~新morichの部屋Vol.21 株式会社ハイパー 代表取締役社長 望月真貴子氏、創業者 関根俊一氏~
福谷学氏(以下、福谷):ついに今月も。
森本千賀子氏(以下、morich):始まりました。
福谷:今日は初めてのことがありますね。
morich:そうなんです。
福谷:Vol.21ということで、初めてゲストをお二人お迎えしています。お二人の話を聞く機会はなかなかないと思いますので、今日もわくわくしています。
morich:今までで初めてですか?
福谷:初めてですね。なので贅沢だなと思っています。今日もいろいろ深掘りしていきたいと思いますが、今日もmorichシャワーは浴びたんですか?
morich:それが実は私、進化しました。
福谷:進化したのですか?
morich:「morich AI」というものを半年ぐらい前から使っているのですが、ようやくmorichの部屋バージョンのようなものを作りました。ゲストの名前を入れると、ありとあらゆる情報の中から検索され、「ここまでやるか」というくらいの結果が出てくるんです。ですが、今回は出てきませんでした。「あ、これかな?」と思って出てきたお一人は同姓同名の大学教授でした。
福谷:全然違いますね(笑)。
morich:そのため、今日はまったく予備知識がない状態で進めていきたいと思います。
福谷:なるほど。では、初morichのような感じのmorichさんも見られるということですね。
morich:そうです。
福谷:なるほど。最近はどうでしたか?
morich:そうですね。絶好調です(笑)。
福谷:相変わらず私は日々morichさんを見ています。
morich:そうですね。
福谷:ありとあらゆるところでmorichさんを見ます。
morich:回遊魚です(笑)。
福谷:なるほど、わかりました(笑)。
morich:楽しいですよ(笑)。
福谷:それでは、さっそくゲストをお迎えしていこうと思います。
morich:本日は株式会社ハイパーの創業者で顧問の関根俊一さんと代表取締役社長CEOの望月真貴子さんです。この後ずっと深掘りしていくため、軽いごあいさつ程度の自己紹介をお願いします。では、関根さんからお願いします。
関根氏の自己紹介
関根俊一氏(以下、関根):1962年9月7日生まれの現在62歳です。
morich:見えません。
福谷:見えませんね。
関根:略歴はあまり関係ないと思いますが、27歳の時に独立しました。今年の5月18日で35周年です。
福谷:すごいですね。おめでとうございます。
morich:本当ですか。花でも用意しなければ。すみません。
福谷:この声を聞いておそらく今スタッフが用意していると思います。
morich:35年ですって。
関根:上場して19年になります。あっという間でした。
morich:そうですか。そのあたりの歴史もうかがっていきたいと思います。
福谷:そうですね。いろいろと深掘りしていければと思っています。
morich:では、望月さんお願いします。
望月社長の自己紹介
望月真貴子氏(以下、望月):株式会社ハイパーの望月と申します。先ほど関根が言ったようにハイパーは今年で35周年を迎えます。創業は1990年で、私は1995年に入社しましたので、創業してまだ5年目の会社に入ったかたちです。
morich:新卒だったのですか?
望月:いいえ。これまたいろいろありまして。
morich:それでは、後ほど深掘りしていきたいと思います。
望月:さまざまなご縁があってここにお世話になることになり、私もそこから30年です。2021年に代表取締役社長になり、なんとかがんばっています。
福谷:今、目の前でお話を聞いていましたが、設立5年目からいらっしゃるということは仲が良いですよね。
morich:私はCEOやCxOなどの経営幹部のキャリアを支援しているのですが、実際は意外とそうでもありません。あまり大きな声では言えないのですが、表向きは非常に仲良く見えても実はそうではないような会社も多いです。このような場に2人で出てきていただくのは奇跡かもしれません。
望月:ありがとうございます。
関根:基本的に何もない会社でした。もう本当に何もなかったです。まずポリシーがありませんでしたし、理念もありませんでしたから。
morich:ポリシーや理念がないのですね。
望月:創業時の話です。
morich:そうですよね。
望月:現時点ではポリシーも理念もあります。
関根:会社をやるしかないような感じでした。独立した経緯としても、高邁な理想を持って「こういうことをやって俺は世の中に出ていくんだ」ということは一切なく、「なんか会社ができちゃった」という感じでした。
morich:そのようなケースも多いですからね。
関根:そこから後でいろいろなものを積み上げてきました。みなさま方のおかげさまというその一言です。本当に人との出会いの中で、おかげさまの中で生きてきました。
当社の商売は望月が社長になってからかなり方向が変わり、深掘りもするようになってきているのですが、基本的には100円で仕入れたものを110円で売る仕事でした。「その10円のどこに何の意味があるんだろう」というところにみなさま方のおかげさまを感じ、人の力を借りて生きています。後で話そうと思ったのですが、望月はアルバイトで入社しています。
関根氏の学生時代
morich:このmorichの部屋では、創業者の起業に至るまでの生き方の中にも何かヒントがあるのではないかということで深掘りしています。もうかなり前になってしまうかもしれませんが、関根さんは幼少期から学生時代までどのようなことをしていらっしゃいましたか? ちなみに、どちらのお生まれですか?
関根:東京です。新宿の西落合で生まれました。
morich:大都会ですね。
関根:小・中は地元の学校に通い、高校から青山学院に入りました。
morich:そうですか。受験して入ったのですか?
関根:高校は受験しました。大学にはそのままエスカレーター式で上がれてしまいました。
morich:今でこそ付属校は人気がありますが、当時も青学を受けるというのはなかなかの選ばれし人ではありませんでしたか?
関根:根本的に偏差値はけっこう高かったです。
morich:勉強はできていたんですか?
関根:中学まではできていました。高校に入って一切しなくなりました。
morich:では、スポーツなどせずに勉強していた感じですか?
関根:スポーツは柔道をやっていました。
morich:本当に文武両道ですね。
関根:いいえ。高校2年の時に大けがをしてしまい、柔道は実質引退しましたし、高校に入れば大学に行けるのがもう決まっていたため、勉強は中学でやめてしまいました。一切勉強せずに、ずっとバンドばかりやっていました。
morich:音楽の世界にハマられたのですか? ギターですか?
