~morichの部屋 Vol.2 株式会社串カツ田中ホールディングス代表取締役社長 CEO 坂本壽男様~

福谷学氏(以下、福谷):本日も始まりました。

森本千賀子氏(以下、morich):はい、始まりました。

福谷:もう、「morichさん」でいいですか?

morich:OKです。

福谷:ありがとうございます。morichさんとは2回目ですが、前回はいつ頃でしたでしょうか?

morich:もう1ヶ月以上前になりますね。

福谷:第2回目を迎えられて本当に感謝しています。今日は「morichの部屋 Vol.2」ということで、ゲストに素敵な上場企業の社長をお呼びしています。

morichの自己紹介

福谷:番組を初めてご覧になっている方もいると思いますので、morichさんの自己紹介をお願いできますでしょうか?

morich:こんにちは。株式会社morichの森本千賀子です。「もりもとちかこ」の頭文字を取って「もりち」です。新卒でリクルートに入社した際、社内に森本姓の方が何人かいて、「もう紛らわしい」というので、ずっと「もりち」と呼ばれていました。それをそのまま会社名にしています。

リクルート時代は、人材エージェント、転職エージェントとして「人と組織のマッチング」を行っていました。リクルートはアラサーやアラフォーになるとみんな卒業していくのですが、なんと私は25年間も在籍していました。

福谷:25年ですか。

morich:大好きな会社でした。ただ、リクルートにいながら自分のやりたいことも実現するために、副業もしていました。東日本大震災を機に始めて、それからは2足、3足のわらじを履きながら働いて、2017年までリクルートで勤務していました。

ちょうど7年前に独立し、今は、特に組織のピラミッドの上層部にいらっしゃるCxOと呼ばれる方々のキャリア支援をしています。同時にスタートアップ支援なども行っていて、そのような活動を「ソウルワーク(魂の仕事)」と呼んでいます。社外役員やアドバイザーなど、20枚くらいの名刺を持ちながら奔走しています。

福谷:だからなのですね、本当にあちらこちらのメディアで森本さんを拝見しています。

morich:「孫悟空」と言われています。

福谷:そんな森本さんを「morichさん」と呼ばせていただきながら、このような番組ができることを本当に感謝しています。番組のテーマは「morichの部屋」となっています。

morich:こちらこそありがとうございます。某長寿番組の感じで、このような部屋を持ちたかったのですよ。念願が叶いました。

福谷:それでは、ゲストの方をお迎えしましょう。

morich:本日のゲストは、株式会社串カツ田中ホールディングス、代表取締役社長CEOの坂本壽男さんです。いらっしゃいませ、よろしくお願いします。

坂本壽男氏(以下、坂本):よろしくお願いします。

福谷:高級な「morichの部屋」で、高級なゲストをお迎えし、高級なお話が聞ける、このような番組はなかなかありません。

morich:今日はひもといていきたいと思います。

坂本社長の自己紹介

morich:それでは、坂本社長から自己紹介をお願いできますでしょうか?

坂本:株式会社串カツ田中ホールディングス代表の坂本です。慣れない生放送ですが、よろしくお願いします。

morich:実は事前に、坂本社長についていろいろとインプットしてきました。

福谷:シャワーですね。

morich:はい、坂本社長のシャワーを浴びてきました。バックグラウンドがとてもおもしろい、と言うのは恐縮なのですが、もともとお生まれが長崎なのですね?

坂本:長崎の島原市です。

morich:「島原の乱」の島原ですね。

坂本:そこで曽祖父が養鶏場を営んでいました。今の日本と同じなのですが、当時は卵の値段がなかなか上がらず、農家は苦しかったようです。それで養鶏場をやめて、父が犬のブリーダーを始めました。

morich:唐突ですよね。その背景も聞いてみたいと思っていました。

坂本:父は昔から犬が大好きでしたので、それを仕事にしたいということでブリーダーを始めたのです。全盛期には200頭くらい飼育していました。

morich:自宅にですか?

坂本:養鶏場の跡地です。

morich:本格的なブリーダーだったのですね。

坂本:そうですね。幼稚園に通っていた頃から、当時の私と同じくらいの大きさのドーベルマンが5頭から6頭くらいいました。

morich:鶏からドーベルマンに変わったのは、ずいぶん大きな変化でしたね。

坂本:犬はピラミッド社会なので、私の父が頂点で、私たちは2番手でした。そうすると絶対に噛みつかれないのです。犬には噛まれたことがないですね。

morich:犬たちからすると親分なのですね。

坂本:父が親分で、その子分という感じです。

morich:その後、進学校に進学されたのですよね?

坂本:小学生の頃から勉強は好きで、成績はずっと学年で1位でした。中学もそのような感じで、楽しく過ごしていました。

福谷:すごいですね。

morich:普通は地元の高校に行きますよね?

坂本:そうですね。そこから、九州ではけっこう有名な青雲高等学校に進学しました。

morich:とても有名な進学校ですよね。

坂本:先日、偏差値を見たら74くらいでした。今でも全国10位くらいのようですね。

その学校へ進学してはどうかという話になり、「受験だけしてみよう」と思って受験したら合格しました。迷ったのですが、「行かされた」という感じです。

morich:寮生活ですよね? 「もうずっと勉強していた」と書かれているのを拝見しました。

坂本:そうですね。山の上に高校があって、その隣に寮があるのですが、毎日寮と学校を行ったり来たりしていました。

morich:勉強一色ですね。

坂本:朝6時に大音量の音楽で叩き起こされて、運動場へ集まってラジオ体操をします。

morich:自衛隊のような感じですね。

坂本:本当に、軍隊か、何か悪いことをして牢屋に入れられたような生活でした。朝起きて学校へ行って、寮に戻って、夜もまた学校に行って自習していました。

morich:2年目からは下宿生活ですよね?

