~新morichの部屋 Vol.11 Zenken株式会社 代表取締役社長 林順之亮氏~
福谷学氏(以下、福谷):今宵も「新morichの部屋」をスタートしたいと思います。今日、何度だと思いますか? 非常に暑いですよ。
森本千賀子氏(以下、morich):とても暑いですね。私は暑さに比較的強いのですが、強い私でも倒れそうですね。
福谷:そうですよね。気温を見ると39℃になってます。海外では50℃近くあると言われており、相当まずいです。私はもう歩くだけでも本当に汗だくで、サウナを浴びたようです。いろいろ飲みながらお話をさせていただこうと思っていますが、今日も素敵なゲストをお迎えしています。
morich:本当に役得なミッションですよ。
福谷:今日も楽しみにしています。
morich:非常に楽しみです。
福谷:ゲストは後ほどご紹介しますが、先にmorichさんの自己紹介をしていただきたいと思います。
morich:もう11回目ですので、聞き飽きている方もいるかもしれませんが、初めての方もいらっしゃると思いますので簡単に自己紹介します。
新卒でリクルートに入り、25年間サラリーマンをしていました。私の転機は東日本大震災でした。それまで組織マネジメントを行っていたのですが、もう少し外向けの活動ができないかと思い、もう1度コンサルタントに戻り、比較的自由を手に入れ、副業を始めたのが2011年です。
ちょうど7年前、2017年に独立しました。今は組織のピラミッドの上のほうにあたる、CxOの方々のキャリア支援、そのような関係幹部を採用したいという企業とのマッチングをずっと行っています。福谷さんもそうですが「スタートアップの応援団」「母」ですね。
福谷:「スタートアップの母」「姉」ですね。
morich:「姉」と呼んでほしいですね。「母」として応援させていただいて、いろいろな会社の社外役員や顧問などのかたちで、本当に20枚ぐらい名刺を持ちながらいろいろ活動しています。
福谷:非常にお忙しいですよね。
morich:実は最近、文部科学省からアントレプレナーシップ推進大使という認定を受けて、例えば高校生などに、アントレプレナーシップマインドを注入していくといった活動も行っています。
福谷:ますますお忙しく、ご活躍されていくと思うのですが、どこを見てもmorichさんいるのです。SNSでも見ますし、どこかのカンファレンスのイベントに行けばmorichさんがいます。
morich:1回クリックすると、追いかけられますので、ご注意ください。
福谷:なるほど、そのようなことがあるのですね。承知しました。それでは、本日のゲストをご紹介します。morichさん、よろしくお願いします。
morich:Zenken株式会社の代表取締役社長、林順之亮さんです。
林順之亮(以下、林):よろしくお願いします。
福谷:いらっしゃいませ。よろしくお願いします。
林社長の紹介
morich:みなさま、こちらをご覧ください。カラフルなフルーツがたくさん並んでいます。「おみや」です。
林:今日はこの暑さだったので買ってきました。私は御殿場にしかなかったゼリー屋さんがとても大好きで、御殿場に行くたびに買っていたのですが、そのゼリー屋さんがなんと今月、高円寺にオープンしました。
福谷:ここ高円寺にですか。
林:一切の広告費ももらわずに、今日はその宣伝も含めてみなさまにお召し上がりいただきたくて、お持ちしました。
morich:これは争奪戦ですね。
福谷:ありがとうございます。
林:もう1つ、お土産があります。
福谷:今日はビールもいただいています。
林:私史上、この世で一番美味しいビールではないかと思います。
morich:みなさま、ここはメモするところですね。
林:いやらしい話ですが、7,000円近くします。
福谷:1本で7,000円ですか?
林:1本7,000円近くするビールです。ワインで7,000円と言われても、「はぁ」という感じですが、ビールで7,000円と言われたら「何なんだ」となりますよね。
福谷:確かに、聞いたことがありません。
林:「ザ・プレミアム・モルツ マスターズドリーム」です。すぐにお召し上がりください。
福谷:ありがとうございます。ちなみに、この高円寺のフルーツのお店は何というお店ですか?