関根:ベースです。
morich:高校・大学時代は音楽に打ち込んでいたんですね。
関根:そうですね。
morich:長髪のようなスタイルでしたか?
関根:いいえ。フォークです。
morich:フォークでしたか。
関根:フォークとポップスでしたが、ロン毛ではありませんでした。
morich:神田川の世界ですか?
関根:神田川の世界はもう少し古いです。
morich:すみません、大好きなんです(笑)。では、オフコースですか?
関根:オフコースですかね(笑)。
morich:ですかね(笑)。
望月:ですかね(笑)?
関根:神田川の世界は中学の時に非常に好きで聞いていました。
morich:私も好きでした。長渕剛などですか?
関根:そっち系には行きませんでした。
morich:どのような学生でしたか? けっこうモテたのではありませんか? ベースも弾けて。
関根:いいえ。まったく。サザンオールスターズの桑田佳祐さんがいた、非常に上手い人が集まる「BETTER DAYS」というサークルから分かれたサークルにいました。「BETTER DAYS」に行けない2軍的な人たちが集まるサークルです。
morich:怒られてしまいますね(笑)。
望月:大丈夫ですか。怒られませんか(笑)?
関根:大丈夫です。
morich:今でもおそらく集まりますよね。
関根:もう両方ともないサークルです。そこで今の家内と知り合いました。
morich:そうなのですか?
関根:大学1年から付き合い、結婚して37年です。
morich:それは桑田佳祐と原由子のようです。
関根:そうですね。付き合った時期から計算すると、もう42年になります。
morich:苦労されていた時期もよくご存じですか?
関根:そうですね。もうまったく頭が上がりません。
morich:上場後はおそらくまた違った景色があったと思います。
関根:よく意外だと言われるのですが、学生時代の私は1つのものに没頭しており、基本的にはあまり社交性がありませんでした。
morich:一途な感じですね。
関根:コミュニケーションを取るのは苦手なほうでしたが、大学で今の家内と出会い、なんとか認めてもらいたいとアピールしているうちに。
morich:いいですね。
望月:奥さまやお嬢さまの耳にも入りますが、大丈夫ですか(笑)?
morich:ネガティブな話ではありませんので(笑)。
望月:持っていきかたによっては選ぶかなと思いまして(笑)。
関根:私、大学3年の20歳の時に親父と大げんかして家を出てしまったんですよ。
morich:お父さんはサラリーマンなのですか?
関根:弁護士でした。
morich:では、そのような期待もあったのですか?
関根:あったようですが、私は一切継ぐ気はありませんでした。
morich:本当ですか?
関根:親父と大げんかしてしまって。
望月:継ぐ仕事でもないですよね。
関根:そうですね(笑)。
morich:弁護士のお父さんは弁護士ということはけっこうあります。
望月:そうですよね。失礼しました(笑)。
関根:完全な大げんかで、その時は一切お金をもらいませんでした。
morich:何が原因だったんですか?
関根:原因は、本当に子どもの頃からの小さいものの積み重ねです。
morich:そうでしたか。
関根:親父はもうとっくに亡くなっているのですが、「俺の家に俺の金で住んで俺の金で飯を食って俺の金で学校行っているうちは一切逆らうな」と言っていました。
morich:昭和的ですね。
関根:もう本当にそのとおりの親父だったので、出て行く時も「何でだ」と言われた時に、「あんたの金で家に住みたくないし、あんたの金で飯を食いたくない」と言って出てきてしまいました。
morich:啖呵を切ったのですか? ある意味では裕福なご家庭だと思われるのですが、どうでしょうか?
関根:おそらくそうだと思います。
morich:啖呵を切って身一つで出てきたということですよね。
関根:完全に身一つですね。お袋に頭を下げ、「パンツだけは持っていかせてくれ」と言いました。「後は全部置いていくから」とも言いました。
morich:本当ですか?
望月:モテますよね。
関根:モテませんよ。
morich:そうでしたか。お父さんを振り払い、もう一人で生きていくということですね。
関根:まず、お金がまったくありませんでした。
morich:おそらく食べられなかったですよね?
関根:その当時、マクドナルドでアルバイトしていました。学校にも行ってアルバイトもしていましたが、下宿していたアパートの部屋代が2万2,000円でした。
morich:お風呂とトイレはありましたか?
関根:風呂はありません。トイレは共同です。
morich:神田川の世界ですね。
関根:神田川の世界です。
morich:それでは、それなりの家からいきなりそのような世界に変わったわけですよね? 学費も自分で出していたのですか?
関根:出しました。ただ、うちの父親の収入がそこそこあったため、分納にしてもらうのは大変でした。
morich:それはそうですね。
関根:分納の対象にならないのですが、そこはもう本当に命がけで学生課にお願いしました。
morich:では、お父さんは本当に学費も打ち切ったのですか?
関根:打ち切りました。こちらも「全部要らない」と言いました。
morich:それは何年生の時ですか?
関根:大学3年で20歳の時です。
morich:そうですか。生活が天と地ほど変わりましたよね?
関根:食べていくお金がなく、食費が月2万円ぐらいしかありませんでした。
morich:マクドナルドのアルバイトだったんですよね。
関根:マクドナルドは食べられませんでした。
morich:高かったんですか?
関根:高かったです。当時のビッグマックは450円ぐらいでした。
morich:では、もうご飯に塩のようなかたちですか?
関根:マヨネーズでした。
morich:本当ですか? それはハイパーのホームページか何かで語ったほうがよいですよ。苦労されていますね。
関根:このようなこともあり、家内と結婚する時に向こうの親にも反対されました。
morich:よく結婚してくれましたね。
関根:うちの親も認めませんでした。結局、親父と和解し、1年留年してから卒業した時に「きちんと就職して家に戻るから結婚してください」という話にしました。
morich:では、学生の延長で結婚しようと思ったのですね?