坂本:よくご存知ですね。

morich:調べました。

福谷:坂本社長のシャワーを浴びていますからね。

morich:今日は何でも聞いてください。

坂本:山の麓にいくつか下宿があって、成績が良い生徒は下宿できるのです。

morich:学力順ということですか?

坂本:そうですね。行ける人と行けない人がいて、私は2年目から下宿に入りました。寮では4人1部屋だったのですが、下宿先では1人1部屋を与えられて、ご飯付きでした。

morich:本当に格差社会ですね。それで、赤門を目指していたのですね?

坂本:寮の名前も「東望寮(とうぼうりょう)」といって、東京大学の「東(とう)」を望む寮でした。

morich:みんな東大を目指していたのですね。

坂本:かなり嫌な思い出ですね。

morich:そうなのですか?

坂本:つらかったです。

morich:結果的に慶應義塾大学に進まれたということで、高校時代は本当に勉強一色でしたね。

坂本:本当に早く出たかったです。「一浪なんてしたら絶対に嫌だな」と思って、一生懸命勉強していました。

morich:それで「大学デビュー」されたのですか?

坂本:タガが外れました。大学キャンパスまで徒歩5分くらいの日吉に住んでいたのですが、講義にはほとんど出席していませんでした。長崎から出てきたので社会との接点がなく、友だちもいませんでした。

morich:それまで勉強ばかりの生活だったために、外の世界との接点がなかったのですね。

坂本:アルバイトをしようと思い、近くの喫茶店で働き始めたのが飲食業との最初の関わりでした。

福谷:なるほど。

morich:いわゆる、街中にある喫茶店ですか?

坂本:そうですね。「カレーハウスサンタ」というお店です。今はもうないようです。

morich:カレー調理もされたのですか?

坂本:カレーも作りました。1階でカレーとコーヒーを提供して、2階がカラオケ、3階と4階がパーティルームになっているのですが、それを1人で回していました。すごくないですか?

morich:すごいです。大学生ですよね?

坂本:日替わりのバイト店長のような感じで回していましたね。

morich:アルバイトが、1人でお店を回していたのですね。ほかにスタッフはおらず、カレーを作りながら、他の作業もするということですよね?

坂本:作りながらですし、すごく頭を使うので器用になります。

morich:かなりのマルチタスクですね。

坂本:1つの作業をやりつつ、別のものを温めて、コーヒーを落としておいて、のような感じです。

morich:そのあたりからビジネススキルが磨かれたのでしょうか?

坂本:そうですね。IPOの時もいろいろなことを同時並行で進めていました。

福谷:そこにつながるのですね。

morich:喫茶店での経験が活きているのですね。サンタさんのおかげですね。

坂本:売上の締めも行っていました。1人1台パソコンを持てる時代ではなかったため、アルバイト先にあるパソコンで、社長からExcelなどを少しずつ教えてもらい、「こんな便利なものがあるんだ」と思いました。

morich:大学生でExcelも使っていたのですね。

坂本:そうですね。そこで初めて会計も経験しました。

morich:すべてつながりますね。

坂本:今思えば、すべてつながっていますね。

坂本社長の新卒時代

morich:坂本社長のバックグラウンドについてもう1つ気になっていたのが、新卒で化学メーカーに入られたことです。理由は何だったのでしょうか?

坂本:あまり就職に興味がなく、就職活動を真面目にしていませんでした。大学時代は遊んでいて、単位はなんとか取っていましたが、やりたいことが見つかりませんでした。とりあえず給料は高いほうがいいかなと考えた時に、独占企業は条件が良いはずだと思いました。

morich:トップシェアの企業ということですね。

坂本:新卒では日本酸素ホールディングスに入社しました。液体酸素や液体窒素、液体アルゴンなどでトップシェアの独占企業です。これらの原料は空気なのですが、空気を液体空気にして、そこから分離して製造しています。

morich:そのようなテクノロジーを持っているのですね。

坂本:そのため、「空気が原材料って、タダじゃん」「めちゃくちゃ利益が出るんじゃないか」と思いました。

morich:確かに、原価がかからないですね。

坂本:ただし、実際は相当な電力が必要になるため、そうでもないのです。

morich:そこまで考えて入社されたのですね。

坂本:「どうせ勤めるなら、独占企業にしようかな」と考えました。他にもいくつかそのような会社の選考を受けましたが、内定をいただいた会社に就職したというかたちです。

morich:そこで、最初はタンクローリーを。

坂本:怖いくらい、よくご存知ですね。

福谷:どこに情報があるのですか?

morich:営業するつもりはありませんが、隈なく調べました。

坂本:おっしゃるとおりで、1年目は関東物流センターに配属され、タンクローリーの配車を組む仕事をしていました。

morich:液体窒素などを運ぶわけですね。

坂本:関東に工場がたくさんあるのですが、そこに向けた配送スケジュールを毎日組んでいました。

morich:そこから営業に異動されたのですよね。

坂本:「営業へ行け」と言われ、厚木営業所に配属されました。そこの所長が大のラグビー好きで。

morich:ここにラグビー好きな私との接点があるのです。

福谷:morichさんは「ラグ女」と呼ばれるくらいラグビー好きですからね。

morich:大学時代はマネージャーをしており、今は静岡県ラグビーフットボール協会の理事をしています。「ラグビー」のフレーズを見つけた瞬間に「よし」と思いました。本格的にプレーされていたのですか?

坂本:社会人リーグの4部で、毎週日曜日にプレーしていました。そこも寮生活で、やはり朝は起こされるのです。3畳一間の寮で、朝から「ラグビー行くぞ」という感じでした。

morich:ラグビーの経験はなかったのですよね?