林:フルフール高円寺です。
morich:みなさま、高円寺に来たら。
福谷:フルフレ……。
morich:フルフレー……。
福谷:お互いに言えていません。
林:フルフール。
福谷:フルフール高円寺ですね。わかりました。高円寺に来ていただいた折にはよろしくお願いします。
林:「たかがゼリー」と思っているでしょう。非常に美味しいです。
morich:本当ですか。みなさま、何も見えないかもしれませんが、本当にフルーツそのままです。
福谷:とてもカラフルで、全種類ありますよ。グレープフルーツもあれば、オレンジもあります。
morich:後でみなさま、先着順でいただきます。ありがとうございます。今日も私はシャワーを浴びています。
福谷:morichさんは、すごくシャワーを浴びるのです。
林:なるほど。
福谷:どのようなシャワーかというと、いつもゲストの方々をお招きしてトークが始まっていくのですが、ありとあらゆるところまで知り尽くしてます。
林:なるほど。
morich:インターネット検索をして、上位の結果をチェックすることは、みなさまもだいたい行うと思いますが「そんな記事がどこにあるの?」というような下のほうまで確認します。
福谷:そうですね。「そこまで知ってるのか」というぐらいゲストの方のシャワーを浴びます。
morich:「林順之亮シャワー」を浴びてます。
林:怖いですね。
4人兄弟の3番目で、たくましく育った幼少期
morich:先ほど聞いて、まず驚いたことがあります。年齢です。
福谷:そうですよね。
morich:私がいろいろ調べたところ、年齢が合わないのです。てっきり、私よりも年下だと思っており、年齢が合わないのでおかしいと思っていましたが、聞いて驚きました。
福谷:そうですよね。
morich:何と来年還暦です。
林:おっしゃるとおりです。来年還暦です。
福谷:全然、そのようには見えません。
morich:画面越しなのでわからないかもしれませんが、そうは見えません。
福谷:若さの秘訣も聞きたいと思います。
morich:本当ですね。絶対に何か飲んでいますよね。
林:サプリ歴30年です。
morich:そのサプリを知りたいです。
林:マルチビタミン30年、ビオチン30年、そのために白髪が少ないです。
morich:みなさま、チェックですよ。ビオチンですね。
林:ビオチンを飲んでください。まだ髪が黒い人は飲んでください。
morich:「地毛ですか?」と失礼なことを言ってしまいました。来年還暦という記念すべきタイミングですね。そのような意味でシャワーを浴びていたのですが、意外と幼少期については、ぜんぜんどこにも載っていませんでした。そのあたりをひもといていきたいと思います。
林:もう還暦ですから、幼少期は60年前です。モノクロの時代ですから、なかなか載っていませんよね。
morich:30代とは違うということですね。生まれは東京で、その後はどちらへ?
林:生まれたのは東京ですが、2歳ぐらいの時に福岡県北九州市に行き、そこに21歳から22歳くらいまでいました。
morich:そうなのですね。
林:基本的に北九州、福岡の人です。
morich:ちなみに、小学生時代、随分さかのぼっていただくことになるのですが、どのような少年だったのでしょうか?
林:私は男4人兄弟の3番目です。
morich:一番、放っておかれますね。
林:そうですね。衣類はほとんどお下がりです。
morich:確かに、そうなりますよね。
林:両親は共働きで、弟は私より5つも下ですので、食事は弟だけが小分けの皿で、あと兄たち3人は大皿で取り合うという状況です。
morich:3人の中でも一番下なのですね。
林:ですから、弊社は500人ぐらいの規模の会社なのですが、おそらく食べるのは私が一番速いです。
morich:取られる前にとにかく食べるということで、そのようなたくましい環境の中で育ったのですね。
林:そうですね。家の中のガラスはしょっちゅう割れていました。
morich:兄弟喧嘩ですか。
林:そうです。兄弟で殴り合いの喧嘩ばかりしていました。
morich:本当ですか? とても穏やかに見えますが当時は?