関根:留年した時は中退してどこかに勤めようと思ったのですが、家内から「学校は絶対出ろ」と言われました。その結果がんばることにし、1年アルバイトしながら大学に通い、なんとか単位を取って卒業しました。
新卒入社1年でトップセールスに
morich:就職活動はどのようにしたのですか?
関根:オフレコでよいですか? 当時のリクルートという会社についてなのですが、驚かないでください。怖いんですよ。
morich:良い会社だと思いますよ(笑)。
関根:良い会社ですよ。ただ、転居届を出していないにもかかわらず、一人暮らしのアパートに雑誌が届くんですよ。新卒のところに雑誌が届くんですよ。なぜわかるのでしょうか?
morich:今思うと確かに個人情報バレバレですね。
関根:なぜ私がここにいるのがわかるのでしょう?
morich:確かに。実家ではなくアパートですか?
関根:アパートです。
morich:それは相当な個人情報ですね。
福谷:そうですよね。
関根:今考えるとすごいと思います。
morich:確かに。どこかで漏れていたのですね。
望月:あまりうるさくない時代ですよね。
morich:そうですね。
関根:その時に、どんな会社があるのだろうと見たところ、銀行は大手も地銀も初任給が全部12万3,000円でした。よく覚えています。
morich:それでも他より高いですか?
関根:安かったですね。
morich:安かったんですね。
関根:その代わりに36歳ぐらいから急に伸びるという説明でした。もともと成績も良くありませんでしたし、大手には入れそうもなかったのですが、給料が一番高いところに目を付けました。
望月:この会話の流れは大丈夫ですか? 今も実在の会社が出てきませんか?
関根:出てきます。
望月:ほどほどにお願いします。
morich:いい感じですね(笑)。一番高いのはどこでしたか?
関根:そこは初任給が19万8,000円でした。
morich:高いですね。ちなみに、どこか言ってもいいのですか? ダメですか?
福谷:ポジティブではありませんか?
望月:調べれば出てくる話だと思います。
関根:株式会社フォーバルという会社です。
morich:今、大好きな会社です。
望月:大好きにもいろいろな理由がありますよね。
morich:大ファンの会社です。
望月:もちろんすばらしい会社です。当時は旧社名の新日本工販株式会社でした。
morich:そこに入社したのですか?
関根:フルコミ営業していました。
morich:おそらく給料が最も高いぐらいではないですか?
関根:高かったですね。給料が高いため入ったのですが、80人ぐらいいた新卒同期が1年で70人ぐらい辞めました。
morich:10人残ったのですか?
関根:私も4年で辞めてしまったので偉そうなことは言えません。
morich:飛び込みですか?
関根:飛び込みでしたね。
morich:ガンガン飛び込んだのですね。
関根:「こんにちは」と飛び込みました。
morich:何を売っていたのですか?
関根:電話機です。
morich:当時の黒電話ですか?
関根:違います。昔でいうボタン電話です。
morich:プッシュホンですか?
関根:ボタン電話はプッシュホンではありません。ビジネスホンです。
morich:ガンガン売ったのですか?
関根:ガンガン売りましたね。
morich:トップセールスでしたか?
関根:そうでした。1年間で営業を辞めました。これもまたオフレコの話になりますが。
福谷:オフレコにならず生配信されています(笑)。
望月:いろいろあったのでしょうね、それは。
関根:話さないですが、いろいろあり辞表を出したところ大いに慰留され、「新設の部門を作るからそこに行ってくれ」という話になりました。
morich:本当に欠かせない人材だったのではないですか?
関根:そこでテレメーションという新規事業を始めました。今から38年ぐらい前ですから、当時はインターネットが世の中にまったく浸透していない時代でした。
morich:なかったですね。
関根:新規事業の目的は、電話機にコンピューターとディスプレーを付けて各家庭に配り、ネットでつなげることでした。
morich:新しいですね。
関根:まだ日本勧業角丸証券や三洋証券があった時代です。証券会社に話を持ち込んで契約をもらい、5万台を導入しました。5年間の契約で売上が54億円に上り、粗利も28億円になりました。
morich:1社でですか?
関根:1社です。
福谷:すごいですね!
morich:社長賞ですよ!
関根:その後にいろいろありました。
福谷:いろいろありますよね(笑)。
morich:想像がつきません(笑)。
関根:今では絶対にあり得ないことですが、当時は1日18時間くらいの勤務でした。
morich:私もリクルートの時はそのような感じでした。
関根:年間休日は4日ぐらいでした。
morich:超超ブラックな感じですね。
福谷:年間休日4日はブラックですね。
望月:昔の話ですから。
関根:血尿が出ました。
morich:時効です。それでも2年から3年目くらいですよね?
関根:3年目です。
morich:それでもやはり辞めたということですね?
関根:当時はインターネットという言葉は浸透していなかったですが、このような世界ができるんだということを夢見て取り組んできたにもかかわらず、当時の経営者の大久保さんがそれを全然違う方向に持っていこうとしてしまったのです。
morich:よく存じ上げています。ただ、当時としてはそのような経営判断もありでしたよね?
望月:いろいろドラマチックなことがありますよね。
morich:その経営方針とご自身のやりたいことにギャップがあったのですか?
関根:その時も啖呵を切って辞めてしまいました。
morich:またもや。
関根:ただ、1つだけ自分の中に礼儀がありました。やはり4年間お世話になったので、他所の会社に社会的な常識や基盤を持っていくのはアンフェアだと思ったのです。
morich:大塚商会などの競合への転職ですね?
関根:はい。それはアンフェアだと思ったのです。そこで土方のアルバイトに就きました。
morich:本当ですか? もしかすると結婚してお子さんが生まれたとかですか?
起業のきっかけ
関根:結婚はしていましたが、子どもは生まれる前でした。その時に見かねた人たちがいて、「会社やれよ」という話になりました。最初に言ったとおり、自信もなかったですし理念も何もないため、最後まで断ったんですよ。
morich:本当に土方でしたか?
関根:土方でしたね。
morich:日給ですか?