坂本:なかったのですが、いきなり試合に出場しました。「ボールを取ったら、あそこまで走ればいい」と言われましたね。

morich:ウィングですね。

坂本:そうです。何でも知っていますね。

morich:でも、良かったですね。プロップなどは大変ですからね。

坂本:案の定タックルされ、ボールを離したら取られてしまうので、持っていたら反則になりました。「ノットリリースザボール」と言われました。

morich:まだルールも知らなかったのですね。

坂本:知りませんでした。「ボールを持ったら走れ」と、言われたとおりにプレーしていました。

公認会計士取得への奮闘

morich:公認会計士までの道のりが、またおもしろいですよね。

坂本:そこから2年半くらい営業を続けていましたが、サラリーマンという働き方にあまりイメージがつきませんでした。自分の父も含めて、地元の島原では大きな会社もないため、自営業ばかりだったのです。サラリーマンは、「何年勤めると、このくらいの給料になる」というのがある程度決まってしまいます。

morich:先が見えてしまってつまらないですよね。

坂本:自営業はがんばったらがんばった分だけ実になっておもしろそうだし、サボったらサボった分だけ駄目になっていきます。そのような働き方のほうに馴染みがありました。

その当時、友だちが税理士の試験に合格したのですが、税理士はすべての科目に合格するまで5年くらいがんばらないといけません。友人はとても楽しそうに働いていて、友人の父親も税理士で、家業のように仕事を続けていくのはいいなと思いました。

サラリーマンだと、自分ががんばっても業績は承継できませんが、税理士などは後世にお客さまを残せます。それで2代目も豊かになれるのはいいなと思いましたが、5年もかけるのは無理だなと思いました。ただ、調べているうちに公認会計士という資格を見つけました。公認会計士なら、最短1年で資格を取得できます。

morich:最短で資格を取ろうと思われたのですね。確かにそうなのですが、私がいろいろな方の転職支援をしている中では、「公認会計士は諦めました」「10年勉強しています」という方もたくさんいらっしゃいます。

福谷:それを「最短で1年で合格できる」と思われたということですね。

坂本:公認会計士だと税理士の業務もできるため、それがとてもいいなと思いました。

morich:勉強の仕方は、高校時代に身に付けたものが活きたのでしょうか?

坂本:勉強の仕方と言うか、我慢強さが大事なのかなと思います。公認会計士の試験も2年半がんばったのですが、朝7時からテストがあって、夜は21時くらいまで、ほとんど休憩も取らずにずっと勉強するのです。それを月曜日から土曜日までひたすら続けていました。

morich:その生活に2年半も耐えるのはなかなか難しいですね。

坂本:高校時代はもっと厳しい生活をしていたので、それが強みになったと思います。そのような生活を耐え抜いて、1年目は落ちましたが、2年目で合格できました。

morich:プライベートな話題も挟み込んでいきますが、その間は収入がゼロだったわけですよね?

福谷:確かにそうですね。

morich:それをどなたが支えていたかというと。

福谷:そこまでご存知なのですか?

morich:調べ尽くしました。

坂本:怖いですね。悪いことができない。

morich:今の奥さま、当時お付き合いされていた彼女が支えてくださったのですよね?

福谷:そのエピソードをご紹介いただいてよろしいですか?

坂本:TACという専門学校があるのですが、学費が50万円くらいかかりました。会社を辞める時に車を売るなどして150万円くらいの蓄えがあり、毎日1,000円だけを使う生活を送るようにしていましたが、1年で底をついてしまいました。

昼食は、スカイビルの「エビス」というレストランで500円で食べられました。今でも覚えているのですが、この前行ったらなくなっていました。そこでみんなで集まって、コーヒー付きのランチを食べて、夜はセブン-イレブンで発泡酒とお弁当を買っていました。

morich:それでもお金が足りなくなってしまったのですね。

坂本:その後は、現在の妻に電気代などを払ってもらっていました。

morich:まさに内助の功ですね。

坂本:頭が上がらないですね。

坂本社長と「串カツ田中」の出会い

morich:そして無事に資格を取得されて、EY新日本有限責任監査法人に入られたということですが、当初は独立しようと思われていたのですよね?

坂本:そうなのです。監査法人で10年修行してから独立しようと決めており、10年経った時に自分のパソコンを買って、名刺も作りました。

morich:もう名刺も用意していたのですか?

坂本:公認会計事務所の名刺を作って、登録もしていました。「これからがんばるぞ」と思っていたのですが、その年の年末くらいに、監査法人のクライアントとして上司と一緒に私も担当していた「串カツ田中」の、現在の貫会長とたまたまお会いしたんです。

「串カツ田中」で飲んでいたら、貫がふらっと、20人くらいの団体で来店されました。

morich:まさかの展開ですね。

坂本:顔見知りでしたのでご挨拶して、「監査法人を辞めて独立します」と話したら、「そんな奴はたくさん見てきたが、絶対うまくいかないよ。上場準備のためにCFOを募集しているから、よかったら来て」と言われました。

morich:奇跡のご縁ですね。

坂本:その時は独立する気満々でしたので、受け流していました。

morich:名刺も用意し、登記もされていましたよね。

坂本:それから1ヶ月後、来月から本当に給料ゼロだという時に、子どもが3人いたこともあり、かなり不安になりました。そこで、貫のあのセリフを思い出しました。

電話してみると「明日決めるところだ」と言われたため、急遽私も面接に入れてもらい、採用にいたりました。

morich:すごいタイミングですね。貫会長もついていますね。

福谷:これは持っていますね。

morich:私、実はリクルート時代に「串カツ田中」を担当していました。

福谷:おっしゃっていましたね。

morich:当時社長だった貫さんとお会いしていたのです。トレードマークの真っ白なスーツに白縁の眼鏡で、「なんだこの人は」と思いましたが、数字に強く大変クレバーな方でした。

坂本:当時20店舗くらいあった各店の毎月の売上と利益をすべて覚えておられて、すごいなと思いました。

morich:不安を感じた時に貫会長の誘いが頭をよぎって電話かけたことが、本当に今日に至るまでのターニングポイントですね。最初はCFOとして入社されたのですよね? 入社された後はいかがでしたか?