林:北九州というのは、比較的荒くれ者が多い場所で有名なところです。
morich:お父さまは本当に「九州男児」ですか?
林:父は東京の人です。母親の関係で福岡に行きました。
19歳で起業を志した理由は「お金がなくて、デートに誘えなくて」
morich:勉強を頑張っていた、スポーツをしていたというようなことはありますか?
林:勉強はまったく頑張っていませんでしたね。
morich:本当ですか?
林:勉強も頑張っていなくて、大学にも行っていません。家も貧乏で、高校を出てすぐに働くというような状況でしたので、19歳ぐらいの時、かねてから好きだった子をやっとデートに誘うことができました。
morich:19歳ですか? 田舎ではもっと早いのではないですか?
福谷:それはmorichさんのイメージですね。
morich:少しよろしいですか? 先にいただいたビールを。
福谷:確かにそうですね。ビールをいただきましょう。
morich:お疲れさまです。ありがとうございます。
林:一口だけいただきます。
morich:いただきます。味わい深いですね。
林:そうですね。みなさまも本当に飲んでください。
morich:これはビールの常識を超えました。
福谷:そうですよね。
林:これが美味しいのです。
福谷:ビールにはすごく苦みがあると言われるかと思うのですが、これはそうではありませんね。
林:深いでしょう。
morich:ビールというより、麦汁、麦という感じですね。
福谷:確かにそうですね。morichさんは、けっこう飲むのですか?
morich:飲みますが、飲んで暴れ出すとまずいので、今日はこのくらいにします。
福谷:おいしくいただきます。ありがとうございます。
林:そのような時に、デートに誘ったのですよ。
morich:まだお付き合いもしたことがなかったのですか?
林:まだお付き合いしていない方を、熊本の三井グリーンランドという遊園地に誘いました。
morich:さすがに知りませんね。福岡から熊本に行くのですか? ドライブですか?
林:そうです。その数日前からお金がなくて困りました。
morich:大変ですね。デートにはお金がつきものですからね。
林:デートに誘って「OK」と言われたのですが、当日のお金がないので、友達にお金を貸してくれるよう頼みました。すると「なんでお前がデートするのに金貸さないとあかんねん」と言われました。
morich:それはそうですよね。
林:みんなに断られました。それで、当日の朝に「お腹が痛い」と言って断ってしまいました。
morich:本当ですか? それは屈辱的な思い出ですね。
林:そうなのです。それで将来を悲観して、いろいろ考えて、起業しようと思い立ちました。
morich:それが理由ですか。
林:そうです。
morich:「ずっと起業を志していた」と書かれていましたが、それが理由ですか?
林:19歳の時に「お金がなくて、デートに誘えなくて」という理由です。
morich:高校は卒業後ですよね。
林:そうです。それが起業しようと思った一番の理由ですね。
morich:お金をきちんと稼ぐということですね。
林:そのとおりです。私が19歳の頃は世の中が学歴社会でした。「一流大学を出て、一流企業に入って」というのが世の中のセオリーでしたが、私はその波には乗れないと思いましたので、起業しようと考えました。
morich:なるほど。「そちらではない道で」ですね。確かに、まだ終身雇用が一般的な時代ですよね。
新規開拓の辛さから顧客紹介を主軸に
林:そこで、いわゆる営業に取り組もうと思ったのです。しかもフルコミッション制、つまり、がんばればがんばった分だけもらえるというものに挑戦しました。
morich:稼げると思ったのですね。
林:がんばらなければ「お給料は1円も入りません」ということですね。
morich:フルコミッションということは「0か100か」というようなことですね。
林:そのような世界に入ったのです。そして、5年間で4,000万円ぐらい貯めました。
福谷:すごいですね。
morich:ちなみに何を売っていたのですか?