関根:高田馬場と新大久保の間にある公園に朝集まるんですよ。
morich:日雇いですか?
関根:日雇いです。
morich:本当ですか? そのような時代があったのですね。
福谷:それはおいくつぐらいの時ですか?
関根:26歳から27歳にかけてです。
morich:それを見かねたご友人などが「何でもよいからやれ」と。
関根:先輩たちに「会社をやれ」と言われました。その時に「最初の1年間は事務所を間借りさせてもよいから」と言ってくれました。
morich:すごいですね。人徳ですね。
関根:家賃もかからないですし。
福谷:当時から人望があったんですね。
同期に声をかけ3人体制となった創業期
関根:まったくお金がかからない状態だったため、「まずは始めようか」と会社を始め、初めの1年間は私1人でした。その時、1人では朝に会社に行けないということがわかりました。モチベーションが湧かないのですよ。
福谷:なるほど。
morich:それはそうですよね。誰かが待っていてくれるわけでもありませんもんね。
関根:かったるければ直行直帰でいいかという気持ちになります。
morich:「まぁいいか」という気持ちになりますね。
関根:これではダメだと思いました。
morich:その結果、組織を作ろうと考えたのですね。
関根:全部後からくっついてきました。「このようなことをやりたいからこのような組織にして」ということではなかったです。
morich:とりあえず会社に行きたくなるようになったのですね。
福谷:いったん聞いていいですか? 望月社長、大丈夫でしょうか(笑)?
望月:創業の話がなかなか始まりませんね(笑)。
morich:ちなみに、その時の事業は何ですか?
関根:前の会社と同じ直販のほか、貿易の仕事も少しかじっていました。今はもうわかりませんが、当時40年ぐらい前の通関業務は理解していました。コンテナでイカやエビ、タコも売っていました。
morich:本当ですか? コンテナで?
関根:売っていたというか、通関業務を行っていました。
morich:売り買いではなくトレードですね。それを行うのに1人ではやはり寂しいため、組織を作ろうとしたのですね。
関根:当社取締役の遠藤は前職で同期でした。声をかけたところ、なんとか来てくれました。
morich:来てくれたのですか。
関根:騙されて来てくれましたが、遠藤も「これは騙された」とすぐわかったようです。
morich:どのように騙したのですか?
関根:「絶対幸せにするから」というような騙し方です。
morich:気持ちはそのとおりですよね(笑)。
関根:遠藤も「これでは自分だけが騙されてしまうから」と、今度は私と一緒になって玉田を騙し、体制ができあがりました。したがって、ハイパーという会社は私が作り、遠藤が持続させ、玉田が成長させました。
福谷:いい話ですね。
morich:美しい話ですよ。
関根:それはもう絶対変わらないです。
morich:ずっと3人一緒にいたのですか?
関根:3人はフォーバルの同期でした。
morich:先ほどおっしゃった80分の10の人たちだったのですね。
関根:そうです。
morich:では、気合や根性もありますね。
関根:気合・根性系ですね。
望月:おそらく今はそのようには売っていないと思います(笑)。
morich:20代当時の話です(笑)。
望月:当時はそうでしたね(笑)。
morich:本当に契りを交わしたわけですね。
望月:三十何年前の話ですね(笑)。
morich:そこからのターニングポイントは、どのタイミングでしたか?
関根:遠藤が入って2人になり、初めて会社っぽくなりましたが、間借りをやめてマンションの一室を借りた、怪しげな会社でした。
morich:当時の写真はありますか?
関根:おそらくあります。本当にマンションの一室を借りた、表札も付いていない会社です。
morich:ドラマのような話です。
関根:売掛債権は一切出そうもない会社です。
morich:確かにそうですね(笑)。
関根:当時、遠藤に「絶対上場するから」と言ってしまったのです。
morich:上場については理解されていたのですよね(笑)。
関根:その時フォーバルが上場したため、理解していました。
morich:確かにそうですね(笑)。
関根:「絶対上場するから」と言った時に遠藤は「できるわけねえだろ」と言いましたが、「いや絶対するから」と返しました。
morich:3人ですものね。
関根:玉田も呼んで「どうやってするんだ」と聞かれた時に「気合と根性でするんだ」と応じました。
morich:しかし、きちんと上場されていますから。
関根:上場が持つ意味などは理解しておらず、会社を作った以上は絶対上場するものだと考えていました。気合と根性で上場させようと思っていました。
福谷:大事ですね。
関根:途中までやってきましたので。
morich:すでにその時は事業にフォーカスしていたのですか?
関根:最初はまったくフォーカスしていませんでした。玉田の発案で1993年に作ったDOS/Vのパソコンショップはあまりうまくいかなかったのですが、その後に秋葉原で開いたコンパック・コンピュータ・コーポレーションの専門1号店が非常にうまくいきました。そこからパソコンのショップを展開していきました。
morich:toCビジネスですね。
関根:全部で6店舗までいきました。
ショップのアルバイトとして望月氏が入社
関根:その時に店舗のアルバイトで望月が入ってきました。
morich:それが先ほどのお話ですね。望月さん、本当にそうだったんですか?
望月:はい。ショップ店員でしたね。
関根:路面店の良い場所などは借りられないため、雑居ビルの6階が店舗でした。お客さまに来てもらうためには秋葉原の駅前でビラをまくしかなかったので、望月はビラまき要員で入ってきました。
望月:私はそういうつもりではなかったですよ。
関根:先に正直に「ビラまいてもらいますよ」と言ったではありませんか。
望月:それは業務の一環であり、私はパソコンの販売だと聞いていました。
morich:そう聞いて入ったにもかかわらず「ビラをまいてくれ」という話だったのですね。
望月:お客さんを呼んでこないと販売できない、ということではありました。
morich:なるほど。すごい時代ですよね。
関根:当時のアルバイトは面接でビラまきがOKなら即採用でした。最短で3時間で辞めた人もいましたね。
福谷:3時間ですか? どういうことですか(笑)?
morich:本当ですか(笑)?