坂本:入社が2015年1月で、2月に株主総会がありました。少しテクニカルな話なのですが、株主総会までの残り1ヶ月で、過去3年間の決算を会計基準に沿ったものに直す必要がありました。

morich:いきなりですか?

坂本:はい、いきなりです。その頃は、朝は誰よりも早く来て、夜は誰よりも遅く帰っていました。

morich:できたのですね。

坂本:できました。もしできなければ、上場が1年遅れることになります。

morich:ひたすら勉強した高校時代や公認会計士試験の頃のような、気合と根性でやり切ったのですね。

坂本:そうですね。上場準備のメンバーも経理部1人でした。

morich:当時の管理体制がですか?

坂本:はい、私と合わせて2人です。そこから人を増やしていきつつ、手分けして作業を見ながら、トントンと進みました。売上のほうは貫がしっかりと出していました。営業部も相当がんばって、出店も売上もどんどん増えていました。

morich:入社された時は、「串カツ田中」が何店舗くらいあった時ですか?

坂本:FCも合わせて50店舗あるかないかくらいの時で、上場の1年半前です。会長が「上場するんだ」と言ったことで、みんなの協力や一体感がとても強かったのを覚えています。

坂本社長へのバトンタッチ

morich:「串カツ田中」の組織力はすごいと思います。私も担当していたのでわかるのですが、外食業界のお客さまの中には、離職率が高く足元がグラグラしているところが多いのですが、「串カツ田中」はマネジメント体制も含めて、足腰が非常に強い組織だと感じていました。

そうなるように、貫さんが工夫されていたのでしょうか?

坂本:最初はなんでもご自分でされていたので、相当苦労されていましたが、上場を目指すにあたって組織や役割分担を変え、権限委譲もしました。しかし、普通の創業者だとあれもこれも自分でやりたがるため、権限を委譲するといっても難しいものがあります。

morich:「オーナーあるある」ですね。

坂本:なかなかうまくいかないものですが、貫の場合は割り切って、自分のすべきことをし、あとはしっかり他にすべて振ってくれました。考え方が理論的というのでしょうか、物分かりがすごくいいのです。

morich:合理的ですよね。

坂本:上場のためにすべきことはするので、トントンと、すんなりと進みました。

morich:いわゆるトップとナンバー2の関係で、ストレスはありませんでしたか?

坂本:そうですね。

morich:やはり「オーナーあるある」で、トップが独特の世界観を持っていて、ナンバー2の方が非常に苦労されるというのがよくあります。

坂本:私も上場準備を何社かお手伝いしましたが、本音と建前というか、「上場するぞ」とは言いながら私利私欲な人が多いものです。

morich:多いですよね。

坂本:貫の場合はそうではありませんでした。上場が本当のゴール、1つの通過点として目指し、そのために自分をしっかりコントロールしていました。

morich:「すごく楽しかった」と書かれているのを拝見しました。

坂本:きつかったですが、楽しかったですね。

morich:多くの方は関係性に非常に悩むものですが、そうではなかったのですね。そして無事に上場したら、なんとバトンタッチの打診があったということですね。青天の霹靂でしたか?

坂本:青天の霹靂ですね。

morich:まだ貫さんは若かったですしね。

坂本:おっしゃるとおりです。突然、会議室に呼ばれた時は、「何か悪いことしたかな」と思いました。

morich:何事かとドキドキしますよね。

坂本:「ゼロから始めて300店舗まで増やしてきたが、ここから1,000店舗を目指していきたい。そのためにはやはり、しっかりした経営や金融の知識が必要」とのことでした。

morich:M&Aも含めてですね。

坂本:M&Aも含めてです。そのような知識が必要になってくるので、「代わったほうがスムーズにいくのではないか」ということでした。

morich:先ほど権限委譲とおっしゃっていましたが、この決断は本当に最大の権限委譲だと思います。普通は、会長として残るがために、院政というか、みんな会長のほうを向いてしまうものです。そこを、しっかりと坂本社長に権限を渡されたのですね。

坂本:「代表権もいらないのですか?」と聞くと、「いや、いらない。それがあったら今までと何も変わらないでしょう」と言っていました。

morich:確かにおっしゃるとおりです。

坂本:代表権は私だけになりました。

morich:非常に潔いです。

坂本:「私は取締役会長でよい」ということでした。

morich:しかし、それはそれで「責任」も含めての権限委譲ですが、どのような心境でしたか?

坂本:少し燃えましたね。

morich:逆に燃えましたか。もともと独立したいとも思ってらっしゃいましたしね。

坂本:もともと幼い頃から社長になりたいという思いはありました。ここで夢が叶うとは思いませんでした。

morich:こんなに早くに叶うことになったのですね。

坂本:そうですね。

morich:貫体制から坂本体制になり、大きく変えたことはありますか?

坂本:社長や経営者には、やはり判断力や情報収集、統率力やリーダーシップなど、いろいろな能力が必要です。1人でそれらすべてを兼ねるとなると、貫はできたのかもしれませんが、なかなかそうはいきません。

morich:カリスマ性も必要ですね。

坂本:なかなか1人ではできないことですので、チームで経営していこうと幹部陣と話をしました。

morich:幹部のみなさまも「ウェルカム」で、みんなで盛り立てていったのですね。

コロナ禍

morich:そこからまた快進撃を続けていますが、今回のコロナ禍の影響は大きかったのではないでしょうか?

坂本:本当に大きかったです。

morich:飛ぶ鳥を落とす勢いで右肩上がりに伸びていた中で、コロナ禍はどのような景色だったのでしょうか?