林:その時は教育系のものを売っていましたので、それがきっかけで教育系に入りました。
morich:教材ですか?
林:教材や学校のものなどを売っていました。
morich:それだけで、4,000万円も貯まる実績なのですか?
林:朝8時半から夜11時半まで働いて、昼休みは10分、20分しかありませんでした。
morich:ささっとご飯を食べていたのですね。
林:「ブラック」という言葉では言い表せないぐらいでした。フルコミッション制で、正社員ではありませんので、ブラックということではなくて、起業しているのと同じことです。月に2日ぐらいの休みという生活を5年ぐらい続けました。
morich:もうずっとですね。
林:ずっとです。
morich:営業先は学校などですか?
林:個人ですね。
morich:では、いわゆる訪問販売ですか?
林:訪問販売や電話をかけるなど、いろいろな方法です。そのような世界に入って、教育業界に入ったのです。
morich:ちなみにそれだけの実績を出したのには、何がポイントだったと思いますか?
福谷:確かに気になります。
林:まず、量ですね。
morich:やはり量ですか。
福谷:行動量ですね。
morich:量が質を凌駕するということですね。
林:量をこなしましたね。
morich:例えば1日、どのぐらい訪問したのですか?
林:当然、効率を考えながら営業していましたので、1日の量ということではありません。いわゆる縁故営業ばかりしていましたね。仲間は訪問や電話で営業して、ガチャ切りされたりしていました。
morich:そうですよね。私にも経験があります。
林:断られたりということで、だいたいの人が辞めていくのです。ですから、私は成約して通い始めてくれたお客さまにすぐに紹介していただくということを常にしていました。
morich:顧客紹介ですね。
林:おっしゃるとおりです。全部、縁故営業でした。
morich:顧客紹介をいただくためには、やはりお客さまの満足度がないといけませんよね。
林:そうですね。お客さまに寄り添ってサポートします。とにかく営業で一番嫌なことは、話を聞く前の段階で断られてしまうということです。これが一番屈辱的なことですので、それをいかにして味わわなくていいようにするかということばかり考えながら、営業していましたね。
morich:いかに成約に繋がるかというようなことを、本当に工夫していたのですね。
林:そうです。ですから「飲みニケーション」ばかりしていました。
福谷:「飲みニケーション」ですか。
morich:では、お客さまとも非常に仲良くなるのですね。
林:もちろんそうです。そのようなことばかりずっとしていました。
morich:では、本当に飛び込みのような新規開拓というのはしませんでしたか?
林:それはもう、苦手です。
morich:本当に知り合いの方からの紹介で営業していたのですね。
林:講師の外国人も一緒に連れて行き、私が全部お金を出して飲みに行って仲良くなって、「楽しい世界にあなたの友達も連れて来て」というような感じです。
morich:そのようにネットワークを広げていったのですね。
林:そればかりでした。
morich:天職だったのですね。
林:天職というよりも、とにかく営業で一番辛いことは、新規開拓をしたり、電話をガチャ切りされたりすることです。それはもう耐えられないと思ったので、それだけはできなかったのです。
教育ビジネスで起業し、東京に進出
morich:先ほどフルコミッションとおっしゃった時に、ぱっと思い浮かんだのは通信などの業界かと思ったのですが、教育を選ばれたのは何か理由がありますか?
林:ネットワークビジネスや先物取引など、いろいろあったのですが、ネットワークビジネスは友達をなくしそうだと思いました。
morich:よく言いますよね。
林:先物取引は経営者相手で、19歳の私にしては大人が相手になりますので、抵抗がありました。教育であれば、同じぐらいの年の人たちですので、比較的楽かと思いました。それでたくさん稼いで、予定どおり24歳の時に自分で稼いだお金で独立しました。
morich:その時はどのような業界ですか?
