スポンサーは350社ほどいますが、「アスティーダサロン」という経営者のコミュニティも立ち上げています。
こちらは300社の経営者に加入いただいています。スポーツも応援できて、PRやCSRにもつながり、プラスアルファでビジネスにもつながるというコミュニティです。こちらで月額5万円ないし10万円を積み上げていけばボラティリティが極端に大きくなりますよね。
morich:サブスクリプションのようなモデルですね。
早川:そのとおりです。サブスク的なモデルであり、なおかつチャーンレートが低めであり成長性が示せるといった事業を2023年5月に立ち上げました。
morich:立ち上げたのですね。
早川:なぜこれを立ち上げたかといいますと、「コロナくん」というものがですね。
morich:また「ハッピーセット」ですか?
早川:「コロナくん」と「コロナちゃん」というハッピーセットです。
morich:これは手強いですよね。
早川:パタパタと飛んで来ましたよね。沖縄が震源地などとも言われました。
morich:「オリンピックだぞ」と、ちょうどスポーツが盛り上がるタイミングでしたよね。
早川:そうです。上場して「ここから行くぞ」と意気込んでいたタイミングでした。さらに、我々はけっこう大きい卓球バルのような店舗も持っていました。
morich:そうですね。そのような店舗ビジネスなどもされていたわけですものね。
早川:はい。「どこまでも どこまでも」と落ちていく感じでした。けっこうユニークな経験でした。
morich:そうですか。その経験を経ているわけですよね。
早川:あの当時はもうキャッシュが湯水のごとく消えていきました。できたばかりのスポーツチームで月間2,000万円、3,000万円が飛んでいくわけです。もうヒューンと墜落するような気持ちですよね。
morich:身も蓋もないということですね。
早川:けっこうユニークでした。今は笑い話になっていますが、ちょうど新型コロナウイルスが流行し始めた時に役員から「このままだとお金なくなります」と言われました。
思わずその役員に、「いいか、コンビニエンスストアのATMに行って、キャッシュカードを入れて4桁の番号を押したら、お金が出てくるだろう。銀行には大きい金庫があって、その中に何十億円のお金があるだろう。たまたま琉球アスティーダの口座に、たまたま今お金がないだけだ」と言いました。
morich:世の中にはあるということですね。
早川:そのとおりです。
morich:「ないわけではない、それが琉球アスティーダの口座ではないだけで」ということですね。
早川:「世の中にはたくさんあるよ」ということです。
morich:循環させればよいという話ですね。
早川:そのとおりです。よく持ちこたえたと思います。
morich:そのメンタリティが本当にすごいと思います。
福谷:すごいですよ。
morich:今日このようにしてここにいらっしゃるということは、きちんと持っているということですね。この後は試合もあります。
早川:しかし、きつかったです。
morich:簡単におっしゃられていますが、社員も家族もいて大変だったと思います。
早川:我々はコロナ禍において、飲食事業部なども含めて社員を1人も解雇しないと決めていました。意地でも雇用を守ってきました。
新型コロナウイルスが落ち着き、お客さまが再び沖縄に戻ってきてくれたのですが、おもしろいことに、コロナ禍で我々が必死に守り続けてきた社員が何人か辞めていきました。
morich:それはおかしいですね。
早川:しかし、そのことをいちいち気にしていても仕方がありません。したがって、すべてをギャグにしています。
morich:きっとそのようなことが本当に必要な力ですよね。
早川:「ぜんぶ楽しくやろうぜ」という感じですよね。
morich:コロナ禍もありつつ、先ほどのお話にもあったとおり経営者サロンも作り、企業に対してスポンサーとしてだけではなく、マーケティングで会員さまにきちんとメリットを提供していくモデルを作ったということですよね。
早川:今は300社ほどの会員いますが、このサロンの立ち上げが大変でした。
morich:簡単におっしゃられていますが、スポンサーだけなくきちんとマーケティングとしてもメリットを享受させていくというのは、なかなか難しいことだと思います。
早川:我々の株主に、グローバルWiFi事業で有名な株式会社ビジョンの佐野さまという方がいらっしゃいます。その佐野さまがコロナ禍の苦しい時に、「止血と輸血、両方必要だよね」と、3分の間に追加で5,000万円ほど出資してくれました。
支えて下さっているみなさまには、本当に心から感謝しています。私は常に「掘らないと絶対高くジャンプできない」と思っています。つまり、どこまでも掘って、しゃがんで、結果的にその反動で高くジャンプをしていきたいということです。