坂本:「もう営業するな」と言われていました。

morich:そうですよね。

坂本:「お酒出したら駄目」「営業したら駄目」との声や、時短営業の要請など、本当にもう「飲食店が悪」のような雰囲気でした。

morich:一時は本当にそうでした。

福谷:ありましたね。

坂本:「伝染病の巣窟」のように言われる中で、従業員も飲食店の将来性を心配していました。

morich:非常に不安になりますよね。

坂本:不安になります。やはり相当な数の離職もあり、大変でした。

morich:1,000店舗に向けて勢いを止めずに進んでいた中でのコロナ禍でした。

坂本:ただし、「『串カツ田中』を全国1,000店舗」にすることが、我々の長期目標ですので、コロナ禍でも出店を続けました。

morich:出店を止めなかったのですね。

坂本:コロナ禍は2年ほどで終息するだろうと思っていました。実際には3年くらいかかりましたが、いずれは必ず終息すると思っていたため、長期目標は崩さずに「良いところがあれば出店していこう」という姿勢で出店はしていました。

コロナ禍でも店舗を増やしている企業として、少し名前が挙がったこともありました。

morich:当時はほとんどの企業で出店を止めていました。逆に退店があったくらいです。

坂本:我々も退店はありましたが、店舗を増やしてもいました。

morich:坂本社長は当時、どのように社員の方と接点を持たれたのですか?

坂本:いろいろな会議で話したり、社長になってからは店舗を回ったりしていました。店長と一緒に寿司やラーメン、焼肉を食べて1時間くらいで帰るということを、今の時点で60店舗から70店舗くらいはしています。

morich:一度はすべての直営店を回るつもりなのですか?

坂本:そうですね。直営店は150店舗くらいありますので、まだ回り切れていません。

morich:半分くらい回られましたね。そこで、思いを伝えたり、現場の要望を聞かれたりされるのですか?

坂本:私が話すというよりは、現場のみんながどう思っているのか、どう考えているのか、話を聞く時間として店舗を回っています。

影響を受けた人物たち

morich:貫さんは、そのように店舗を回ることはあったのですか?

坂本:以前は回っていましたが、最近はありませんでした。その代わり、運動会や社員旅行などの場で店舗の人と話していました。運動会は今年復活し、大阪と東京で分けて行い、東京で650人、大阪で250人集まりました。

morich:店舗はお休みにしたのですか?

坂本:お休みにしました。

morich:全員が集まるような催しですね。貫さんが社長だった時は背中を見ていたわけですが、今も参考にしていることはありますか?

坂本:長い間近くにいたことで貫のスタイルが染みついているため、「どこを参考にしているか」と言われると具体的には答えられませんが、色々な面で参考にしているとは思います。

morich:ずっと一緒にいたのですか? 

坂本:一番近いところにいました。

morich:そうなのですね。私は貫さんとビジネスでお会いして、穏やかなイメージを持っていますが、濃淡はあるのでしょうか?

坂本:それはあります。駄目なことや無駄なことをしているとやはり怒ります。

morich:経営哲学ではないですが、坂本社長が非常に参考にしていたり、これはすごいと思われたりしていることはありますか?

坂本:当社のバリューとして、「楽しむセンス・楽しませるセンス」というものがあります。仕事は楽しいことばかりではありませんが、きつい仕事も楽しんで行えば上達し、次はさらに良い仕事が得られます。そのようにして成長していけば、人生は上手くいく、このような話はやはり貫が考えたものです。

morich:貫さん自身も実践されていましたか?

坂本:そうですね。貫はトイレ掃除なども、「誰よりもきれいに、誰よりも早くやってやろう」と言って取り組んでいました。

morich:やはり、今の店長の方々も実践されているのでしょうか?

坂本:その言葉はみんなに浸透していると思います。

morich:貫さんからのメッセージで、強烈なインパクトを受けたものありますか? 貫さんは本当に存在感がすごい方で、表現の仕方を含めて一言一言に、言霊がある方だと記憶に残っています。

坂本:貫からもいろいろなメッセージを受け取っていますが、そのような意味では、当社の社外取締役に赤羽根さんという方がいます。DTSというNTTデータ関係の子会社の上場企業で社長をされていた方で、貫が懐石料理のお店を営んでいた頃のお客さまでした。

貫は、赤羽根さんから「男なら上場しろ」と言われたことで上場を目指しました。

morich:影響を与えた方なのですね。

坂本:赤羽根さんの「CFOも取締役の1人なのだから、やはり勘を当てないと経営者じゃないよ」「本当の経営者になるなら、勘を当てろ」というようなお話が非常に頭に残っています。いろいろな情報や経験があっても最後はやはり勘ですよね。誰も教えられないことです。

morich:いろいろな情報を集めても、「AとBどちらを選ぶのか」は、最終的には直感ですよね。

坂本:それが判断ということだと思います。CFOの頃もそうしたことを意識し、自分なりに考え「こっちだ」と言ってきました。そのようなことが評価され、おそらく貫からも信頼され「社長に」と言ってもらったのだと思います。幹部陣も「この人の勘は当たる」と思えば、やはり着いていくものですので、そのようなところが重要だと考えています。

morich:坂本社長は高校時代や公認会計士の勉強をされていた時代も含めて、勘で判断するまでのプロセスのところに、すさまじいほどの情報収集やロジック、また学習があると感じます。

福谷:確かにそうですね。

坂本:どうでしょうか。ただ、やはり雑誌も本も読みますし、いろいろな経営者やCFOとの付き合いから情報を得るようなことはしてきました。

morich:最終的には直感だとしても、その裏付けとなるさまざまな情報のインプットがあってこそのことなのでしょうね。

「串カツ田中」の経営理念

福谷:人材育成にも力を入れているとお見受けしましたが、前社長の思いも非常に引き継がれています。コロナ禍を乗り越えた「串カツ田中」の、現在の経営理念や成長戦略について深掘りしていきたいと思います。