林:その流れで、教育系の営業の会社を作って独立しました。
morich:何かのスクールですか?
林:そうですね。スクールやスクールに教材を付けて、というようなことでしたね。
morich:最初は本当に1人でしたか?
林:いえ、その時の社員と一緒に起業しました。
morich:それが24歳ですね。
林:九州で、熊本と北九州、福岡、鹿児島の4つに拠点を広げていきましたが、やはりマーケットが小さいのです。
morich:限られますよね。
林:それで、27歳の時に東京に出ていきました。東京というマーケットは広いので、やはり魚釣りをするならこの漁場がいいと思いました。
morich:こちらがいいと思ったのですね。
林:みなさまの財布の中も太っています。
morich:当時はバブル期ですか?
林:バブルの後です。私が19歳の時はバブル真っ只中でした。すぐに崩壊しましたね。
morich:では、バブル崩壊後に起業したのですね。
林:そのとおりです。
morich:拠点を残しながら東京に来たのですか?
林:熊本と東京の2拠点にしました。東京では初めて芝浦のレインボーブリッジ前のマンションを借りました。
morich:とても綺麗なところではないですか。
福谷:すごいですね。
林:同じマンションにX JAPANのYOSHIKIさんと唐沢寿明さんがいました。
morich:それは億ションですか?
林:志村けんさんもいました。
morich:本当ですか?
林:私の部屋の隣が松居直美さんでした。
morich:タワマンですか?
林:そのようなところに家を借りて、九州と行ったり来たりしていましたが、これはもう東京のほうがおいしいと思って、九州を閉めて東京のみにしました。
morich:ちなみに先ほど、東京は生まれた地とおっしゃっていましたが、その後、初めて来たのですか?
林:そうです。生まれただけですね。
morich:では、熊本との景色の差がめちゃくちゃあったのではないですか?
林:ありましたね。
morich:そうですよね。ある種のカルチャーギャップがありますよね。
林:とにかく漁場が大きいですね。
morich:そうですよね。もう、ネオンなどがぜんぜん違いますよね。私も田舎出身ですので、夜8時以降は真っ暗ですよね。その時はその延長線の教育ビジネスだったのですか?
林:そうですね、教育ビジネスでした。東京に出てある程度慣れてから、最初に何をしたかというと、学研と「一緒にやろう」ということで、新宿で起業しました。最初はオフィスがなかったため、新宿にあるパークハイアットホテルに滞在していました。
morich:私が世の中で最も好きなホテルですね。
林:当時はできたばかりで、そこのセミスイートルームを1ヶ月借りました。
morich:ちょっと待ってくださいね。本当ですか?
林:そこで面接をしていました。何にもなかったのでホテルを借りて、そこで面接をするわけです。
morich:スイートルームで面接ですか? びびりますよね。
林:そうです、来る人がびびります。雑居ビルくらいしかまだ借りられないくらいの財力だったため、いろいろ考えて、できたばかりのパークハイアットのセミスイートを1ヶ月借りて、ずっと面接していました。そこで良い人を雇えたのです。
morich:応募者の方々は「この会社は何なんだ」と、勘違いしそうですね。
林:「今はオフィスがないので、間借りしているこちらで面接させてもらいます」という感じでした。
morich:ホテルも「何者なんだ」とびっくりしますよね。
福谷:確かにそうですね。
林:どうでしょうかね。そのような感覚もなく行っていましたね。
morich:何人くらい採用したのですか?