関根:採用して「これから給料を払うから仕事をしてくれるか」と話して、10時から「やります」と言い、1時に「昼食に行ってきます」と言って出て行き、そのまま帰った人がいました。
福谷:戻ってこなかったのですね。
上場までに苦労したこと
morich:そこから上場までのストーリーの中でもいろいろな話がたくさんあると思いますが、「これが飛躍のきっかけだ」というものはありますか?
関根:もうそれは戦略どおりです。
福谷:戦略を組んでいたのですね。
関根:NECのパソコンではなくDOS/Vパソコンを法人向けに売っていくという戦略でした。最初にショップで助走距離をつけてから法人向けに行ったのですが、ここから先は本当に大変でした。
morich:ドラマのようですか?
関根:ドラマというか、辛くてあまり覚えていないですね。
morich:本当ですか?
関根:望月のように優秀な人間がいて、売ってきてはくれるのです。ところが、ショップは全部現金なのに対して、法人向けは全部売掛になります。こちらは信用がないので、仕入れはほぼ現金です。そのため、資金繰りが全然追いつかないのです。億単位で追いつきませんでした。
morich:口座に残高がそこまでないわけですね?
関根:ないです。
morich:なるほど。
関根:銀行に「お金を貸してください」と言っても、そこまで貸してくれません。今でも覚えていますが、某銀行に「お金を貸してください」と言いに行ったのです。
morich:そうすると?
関根:「では、お貸ししますけれども」と。
morich:担保ですか?
関根:「生命保険はいくら入っていますか?」と言われたのです。
福谷:なるほど。リアルですね。
morich:本当ですか?
関根:「1億円で入っています」と言ったら、「足りませんので、3億円で入ってください」と言われました。
morich:「いざとなれば」みたいな感じですか? 本当ですか?
関根:今でもぞっとしますが、当時はそのようなことがたくさんありました。
morich:そうですか。
福谷:昔の話ですからね。
morich:そのような覚悟を持って借りたわけですよね。
関根:一番最初の取引先がダイワボウ情報システムです。今の社長の松本さんがまだ主任だった頃です。
morich:そうですか。
関根:松本社長が支店の主任だった時に玉田と一緒に行きました。その時、当社はまだ従業員が5人くらいで、年商も1億円くらいだったのですが、松本さんは二つ返事で「1,000万円から始めましょうか」と言ってくれたのです。それがなかったら絶対無理だったと思います。当時はダイワボウ情報システムも勢いに乗っていたし、松本さんも怖いもの知らずだったのでしょう(笑)。
morich:きっと何か感じたのでしょうね。何か感じないと、そうはしませんよね。
関根:あれがなかったら始まらなかったですからね。
morich:もう恩人ですね。
関根:1,000万円を2,000万円に増やすことは努力でできますが、0を1,000万円にするのは非常に困難です。
morich:本当にそうです。最初のお客さまが本当に大変です。
関根:そして次の取引先が大塚商会でした。
望月:そのあたりの話はあまり必要ないのではないでしょうか。いろいろ同時に進行していることもありますし、「次が」などで始まるときりがないので(笑)。
関根:大塚商会は、向こうも飛び込みで来ました。
望月:けっこう時差があるようです(笑)。
morich:では、通り過ぎておきましょうかね(笑)。
関根:その時も3,000万円くらいで始めてもらいました。
望月:聞いています(笑)? お願いしますよ。
morich:その最初の信用はもう本当に社長でしかないですよね。
関根:生命保険が保証だと言われた時は随分鬱になりましたよ。
morich:そこまで覚悟を持って行うという話ですね。
福谷:今はそのようなことは言われないかもしれませんが、大事ですよね。
望月氏が社長になるまで
morich:望月さんは、その時は営業担当でしたか?
望月:先ほどお話ししたように、スタート地点はアルバイトだったので、資金繰りにご苦労なさったということに関しては、私が今それをしなくて済んでいるのはありがたいなと感じています。
今は上場もしていますし、保証人にならなくてもよいですが、当時はそのようなこともかなりあって、連帯保証に入るようなこともおそらくあったかと思いますので、それは本当に頭が上がりません。当時は私は販売員として「売れたらうれしい」というシンプルな暮らしをしていました。
morich:ある意味では、「女性だ」「アルバイト出身だ」ということに関係なくチャンスがあったということですね。
関根:望月に「社員になりなさい」と言った時、初めは「嫌です」と言われました。
望月:私は「嫌です」と言いました。
関根:なぜなら「責任を持ちたくないです」ということでした。
望月:それはそうです。ただ、深い意味があって「私になんかとても無理です」と言ったわけではなく、「そんなの面倒くさそう」と思いました。大変そうですし。
morich:では、なぜその話を受けたのですか?
望月:このような言い方をしてはいけないのですが、先ほど騙して連れてきたという話がありました。私は1995年入社なのですが、「2000年にうちは上場するから、そうなったら君はしめたものだぞ」という話があったのです。
morich:上場のいろいろなキャピタルゲインがあるということですね。
望月:そこに至るまでに当然ありますよね。「今は持っておいたほうがいいぞ」と言われ、その時は「そうか」と思いました。それで実家の親にも言いました。インサイダー情報などではないですよ。
morich:それをきちんと有言実行されたのですね。
上場と、もう1つの約束
望月:ところが、上場は2000年ではなかったです。2006年でした。
morich:リクルートも「上場するする詐欺」を15年くらいずっとしていました。
望月:そうなってくると、「何がなんでも上場しなくては感」がだんだん出てくるんですよね。
morich:社員のみなさんがそのような雰囲気になりますよね。
望月:「上場すると思って入ってきたのに」ということですね。
morich:上場は2006年ですよね。
望月:2006年に当時のJASDAQ証券取引所に上場しました。
関根:1990年5月に会社を設立し、1992年1月に現会長の玉田が入社しています。その後にプロパーの社員が入ってきて「上場する」と宣言しています。それからずっと来る人間に「うちは上場するから」「絶対上場するから」「みんな幸せになれるから」と言ってきてますから、これは上場するしかないですよね。
morich:そう言っていても上場しない会社のほうが多いので、きちんと有言実行されているのは本当にすばらしいです。
望月:この話を汲み上げていくと、「では、なんのために」が怪しくなってきますので、流れとしてよくないというのは思いますね。
morich:けれども、1つの通過点として目標にはなりますよね。
望月:会社としての1つの立場を従業員のみんなにきちんと作ってあげたいという思いがあったのかと思います。
morich:ビジョンや目的、会社の存在価値のようなものはどのくらいからお考えでしたか?