坂本:「串カツ田中」の経営理念は「串カツ田中の串カツで、一人でも多くの笑顔を生むことにより、社会貢献し、全従業員の物心両面の幸福を追求する。」ことです。やはり、中に書いていることは「笑顔」です。

お客さまの笑顔を集めて、お客さまを笑顔にすることによって社会に貢献し、それが自分のやりがいやうれしさにつながっていきます。そうして従業員みんなが成長して、さらにがんばって、物心の「心」のところが伸びて、それが成長したら給料に跳ね返って、物心の「物」のほうにも反映されて、物心両面の幸福につながるという考え方です。

しかし、コロナ禍ではお客さまがぜんぜん来ませんでした。

morich:お客さまと会えないですよね。

坂本:お客さまと会えないため、何をやりがいにしたらいいのかわからなくなり、辞めていく人が多かったのです。

そこで、大事なことをもう一度思い出してもらいたいと考え、昨年くらいから「おもてなし」を重要視してもらうようにしました。おもてなしをしてお客さまを楽しませることで、自分たちにもフィードバックが返ってきます。これを「精神的報酬」と言っています。

精神的報酬がやりがいになり、従業員が成長して、金銭的報酬にもつながるというサイクルをうまく回していきたいと思っています。その起点になるのがおもてなしだと思うので、今はそれを毎回、従業員に伝えています。

morich:おもてなしとは具体的にどういうことなのでしょうか? アウトプットですか?

坂本:特別なことではないと思っています。店舗の前を掃除するのもおもてなしですし、店舗内の床や壁、トイレの掃除もそうです。お客さまのお飲み物が空になったら、「おかわりはいかがですか」とお声がけすることもおもてなしだと思います。つまり、普通のことがおもてなしにつながっていくと思っています。

morich:目の前のお客さまのことを思って、いかに快適に過ごしていただくか、ということですね。

坂本:そのとおりです。それを徹底するように伝えています。

morich:何かのメディアで、「例えばお寿司やラーメンのように、串カツも日本の食文化として世界に伝えていきたい」とお話しされていましたが、今もその思いで運営しているのでしょうか?

坂本:そうですね。1,000店舗あれば、日本のどこでも串カツを食べることができますので、お寿司やラーメン、天ぷらと並ぶような日本の料理、食文化として、ゆくゆくは海外に展開していきたいと思っています。

morich:私は間違いなくそうだと思っているのですが、「串カツ田中」が各地に出店されてから、串カツを食べる頻度が増えたと思いませんか?

福谷:確かにそうですね。

morich:お寿司や焼き肉、ラーメンは定期的に食べていますが、そこにラインナップとして、串カツが必ず入ってくるようになりました。うちは息子たちが串カツ大好きなので。

坂本:たぶん10年くらい前はそうではなかったですよね?

morich:なかったです。

福谷:なかったですね。

morich:10年くらい前だと、本当にもう1年に1回食べるか食べないかくらいでした。

坂本:おそらく、串カツがみなさまの視界に少しずつ入るようになってきていると思います。

morich:食文化のローテーションの1つに入っているということですね。

坂本:それをもう少し広げて、海外にも「串カツ」の名前を知られるようになりたいですね。しかし、アメリカに行って、「串カツって知ってる?」と聞いたところ、誰も知りませんでした。

morich:天ぷらは知っているけど。

坂本:天ぷらもとんかつも知っているのに、串カツは知らないようです。

morich:海外の方には受け入れられそうな気がしますね。今、海外で出店されているお店がありましたよね?

坂本:アメリカのポートランドで「TANAKA」というカツサンドの店舗を展開しており、そこはまあまあ流行っています。現在は2店舗です。

morich:いろいろとリサーチした結果、「日本の串カツではなくて、まずはカツサンドから始めよう」と考えたのでしょうか?

坂本:そうですね。私が入社する前に一度、貫がロサンゼルスに串カツ屋を出店したのですが、やはり受け入れられなくて、半年くらいで閉めました。

morich:食文化に違いがあるのですね。

坂本:そのようです。私も行きましたが、ロサンゼルスに「LITTLE TOKYO」という日本食のお店が並んでいる場所があり、焼き肉、寿司、天ぷら、うどんなどが提供されています。うどんは最近とても流行っているのですが、その間にあるそば屋は、そばの知名度がないのか、ガラガラになっていることがあります。

morich:食べ慣れないのですかね。「日本食」と言った時に、まだ想起されないのでしょうか。

坂本:ラーメンなどは行列になっているのに、そのような状況です。

morich:やはり、海外の方の「慣れ」みたいなものがありますよね。

坂本:そうですね。

morich:現在はまた、新しい業態をいろいろと出店されていますよね。私は卵が大好きなのですが、鳥と卵のお店がありますよね?

坂本:鳥と卵の専門店「鳥玉」ですね。こちらは商業施設に3店舗出店しており、他には「焼肉くるとん」という韓国料理店を4店舗ほど運営しています。

morich:今後の展開として、そのような新しい業態をどんどん生み出していくのでしょうか?

坂本:そうですね。新しい業態で、チェーン展開できるものを模索している状況です。

morich:多店舗化できるような業態ですね。

坂本:「串カツ田中」は、今回はコロナ禍でも伸びましたが、今後は何があるかわかりません。そのため、やはりアルコールだけではなく、食事業態に寄せたいろいろな業態があったほうが強いと考えています。そこで「串カツ田中」の次にチェーン展開できる業態を探しています。

morich:それにしても、あのリーズナブルな価格で提供できるのはすごいと思います。いつも息子たちがバクバク食べる中、「ここならいくらでも食べていいよ」と言っています。あの強さの理由は何なのでしょうか?