林:その時にはある程度の仲間がいたため、7人から8人を採用して、合計20人から30人くらいでスタートしました。非常にうまくいきました。
300枚のプレゼン資料を持って、Zenken創業者のもとへ
林:その後に転機となる、営業する上での非常にネガティブな事象が起こりました。英会話スクールやエステ、家庭教師派遣などの特定継続的役務提供は、無条件解約に応じなければならないという法律ができました。
morich:消費者庁からですね。
林:それが非常にネガティブに働き、非常に危機的な状況に追い込まれたんですよね。そもそも教育系の営業をする中で、これからの我が国は子どもがどんどん減るため、教育事業はちょっと先が見えないなと思っていました。
morich:そのようなこともきっかけだったのですね。
林:そうです。その時に「ITだな」と思いました。
morich:そうだったのですか。
林:その頃は家電量販店に行くと「Windows」が話題でした。
morich:ちょうど「Windows95」が出た年ですね。
林:「一太郎」が「Word」に代わり、「Lotus 1-2-3」が「Excel」に代わるという時代でした。これからは教育とITを掛け合わせたような事業をするべきだと思いました。
その頃、将来に不安を感じて、MBAの勉強がしたいと思っていました。しかし、英語ができないので、海外の大学に行くこともできません。いろいろ難しいなと思いながら、MBAの本を読むなどして、根本的なビジネスの作り方を学び始めました。ちょうどその時に、日本で初めてビジネススクールとしてMBAの学校ができました。
morich:そうでしたか。
林:グロービス経営大学院というところで、私はそこのほぼ1期生です。今は大学院などいろいろありますが、堀さんの授業を受けたこともあります。そこで「あっ、ビジネスってこうやって作るんだ」と知りました。
morich:学生時代はほとんど勉強していないですものね。
林:そうなのです。勉強していませんでした。ライフサイクルや3Cなどいろいろ学んで、めちゃくちゃ楽しかったです。「お金ってこうやって稼ぐんだ」と学びました。
morich:それまでは本当に見様見真似だったのですよね?
林:その時に学んで、プレゼン資料を300枚くらい作りました。
morich:本当ですか?
林:そうです。それをZenkenの創業者に持っていって「3億円貸してくれませんか?」とお願いしました。
morich:Zenkenの社長とは、もともと何かでお知り合いだったのですか?
林:ぜんぜん知り合いではなかったです。
morich:では、何つながりですか?
林:私は学研の販売代理店の社長をしていましたが、その時の学研やベネッセはすでに巨大企業で、サラリーマン社長ですので、この人たちに出資を頼んでもたぶんだめだろうと思っていました。
morich:響かないなと思われたのですね。
林:そこで「教育企業で4位か5位くらいにいて、新宿に自社ビルを建てて勢いのありそうなZenkenという会社があるな」と思って調べたら、オーナー社長で創業者だということがわかり、その人のところに行きました。
morich:「ここだ」と思ったのですね。普通にアポを取って行ったのですか? 「はじめまして」ですよね?
林:「はじめまして」です。
morich:向こうもよく会ってくれましたね。
林:なぜ会ってくれたのでしょうね。
morich:確かにいろいろな社長に聞くと、そのように直接言ってくる人は、そうそういないようですね。
林:私が初めてだったと言っていました。今は私にとって親父のような人で、山本譲二と北島三郎のような関係です。「親父なんで会ってくれたの?」と聞いたら、「お前みたいに、突然来て『3億出せ』なんて普通はないだろう。銀行やファンドの紹介があって来るものだ」と言っていました。300枚くらいのプレゼン資料を持って、突然訪ねるなんてないですよね。
morich:その場でお願いしたのですか? 要は出資していただこうと思ったのですか?
林:その場で言いました。すると「うちのグループにジョインしないか」という話になり、「じゃあ、ジョインさせてください。私の部下もいますが、会社ごといいですか?」と言いました。
morich:すごくないですか? その日にですか?
林:その日にです。
morich:そのようなこともシナリオにあったのですか?
林:ありませんでした。会えるとも思っていませんでした。
morich:出資していただこうくらいの、資金調達の一環だったのですね。
林:当時はインターネットも盛んではなく、どのような人なのか顔写真も確認できていませんでした。
morich:わからないですよね。山本譲二さんと北島三郎さんではないですが、やはり会った時に「この社長についていこう」のような、ピンと来るものがあったのですか?