関根:遠藤と玉田が入社してくれた時に、初めて人の力というものを感じました。そもそものスタート論ですが、まず会社に行くモチベーションがあるというスタート地点にすらいなかったわけです。人がいることによって「俺は勝ちに行けるんだ」と思いました。
morich:ピュアですよね。本当にすごいです。
関根:当たり前のことに気がついたのです。いろいろな人にお世話になっている以上、なんとかして恩を返さなければいけません。関わっている人はみんな同じリスクを持ってきてくれて、同じように返していかなければいけないと思っていました。
入ってくる人間にとにかく「うちは上場するから」と言っていました。その時に玉田が「パソコンのビジネスでこのようにしていく」というビジョンを立ち上げて、それを完全にアグリーするから、これでいこうとなったのです。事業計画はほぼ全部玉田が作っており、私がしたのは資金繰りと人員採用です。
morich:お聞きしていて、社員を非常に大事にされていたのではないかと感じました。
関根:そうですか?
望月:私は、先ほどの「上場するから社員になりなさい」と同時に、もう1つ言われていたことがあります。「給与の遅配があったらすぐに辞めなさい」ということです。当時、この2つがキーワードとしてありました。
morich:上場も含めて、社員を幸せにしたいということなのではないですか?
望月:万が一給与が遅れてしまう状況になった場合、「俺はたぶん言葉を尽くして納得させてしまうかもしれないが、絶対に信じるな」と言っていました。
morich:本当に社員を大事にされていますね。
望月:今時は駄目ですが、当時の状況からするとおそらくそうだったと思います。
morich:私は、お客さま、株主、社員というステークホルダーの中で社員が一番大事だという会社が、本当に本質的に伸びていて強い会社なのではないかと思いますので、社員を本当に大事にしていることを体現している1つの事例なのではないかと思います。
関根:これからNGワードが出たら止めてください。我々はお客さまも大切なのですが、商売であるパソコンのビジネスは、そもそも売ってくれる会社が少ないのです。メーカーも限られていますし、ベンダーも限られています。
仕入れさせていただく環境が非常に厳しいのです。買っていただくお客さまは、努力をすれば開拓もできますが、そもそも売ってくださる会社は数に限りがあるため、そこで1回でも信頼を崩したらおしまいです。
社員も給料を払うから来てくれているわけです。端的にそれだけですよね。給料を払わない会社には誰も来ません。給料の支払いが遅れるということは、会社はもうおしまいです。
morich:そこは本当に徹底しているのですね。
関根:自分の給料を含めて遅れたことは1回もありません。創業の時に間借りしており固定費が少なかったこともありますが、締めてみたら85万円の利益が出ていたのです。その時に税理士が「これは消しておきますね」と言ってくれたのですが、「冗談じゃない、出してくれ」と言いました。
morich:「きちんと出してくれ。税金は払う」と言ったのですね。
関根:その後、赤字は1回もありません。望月が社長になってからは出しましたが。
望月:私がハイパー始まって以来の赤字を叩き出しました。
社長交代について
morich:上場されて、まず会長として次の社長に譲られたわけですよね。それはもう決めていたのですか? 62歳というとまだまだ若いですから、ずっと社長をやろうと思えばできると思いますが。
関根:これも言っていいのですか?
望月:何の話をどこまでしようとしているのですか(笑)? ちなみに社長がもう1人ここにいます。滅多なお家騒動のような話はやめてくださいね(笑)。
関根:玉田から「話があります」と言われて「何?」と尋ねると、「社長を交代してもらえませんか」と唐突に言われたのです。しかし、タイミング的に私もそれが合致して30秒で決まりました。
morich:未練はなかったのですね。
関根:未練はなかったですね。先ほどお話ししたように、事業計画はほぼ玉田がやっていたので、私がやるのは上場までで個人保証も全部つけました。
morich:リスクを取ったんですね。
関根:リスクもなくなって、「これからさらにもう一段の成長」という時には玉田が社長になったほうがいいだろうと思いました。「その代わりに私が会長になってもいい?」と尋ねると、「なってください」と言われました。
morich:それではもう会長・社長の関係なんですね。
関根:言い方は乱暴ですが、本当にものの30秒でしたね。
morich:その時、望月さんはどのような立場でしたか?
関根:その時はまだ課長だったかな?
望月:マネージャー職ではありました。
morich:その時に自分が将来、社長になるようなことは1ミリも考えていませんでしたか?
望月:こんなことを言うとがっかりされるかもしれませんが、「なるべくして私がなるのだ」というよりは、「したいことを実現するのに立場が必要なら社長になるだろう」という感じでした。「何でこいつを社長にしてしまったんだ」感が出るとは思いますが。
morich:いいえ。そのようなことはないですよ。しかし、それくらいちゃんと肩の力を抜いてリラックスして臨まれているということですよね。
望月:社長として認めていただいたということではありますが、その後の結果のほうが重要ですね。
morich:では、関根さんは次に玉田さんにバトンを渡されたんですね。
関根:私は社長を交代した時に1つ決めていたことがあって、25周年を過ぎたら取締役を辞めようと思っていました。会長といってもあまり居心地のいいポジションではありませんしね。
morich:確かにそうですね。
関根:会社は好きですし、自分が作ってきた自負もあるため、26年目で取締役を去って相談役という立場で残りました。
望月:当社は2015年が25周年です。
関根:2017年に相談役になったかと思います。
morich:ご自分の意志でそうされたんですね。
関根:玉田にも慰留されましたが。
morich:同期で同じ世代ですものね。その時に、例えば「私の次は望月さんに」という話はありましたか?