福谷:子どもから大人まで愛されていますよね。

morich:愛されているし、最強ですよね。「串カツ田中」へ行くと、いつも「最強店舗だな」と思っています。

坂本:貫会長にしても、目先の利益よりも経営理念などを考えて動いていました。例えば、店舗での全席禁煙化もそうです。串カツを「文化」にするのであれば、サラリーマン世代しか来ないお店ではなく、子どもの頃から来てもらって、自分で食べられるようになったら飲みに来てもらって、家族ができたら家族で来てもらうなど、世代を超えて楽しめる必要があると考えています。

morich:ライフタイムバリューですね。

坂本:そのようにしないと大きなマーケットにならないのです。東京都では受動喫煙防止条例が2019年から施行されましたが、それ以前の2018年には全席禁煙化を始めました。

morich:一足先に始めていたのですね。

坂本:東京都の条例施行の1年前から全席禁煙にしています。

morich:英断ですね。

坂本:自分たちの長期目標から考えて、そのほうが良いと考えたためです。その頃は、居酒屋で禁煙なんてあり得ないことでした。

morich:「世のお父さんたちに喧嘩を売っているのか」というような感じですよね。

福谷:確かにそうですね。

坂本:そのような反応をされる方もやはりいました。だいたい3人から4人のグループのうち1人はタバコを吸っていますが、そのような方の意見のほうが強いということがありますよね。

morich:タバコを吸っている人ならそうなりますし、「じゃあ、別の店に行こう」となりますよね。

坂本:そのため、サラリーマンの来店は減ったのですが、代わりにファミリー層のお客さまがかなり増えました。

福谷:それは良いことですね。

morich:今でこそそのようなお店も増えましたが、当時は本当に少なかったですよね。「ファミリーで居酒屋」という選択肢はありませんでした。

坂本:今では来店者の30パーセントがファミリー層です。コロナ禍では、サラリーマンがオフィス街で飲みに行けない中でも、家族は食事に行きますよね。

morich:行きます。

坂本:それでけっこう助かりました。

morich:戦略が活きたのですね。

坂本:コロナ禍で、居酒屋業界の売上は前年比50パーセント程度でしたが、ファミリーレストラン業態は前年比90パーセントくらいで踏みとどまりました。

morich:いつも混んでいますよね。

坂本:「串カツ田中」はその中間に位置しているのです。そのため、居酒屋としては回復が早いほうでした。禁煙化の決断がとてもプラスに働きました。勘が当たったということですよね。

morich:親子3代で行けるお店ということですよね。

「串カツ田中」の3つの成長要因

morich:過去に何かのメディアで、「串カツ田中」の3つの成長要因についてお話しされていたかと思います。1つ目は「商品力」とのことで、衣・ソース・油にこだわっているとお聞きしました。

坂本:そうですね。商品の強みと言えば、やはりソースです。ソースはとても多くのものを配合して作っており、私も何が入っているのかわかっていません。

morich:あのソースは本当においしいですよね。

坂本:会長と相談役しかレシピを知りません。今使っているソースを、比較的大きな会社の本当に舌が良い人が何人もいる商品開発部に渡して、「これと同じものを作ってください」と先日依頼しました。しかし、出てきたのはまったく違うものでした。あのソースを再現するのは難しく、真似できないのです。

morich:違うものになってしまうのですね。

坂本:日本有数の食品会社でも再現できないくらいですから、本当に真似できないのです。

morich:オリジナルレシピなのですね。

坂本:「串カツ田中」の衣はいろいろなものを混ぜているのですが、メッシュが細かくなっています。

morich:あの衣は一般家庭では再現できませんね。

坂本:油にも味があるらしく、衣とソースと油だけでも相当こだわっているし、このミックスで成り立っているらしいです。ソースと衣が一緒でも、例えば油をサラダ油に替えて揚げると、まったくおいしくないのです。

morich:研究し尽くしているわけですね。

坂本:だからこそ、これまで他店に真似されなかったのだと思います。

morich:ほかの居酒屋などに真似されてしまいそうですが、類似店がありませんね。

坂本:居酒屋業界は真似が多いですからね。

morich:そして、「串カツ田中」の3つの成長要因の2つ目が「おもてなし」、そして3つ目が「入りやすさ」とのことですね。

福谷:アットホームな雰囲気ですね。

morich:そこは本当に強みということですよね。

坂本:西成の昔からある串カツ屋さんだと、もともとが労働者のための食べ物ですので、子どもはもう絶対に、そして女性もかなり入りにくいお店になっています。それを誰にでも入りやすく感じてもらうため、店内を明るく清潔にして、さらに1階の路面店にすることで奥まで見えるように作ったのが「串カツ田中」の1号店です。

morich:子どもを連れていくのも、まったく抵抗がないですよね。

「串カツ田中」の将来像

morich:私がやはり聞きたいのは、坂本社長として「串カツ田中」をどうしていきたいのかということですね。

坂本:外食業界全体がそうなのですが、原材料が高くなっていますし、人件費も上がっています。

morich:採用コストも本当に上がっていますよね。

坂本:こちらとしては時給を高くしたいのですよね。

morich:私も息子がバイトをしていますが、「本当に大学生の時給?」と思うくらい、いわゆるバイト代が高騰しており、私たちの時代では考えられない金額になっています。

坂本:時給を高くしないと良い人も集まらないし、業界的に人が集まってこないため、ここは高くしておきたいのです。ただ、エネルギーも高くなっていますよね。そうすると、生き残る道というのは価格を上げること以外にありません。

例えば、アメリカへ行くと、物価もどんどん上がってきていますが、一方で給与もどんどん上がっているため、なんとか折り合いがついているのですね。そのため、そのような国の人が日本に来ると、為替もそうですが、日本の物価が非常に安く感じるのです。日本だけが価格を上げないようにとがんばりすぎたのかなと感じます。

今後は価格も上げつつ給料も増やして、同時にお客さまの満足度を低下させないように、スタッフのおもてなしや楽しませるセンスなどをしっかり磨いて、お客さまに満足してもらいながら、従業員にも満足してもらえるようなかたちで外食業界が伸びていくと良いのかなと考えています。

morich:外食マーケットの中で、「串カツ田中」はどのような存在でありたいと考えていますか?