林:そんなこと思うわけないじゃないですか。会ったばかりの人に、いきなりそんなこと思いません。
morich:本当ですか? そのような直感めいたものがあったのかと思っていました。
時代の先を行き過ぎたビジネスの構想
林:こちらはもう、とにかくIT事業をしたいと必死です。現在の「ZOOM」のような仕組みを開発し、インターネットパソコン教室のフランチャイズ事業をしたいと思っていました。当時は「Word」「Excel」「PowerPoint」は、習いに行くものだったのです。
morich:そうですね、パソコン教室のAVIVAもありますね。
林:今は普通にパソコンを使用していますが、当時はAVIVAなどに通って、習うものでした。
morich:私もリクルート時代に通わされました。
林:家にいながら、北海道の先生が沖縄の生徒のパソコン画面を乗っ取って、そこに先生のカーソルと先生のキーボードを出して「はい、ここをドラッグしてください。ここでドラッグアンドドロップしてください」のように、まるで先生が真後ろにいるかのような仕組みを作りました。
morich:まだコロナ禍になる前ですから、新しいですよね。
林:ZOOMなどない時代に、ZOOMのようなものを作ろうとしました。今はパソコンが壊れた際にサポートセンターに電話すると、電話したおじいさんやおばあさんがわからなくても、パソコンを乗っ取って直してくれます。その画面共有システムを作るために、お金がかかるということを事前に調べていきました。
morich:そのようなビジネスの構想があったわけですね。
林:要はフランチャイジーで独立したいと思う人がいても、コンビニの場合は5,000万円はかかります。それならば「45万円であなたもパソコン教室のオーナーになれます」というビジネスのアイデアが、バーンとブレイクしました。それを実現するために「Zenkenでお金出してくれませんか」と、図々しいことを言いました。
morich:結果的にジョイン、買収となったのですか?
林:そうですね。
morich:グループインしたのですね。
林:そこから、あれよあれよという間に、原型となるマーケティングに派生していきます。当時、私が見誤ったことが1つありました。私のほうが先端に行ってしまって、インフラが追いつかなかったんですね。世の中のネット回線は、光ファイバーやADSL、「ピーヒョロロロロ」と鳴るISDNの時代です。
morich:懐かしいですね。
林:今の光ファイバーでもZOOMが突然落ちる時がありますよね。ISDNやADSLも授業中にどんどん落ちました。
最初、私は先生の層、つまり、フランチャイジーしか相手にしていませんでした。フランチャイジーが生徒を集める時に、1対複数の事業はインフラが追いつかずプチプチと回線が落ちてしまうのです。「これはいろいろ迷惑がかかるな」ということで、その事業は断念しました。
morich:なるほど、いったんは断念したのですね。
小さな市場に専門的なメディアを作り、優位性を確立
林:その事業を世の中に広めるために、いわゆるオウンドメディアのようなメディアをたくさん作った際、そのようなメディアを経由したほうがLPやホームページよりもコンバージョンが高く、成約率が高いということに気づきました。これが、現在のZenkenのマーケティング系の事業の原型になっています。
morich:逆に言えば、そこからマーケティングを確立していったということですね?