我々は100万円の資金で立ち上げた会社です。それを100分割し、エクイティでエンジェル投資家のみなさまから三千数百万円投資していただき、その後3分割してVCラウンド、そして、株式投資型クラウドファンディングというかたちで進んできました。
しかし、「この株式投資型クラウドファンディングをしたら絶対に上場できない」と言われました。
morich:一時期、そのような声もありましたね。
福谷:確かにありましたね。
早川:私はこのことが許せず、あえてこのかたちを使いました。
morich:しかし、それから本当に風向きが変わりましたよね。新しい一つの資金調達のかたちが成立しました。
早川:そうなのです。例えば、2億円、3億円の資金が必要な時に、仲間内のエンジェル投資家が集まって仕上げるのはおかしいと思うのです。未上場の会社や将来的に成長性が高い会社に対して、5万円でも10万円でも30万円でも応援していきたいという、ファン株主の概念が大切だと思います。
本来であればエクイティでこのような仕組みが必要なのです。その「それをしたら上場できない」という、よくわからない都市伝説を壊したかったのですよね。
morich:すばらしいことです。
早川:これを東京証券取引所や証券会社に持ち込んでいくと、「なぜこんなに株主がいるのですか?」と最初のほうは言われました。
morich:「このようなモデルだからです」という感じですよね。
早川:そうなのです。そこで「株式投資型クラウドファンディングです」と言いましたら、「それは何ですか?」「反社チェックしているのですか?」と言い返されました。
もちろん、口座を開設する際に反社チェックをして、購入する時も反社チェックをしています。したがって、もし何か問題があれば簿価で買い取るという条件も付けています。さらに、自ら150人分の反社チェックもしました。これはけっこう、楽しかったです。
morich:徹底して確認されているということですね。
早川さま、あっという間に時間が経ってしまいました。
今後の早川周作
福谷:今日、ずっとお話を聞いていられると思っていました。
morich:本当に心地良いです。
福谷:そうですよね。今日はすべてを教えていただけるかと思っていましたが、あまり深堀りができていない気がします。
morich:本当に早川さまのペースでよいです。早川さまのワールドで大丈夫です。
早川:本当にすみません。恐縮です。
morich:むしろ、ここから先、どのようになっていくのだろうと思っています。
早川:気になりますね。
morich:アスティーダの未来と早川周作の未来の両方が気になります。
福谷:個人としての未来ですね。
早川:まずはアスティーダとしては今N1で、現在上場している市場の鞍替えという作業に来年チャレンジしていく予定です。
morich:チャレンジしていくのですね。
早川:今は、日本で一番の時価総額を付けるための仕組みを作っています。徹底してKPIと向き合い、予実管理に取り組み、日々一生懸命に取り組んでいます。
新しいスポーツの循環モデルを作って実現し、アジア最大のスポーツカンパニーとして、500億円の会社を作りたいと思っています。
morich:アジアで最大ですね。
早川:はい、そうです。その反面、私としては世の中の仕組みを変えていくという志に忠実に、しかるべきチャンスが来たら「グサッ」といこうと思っています。
morich:今の表現は一体どのようなことを表しているのでしょうか?
福谷:今日のお話からもわかるようにすべてがたぶんポジティブであると思います。
早川:私はあほだと思うのですよ。
福谷:いやいや、そのようなことはありません。
早川:福谷さまとは長い付き合いですので、おわかりと思いますが、私は転んでも「ラッキー」と思う人間です。
morich:そのようなオーラが出ていますよね。後天的だと思いますが、これは原体験のようなものがあったのでしょうか?
早川:あまりにも刺され過ぎてきたからでしょうか?
morich:多少の傷は大丈夫ということですね。
早川:なんと言いますか、おそらく「スカスカ」なのだと思います。
福谷:逆にスカスカなのですか?
morich:本当に私の周りのベンチャー界隈でも、早川さまの名前を聞かない日はないですよ。
早川:とんでもないです。本当に恐縮です。
morich:ファンがものすごくたくさんいらっしゃいますよ。
早川:いやいや、森本先輩のほうこそ、たくさんのファンがいらっしゃいますよ。
morich:早川さまのファンの方は非常にたくさんいらっしゃいます。「なんなのだ、これは」と思うくらい、たくさんいます。
早川:先輩の1万分の1です。いや、失礼しました、10万分の1です。
morich:とんでもないです。
早川:本当にすみません。
morich:本当にこの人間性はどこからくるのかと思います。
早川:単なるあほなだけですよ。
morich:でも、楽しいですよね?