坂本:新しいことを外食業界で一番早く取り入れて、良い成功事例を出していくような存在です。例えばDXですね。

従来、外食業界ではお客さまの情報が取れませんでした。「誰が来たか」「いつ来たか」「何を食べたか」がわからなかったため、今は「ダイニー」のPOSを導入しています。「ダイニー」では、お客さまがQRコードを読み取ると、自分のスマートフォンでメニューを表示でき、注文もできるようになっています。

morich:注文データが入手できるのですね。

坂本:「このお客さまは前回いつ来て、何を食べたか」がわかります。そうすると、お客さまがしばらく来店していない時に、ピンポイントでその方の好きなものを「LINE」で送ることもでき、非常に効率の良い広告を打つことができます。

morich:そのようなマーケティング施策もいち早く取り入れているのですね。

坂本:あとはやはり、店長の業務が一番大変です。

福谷:確かに大変そうです。

坂本:なんでもこなさないといけないので、店長業務を楽にする施策を進めています。

福谷:効率化ということでしょうか?

坂本:「V-Manage」というものを導入しています。アルバイトのスタッフが出勤した時に、「今日は何時に何をやらないといけない」というスケジュールがわかるなど、店舗に店長がいなくても営業できるようなシステムです。

これがうまくこなせると、今は1店舗につき社員が2人必要になるところ、2店舗をまたいで2人、あるいは3人にするなど、少し減らすことができ、その分1人当たりの給料も上げられるという体制を作りたいと思っています。

morich:すごくDXが進んでいますね。

坂本:まだまだこれからですが、そのような施策を進めていきたいと思っています。

つながりを大切に

morich:坂本社長ご自身の今後のビジョンはいかがでしょうか?

坂本:私自身のビジョンは、今は会社のことしか頭にないですね。私はサラリーマン社長ですが、きちんと考えながら経営していけば、飲食店としてだけでなく、自分の身にもなると思いますので、やはり一生懸命務めていこうという感じですね。

morich:先ほどのお話にしても、例えば大学生の時に、普通なら家庭教師など、もう少し効率良く稼げる仕事もあったと思います。その中でも喫茶店をアルバイト先に選んだという意味では、何か通じるところがあるのでしょうか?

坂本:その時はお金も欲しかったのですが、お金だけではなく、友だちやお客さま、社会人など、社会とのつながりが一番欲しかったのです。お金のほうは、時給650円ほどと、ひどいものですよ。

morich:それなのに1人で回していたのですよね。

坂本:ただ、あまり文句を言ったことはないです。そのためか、先日お亡くなりになってしまいましたが、当時の社長からも信頼されていたように思います。

morich:そうだったのですね。

坂本:お金だけではなく、やりがいなども求めていたかもしれませんね。

morich:おそらく、そういうことなのだろうなと思います。

福谷:そろそろお時間も来てしまいそうです。お聞きしたいことや深掘りしたいことも本当にまだたくさんあると思いますが、「串カツ田中」の歴史や世代交代、そして、坂本社長のもとでいっそうスケールしていくフェーズで、直接このようなお話を聞かせていただけたことには感謝しかありません。

今、振り向けば、視聴者の方がたくさんいますね。

morich:たくさん来ていただいていますね。ありがとうございます。

福谷:ここは限定された空間になっており、いろいろな方々との交流も深めていただける場所になっていますので、坂本社長がこれまで作ってこられた人事マネジメントの体制や、成長戦略などについても、またお話を聞かせていただきたいです。

morich:私は転職支援をしているため、起業するか、CxOというかたちで会社の経営幹部になるかの二択で迷われている方と接することが多いです。

今日、坂本社長のお話をお聞きして、起業や独立だけではなく、「自分もCxO(CEO)として働いていけるんだ」と、そのような選択肢が現実的にあることが、本当によくおわかりいただけたのではないかと思います。

福谷:今日は聞き入ってしまいました。坂本社長も、そして真横にmorichさんもいて、私の転職もお手伝いいただけるのかなと。

morich:いつでも大歓迎です。

福谷:ものすごい安心感の中で、勉強もさせていただきました。今日は本当にお忙しい中、ありがとうございました。チャットでご連絡もいただきましたが、アメリカから帰ってこられたのが一昨日でしたでしょうか?

坂本:そうですね。

morich:まだ時差ぼけがある中で、ありがとうございます。

福谷:これを機に親睦も深めていきながら、お付き合いさせていただきたいと思っています。

morich:串カツが食べたくなりましたね。

福谷:実は、昨日食べてきました。

morich:さすがです。私、超近所に「串カツ田中」があるので。

福谷:みんなでまた行きましょう。

坂本:最後にお知らせですが、11月から「キットカット」とコラボして、「キットカット」を串カツにしてしまいます。

morich:チョコレートの「キットカット」ですか?

坂本:はい。バナナなどを乗せて、とてもおいしいのでおすすめです。「キットカツ」ということで。

morich:受験生向けでもありますね。

坂本:縁起もいいですし。

morich:息子が受験生なので、ぜひ行かせていただきます。

坂本:ぜひみなさま、来ていただければと思います。

福谷:視聴者のみなさまもぜひ、「串カツ田中」へ食べにいらしてください。本日は本当にありがとうございました。

坂本:ありがとうございました。

morich:ありがとうございました。