関根:まったくありませんでした。
morich:なかったのですか?
関根:ただ、社長を交代する時に玉田にも「私もこうして代わりますから、玉田も自分で5年、10年など期限を決めて次に譲ってくださいね」と話しました。「それができないのならば、もう1回戻りますよ」と言いました。
morich:そのように言ったのですか?
関根:玉田も「当然そうします」と言いました。そして、玉田から「後継者として望月を指名します」という話があって、私は「OKです」と言いました。
morich:その話はいつ頃あったのですか?
関根:もう5年前ですかね。
望月:私からするとその流れはわかりませんが。
morich:そのようなやり取りがあったのですね。
関根:望月を社長に指名する1年くらい前からその話がありました。
morich:やはりもう迷いなくということだったのですか?
関根:玉田はかなりそうですね。
望月:「迷いなく」は嘘だと思います。相当迷ったと思いますよ。
morich:そのあたりも本当に聞きたいです。
関根:他にも人材がいましたからね。
morich:そもそもITの世界で女性の経営者は本当に皆無ですからね。
望月:そのような意味で、アドバンテージっぽくなっているかもしれないなと多少思っていました。そのようなことを言ってしまうと良くない気配が伝わりますが、悩んだ結果なのだろうと思っています。
morich:会社としては、どちらかというとやはり男性が多いですよね。
望月:割合はそうですね。部門にもよりますが、従業員の男女比はどうしても男性が多いです。
関根:今、女性管理職は3名ですか?
望月:3名ですね。
望月社長の経営方針
morich:経営については、どのくらいから意識されたのですか? 上場会社の社長たるもの、P/L・B/Sも読まなければいけないですし、IRも含めて外に向けてはどのようにお考えだったのでしょうか?
望月:かっこいい言葉は用意できていませんが、例えば、当社は先ほどの関根の話だと「パソコンの事業をしています」となるのですが、もう1つ「アスクル」のエージェントの事業をしており、軸があります。
先ほどパソコン屋に入ってきた私の話がありましたが、それは今から30年くらい前の話です。なぜパソコン屋に入ったかというと、BtoBでもBtoCでもどちらでもいいのですが、そもそも私がお客さま向けにサービスを提供したり、PCを勧めたりということが非常に好きだったからです。
morich:現場が好きなのですね。
望月:役に立つことに喜びを感じていました。したがって、パソコンを販売するとか「アスクル」のサービスを提供するというようなことをまずしたかったわけです。その思いの度合いが強いために社長になっているのだろうと思っています。
morich:誰よりもこのビジネスや事業に対しての好感度が高いということですね。
望月:これに関しては、私自身非常にそう思っています。従業員は「うわっ、うるさい」と思っているかもしれませんが。
morich:社員との関係性でいうと厳しいのですか?
関根:けっこう厳しいようですね。
望月:「怒ってばかりですよね」と言われます。
morich:組織を作る上で何か気をつけていることや、今までとは違う経営をしていることはありますか?
望月:そのようなことはありません。代々の社長が作ってきた良さというか、力強さみたいなものがあるためです。
関根:昨日のことに話が飛んでしまうのですが。
望月:何でですか? 今いいところではなかったですか?
morich:今いいところでしたよね(笑)。
関根:大事なところです。
福谷:大事なところなのですね。
望月:それでは大事な話をどうぞ。
関根:当社には「電話は2コール以内に出なさい」という絶対的なルールがあるのですが、会社のある部署に電話をかけたところ、その時は4コール鳴ったのです。
あまりに怒るとパワハラになってしまうため言えませんが、非常に真面目に腹が立って、部長を呼んで「おかしいだろう」という話をしました。会社ができて35年も経つと、4コール鳴るのだなと思いました。これまできちんと「絶対に2コール以内でとりなさい」「1コールで出なさい」と言い続けていたにもかかわらず、このようなことになってしまい、自分でもかなりショックでした。
morich:ずっと言い続けていたにもかかわらず、浸透していないと思われたのですね。
福谷:なるほど。やはりそこへの思いはありますよね。
望月:4コール鳴らす会社にしてすみません。
関根:あれはショックでした。
morich:私的にはハイパーの強みを引き出したいと思ったのですが、ここまでにしておきます(笑)。
望月:衰えがあるということで、引き締め直していきます。
morich:偶然かもしれないですけどね。反対に、ここからハイパーとしてどうしていきたいかということはありますか? 今は望月さんがある程度そのような戦略も作っていらっしゃるのですよね。
関根:ある程度というか、完全に望月です。
福谷:そうですよね。
望月:先ほどお話ししたように、もう30年以上、祖業に近いPC販売で成長してきています。おかげさまで、お客さまにもたくさんお引き合いをいただけるようになりました。ただ、どうしてもパソコン屋の印象があります。
今はもうショップでは販売していないですが、通販はしています。いわゆるパソコンの需要があった時に、例えば「入れ替えなければ」とか「人が入る」とかで初めて思い出される存在です。それはありがたいことなのですが、継続していけません。
今は買い換えるまで何もしないということもないですし、先ほど「morich AI」の話をされていましたが、他の会社、取引先、お客さまなど、みなさんがそれを活用してどのように省力化するか、生産性を上げるかということが、どこの会社でも課題ではないかと思います。
今、それについてのサービスを増やしています。PC販売についてはお客さまに当社を思い出していただけますが、セキュリティ対策や運用、保守などについても力を入れています。先ほどお話ししたAIの活用によって、今まで何時間もかけて何人もで行っていたものを、なるべく早くできるように、それを実現できるだけのさまざまなソリューションを強化しています。今まで行ってきた「PCを仕入れて、売って」ということをやめたわけではなく、それに便利さを乗せていくようなサービスを強化しています。
「アスクル」のサービスも同じです。これまでのように、カタログ通販の「必要な消耗品はこれ」という注文に対して、販売して「便利ですよ」でおしまいではないということです。便利な使い方をご提案することもありますし、そのお客さまも当然他のこともしますよね。
「コア業務からの解放」ということをよく言っているのですが、そのような分野の総合的な支援ができるよう、軸足を動かしながら任せていただけるようにサービスを拡充しています。
morich:反対に、望月さんが社長になられてから大きく変えたことはありますか?