福谷:楽しいです。
morich:今日、お話ししていてとても楽しいです。なんでもできる気になります。
福谷:本当にそう思います。
早川:すごく悪い言い方になりますが、楽しいこと以外はしたくないのです。
ですので、自分の思いや志に近づくための物事のうち、「楽しい」と思うことはすればよいし、「楽しくない」と思うことは一切しないと決めています。私は比較的「単純脳」です。 今、「TikTok」をしているのですが、初めは「推し」という言葉の意味がわからなかったのです。
morich:推し活などの「推し」ですね。
早川:推し活やZ世代のマーケティングがぜんぜんわかりませんでした。今は「Z世代に我々の力を見せつけてやろう」と思っています。
morich:巻き込みたいですよね。
早川:「TikTok」に「日間ランキング」というのがあるのですが、先月、「1位になろう」と思って初めて配信をしてみました。残念なことに中途半端な43位で終わったのです。
morich:43位は確かに、惜しいですね。トップ3くらいに入ってほしいですよね。
早川:Z世代をびっくりさせようと思ってしたことなのですが、惜しい結果になりました。昨日も100名くらいの講演に呼ばれ、そこで「『TikTok』をしている人はいますか?」と尋ねたところ、2人、3人しかいませんでした。
もはや少しの殺意を感じました。また、4月23日に、日間1位にあらためてチャレンジしようと思っています。
morich:今、10代の関心は完全に「TikTok」です。
早川:そうですよね。
morich:私の息子たちは本当に「TikTok」を使っています。これからのファンを作っていくにはこの世代を攻めないと駄目ですね。
早川:「TikTok」ユーザーのみなさま、よろしくお願いします。「43位でもすごいです」とコメントをいただきました。今日も合計で500人、600人ほどが配信を見てくれていました。本当にありがとうございます。
福谷:すごいですね。
morich:すごいですね。早川社長を一言で表すと何でしょうかね?
福谷:インフルエンサーでしょうか?
morich:インフルエンサーかYouTuberでしょうか?
福谷:TikTokerでしょうか?
早川:いえ、これから名刺を渡す時には「ライバー」と書かれた名刺を渡せるようにしたいです。
morich:来年あたりには「ライバー」になっている可能性もあります。エンターテイナーはどうでしょうか?
早川:いやいや、助けてください。しかし、やはり楽しいことがしたいですよね。
morich:人生一度きりですからね。
早川:森本一族としてですね。
morich:それは何ですか? チーム早川に私を入れてください。
早川:いやいや、チーム森本でいきましょう。
morich:私は沖縄にすごくご縁があり、息子の関係で石垣島に2ヶ月から3ヶ月行っていました。早川社長の近くまで行っていたということですね。
福谷:そろそろお時間となってしまいました。2024年12月9日から11日に「アスティーダ エグゼクティブ サロン2024」が開催されます。
福谷:morichさんにも、ぜひお越しいただきたいと思っています。
morich:行ってもよいですか?
早川:来てくださるのですか?
morich:行ってしまいますよ?
早川:この赤い名刺を持ってきてくれますか?
morich:もちろんです。
早川:昨年は1,000人くらいが集まってくれました。しかし、開催場所が沖縄アリーナでしたので、「遠い」とすごく批判されました。今年は那覇文化芸術劇場が会場です。
morich:確かにみなさま「開催地が遠い」「思った以上に遠かった」と言っていました。
早川:「空港から20分以内で着くと思ったら、渋滞で1時間かかった」などと言われました。
morich:あそこの道は混むのですよね。
早川:今回はその反省を踏まえて那覇にしました。国際通りから少し入った、「那覇文化芸術劇場 なはーと」という場所です。また、昨年は日程も批判されました。12月23日、24日だったのです。
morich:そうでした、そうでした。
福谷:クリスマスでしたね。
morich:一斉にベンチャー界隈の経営者が23日、24日にいなくなりましたので、飲み屋が繁盛しなくなりましたよね。
早川:その反省も踏まえて、日程をクリスマスからずらしました。
morich:「今年は」ですね。
早川:そうです。
morich:本当に行きます、行かせてください。
早川:クリスマスと沖縄アリーナという、「アンハッピーセット」を今回は「ハッピーセット」にしました。Morichさんにはぜひご登壇もいただければと思います。
morich:本当になんでもします。
福谷:そうですね。ぜひお願いします。
morich:エンターテイナーとして、歌ったり踊ったりもします。
早川:お任せしてよいですか?
morich:もちろんです。
早川:ぜひ、よろしくお願いします。
morich:「レッドコンビ」で出させていただきます。
早川:よろしくお願いします。本当にありがとうございます。
福谷:ありがとうございます。お時間も来てしまいました。今日は本当にお話に引き込まれました。引き続きいろいろとお付き合いをさせていただきたいと思います。そしてまた「morichの部屋」に来てください。
早川:いつでも呼んでください。
morich:本当にお願いします。
早川:匍匐前進で来ます。
福谷:「ようやく出会えたこの瞬間」でしたね。今後も末永くお付き合いさせていただければと思っています。本日はありがとうございました。
早川:ありがとうございました。