望月:営業スタイル的には実はもともと特殊で、あまり積極的に外出していかないスタイルです。
morich:そうなのですか?
望月:スタートの話だとそれっぽく聞こえたのですが。
福谷:真逆ですよね。
望月:ですが、実はそれで伸びてきています。そこはこれまであまり変えていなかった部分です。現在は大きく変えたとまで言っていいのかわかりませんが、変化はしてきています。
今までだと「次にPCが欲しくなったら言ってくださいね」という営業だったところから、お客さまへの接触の方法などを相当変えました。今までは待ちの割合が多かったのですが、そこをもう少し積極的に出るというか、アプローチをアウトバウンド型に強化しました。
morich:それはご自身が現場でそのような営業をされていたからこそですよね。
望月:私自身がということもそうですが、そうでなければ必要としている方に情報が届かないため、そのあたりをもう少し強化していきたいということで行っています。
いい意味で言いたいことを言い合える関係
morich:今日お二人のお話を聞いていて、本当に言いたいことを言えているのではないですか?
福谷:本当にそうですよね。
morich:おそらくですが、世の中の創業者の方の一番の課題は、次に誰に引き継いでいくかということです。そのような意味で、関係性をよくする秘訣についてはいかがでしょうか?
関根:すべてが結果論です。「上場する」と宣言して、それができたら、まず社長が連帯保証から外れます。これが非常に大きいため、それで引き継げるのです。
福谷:確かにそうですね。
関根:自分さえよければいいという考えや「一緒に連帯保証してほしい」という話だと、誰も引き継いでくれません。
morich:あまりにもリスクが高いですからね。
関根:ここできちんと引き継げる土壌を作れたということが、結果論的には大きいですね。
福谷:確かに大きいです。
morich:それは上場する目的ではないですか?
望月:事業承継もそうですよね。
morich:意外とみなさん気づいていないかもしれませんが、事業承継において上場することの目的は非常に大きいと思います。
望月:「では、君に株を売るから」と言われても困りますよね。
morich:借金しなければいけませんね。
望月:無理ですよね。そのような意味でも非常に良い仕組みを作っていただいたということだと思います。
morich:今はお互いにコミュニケーションをとる機会はあるのですか?
関根:週に1回会っています。
morich:そうなんですか。
関根:週に1回はミーティングがあります。
morich:1対1ですか?
関根:いいえ。1対1ではなく、役員もいます。
望月:他の役員も含めてアップデートしたり情報共有したりしています。個別の相談の時間はまた別に作ります。
福谷:おそらく今後いろいろと作っていくのでしょうね。
望月:直接2人でだとほとんど喧嘩ですよね。
morich:今日お話を聞いていて、いい意味で言いたいことを言い合える関係だなと思いました。
福谷:今日は関根さんが先にお越しになり、我々のスタッフが飲み物を出そうとお声をかけた時に、「いや、社長の声を聞いてから選ぶ」とおっしゃっており、望月さんは大変信頼されているなと思いました。
望月:もしかして恐れられていますか?
福谷:やはり信頼もしているし、託しているということが一言で十分に伝わったなと思っています。そこから生放送が始まりました。
morich:もうずっと長く仕事をされているため、ここから次に同期の方に引き継ぐようなこともある意味ではよくある話かと思いますが、いかがでしょうか?
関根:もう時間がないため、最後に一言だけお話しします。
福谷:急いでいきます。まとめていただいてありがとうございます(笑)。
望月:割り込まないでください(笑)。
関根:会社というものは、作ってから上場するという1つのターニングポイントまでは、そこそこの期間が必要です。しかし、そこから先は、私はタレントという言葉を使うのですが、その時のタレントが一番合っている人間が社長をやるべきだと思います。
人材は滞留すると腐ります。私はこのことについて断言します。したがって、まだ生きていてもピチピチしていても、絶対にある一定期間で交代しなければならないのです。
morich:新陳代謝ですよね。
関根:これをしていかないと組織は絶対に腐りますので、望月が社長になった時、私は一言「次を決めろよな」と言いました。
morich:それが社長の仕事ですね。
関根:「そこが君の一番のミッションだから」と言いました。望月もそれを理解してくれていますので、今はいつどのタイミングで誰にするかということを考えながら仕事をしていると思います。
morich:そうですね。確かに変に保身に走ったりなどしませんよね。
関根:それはないですね。
morich:自分の身内に引き継ぐということもありませんね。
関根:まったくありません。
望月:わかりませんよ。超長期政権を敷くかもしれませんよ。それは冗談ですが(笑)。
morich:すごい生々しい話になってしまいました(笑)。
福谷:それにしても関係性がすばらしいなと思います。
morich:社長の重要な仕事の1つは、次の社長を作ることですよね。それを就任した時から意識しなさいということをきちんと言っていらっしゃるのがすばらしいです。そのような話をされた時の現場は独特な空気だったのでしょうね。
福谷:普段はゲストがお一人ですが、今日はお二人ということで、本当に生というかリアルなお話を聞けて非常に新鮮でした。
望月:反省会はまた今度しましょうか。
morich:会社に戻ってから反省会をしていただければと思います(笑)。今日は初めての話が多く出てきて、ハイパーのファンに響いたのではないでしょうか。
望月:そうしていただけるとありがたいと思います。
morich:やはりあの時代があっての今なのだろうということですよね。足腰の強さはそこにあると思います。
福谷:そこはまた引き継いでいきながらですね。
関根:足腰は強いですよ。
morich:非常にそう感じました。積み上げてきたからこその今なのだろうなと感じました。本当にありがとうございます。
望月:いろいろ好き勝手してすみません。
福谷:いいえ。とんでもないです。1時間ぴったりお話もしましたし、今後も応援させてください。今日はお2人にお越しいただきまして、本当にありがとうございました。
関根:ありがとうございました。
望月:このような機会をいただいて、ありがとうございました。