林:そうです。今では弊社はもう8,000メディアくらい作っています。
福谷:すごいですね。
morich:本当ですか。
林:上場企業のIT企業としては、8,000メディアを作っている会社は、おそらくありません。
morich:マーケティングの支援もするし、メディア自体も作ってしまうのですね。
林:マーケティング支援のためのメディアを作ります。例えば、元リクルートの方でしたらよくわかると思いますが、結婚ならゼクシィ、不動産ならSUUMO、車ならカーセンサー、化粧品ならアットコスメのように、大きな市場には大きなメディアがあります。
しかし、小さな市場には専門的なメディアというのはないのです。例えば、私は上場して初めて、IRや個人投資家説明会をしなければいけないということで、「越境IRって、どこが支援してくれるんだろう」と調べました。しかし、「越境 IR支援」や「個人投資家 IR支援」で検索しても出てこないのです。
例えば、東京の青山で15坪の土地を譲り受けたとします。その場合「青山 狭小住宅」で検索しませんか? 青山で狭小住宅を建てる一番良いメーカーはどこかと調べても、出てこないのです。そのようなメディアを我々は作っています。
morich:本当に小さなマーケットに絞っているのですね。
林:今ですと、コロナ禍によって、自動精算機メーカーが非常に流行っています。スーパーや病院、カラオケでも自動精算機で支払います。コンビニもすべて自動精算機です。この5年ぐらいでグーッと伸びましたよね。
では、ホテルが自動精算機を入れようと思った場合、どこの誰に聞くのか? そのような専門的なメディアをたくさん作ります。
morich:クライアントからの依頼で作るのですよね? 8,000メディアを作るだけでなく、SEO対策もされるということですね。
林:おっしゃるとおりです。メディアを作って、SEO対策もします。専門的なライティングができなければならないため、工業ライターや医療ライター、美容ライターなどを外部に1,500人くらい抱え、内部にSEOがわかって専門的な文字が書ける人間を150人くらい抱えています。
morich:コンテンツに何を入れたらよいのか知っている人ということですね。非常に優位性があるというか、参入障壁が高いですね。
林:参入障壁が高いため、上場企業で同じことをしている会社は1つもありません。
morich:どのような分野がありますか? 不動産などでしょうか?
林:今最も伸びているのは電機、機械、土木、建設、そのような製造業の支援です。コロナ禍前はエステやスクール、クリニックなどのBtoCでした。しかし、コロナ禍で3密報道もあり、誰もお客さまが来なくなってどうしようもないという状況の中で、BtoBに展開しました。それが非常に好調で、莫大な市場があるため伸びていっています。
morich:限界がないですよね。
林:本当に限界がないくらい市場がたくさんあります。
確実にシュートを決めやすいセンタリングを上げるメディア
morich:SEOやWebマーケティングにおいては、大手の代理店がありますが、そことはもうまったく違うのですか?
林:まったく違うことをしています。
morich:差別化されているのですね。ライターさんは社員なのですか?
林:150人のSEO編集者が正社員で、1,500人は外部のライターです。ライター採用のメディアを自社で持っているため、いくらでも採用できます。
morich:それは強みですね。何かやろうと思った時に、メディアをたくさん作れますね。
林:そのとおりです。
morich:みなさま「困ったらとにかく林さん」ですよ。
福谷:そうですね。
morich:メディアを作ってもらいましょう。
林:例えば、Wizさんの事例では、「引っ越ししよう」「オフィスデザインどうしよう」と思った時に、選ばれるメディアを作っています。
福谷:すごいことですね。
morich:今はコンバージョンレートが本当に低く、CPAが高騰して大変だと聞きます。
林:我々が作るメディアはマーケットが小さく、送客数も小さいのですが、コンバージョン率は高いです。今の大きなメディアのほとんどは、薄い情報がたくさん載っており、要は一括資料請求に誘導するかたちで、確度の低い顧客が創客されています。
なかなか成約しない資料請求がたくさん来るため、手間がかかるのに契約にいたりません。つまり、センタリングは上がってきますが、シュートが決まらないということです。我々は確実にシュートを決めやすいセンタリングを上げるメディアを作っています。
morich:これは本当に効果的ですよ。
福谷:正解ですよね。大正解です。
林:HR領域も同様です。採用市場も非常に変わってきており、私の時代は私たちのようなおじさんが3人から4人座って、緊張した学生が1人でポツンと座っていました。このような面接をオーディション型採用と言います。
しかし、今はまったく逆で、スカウト型採用に変わりました。1人の学生に対して企業が「うちにも来てください」というかたちです。学生のほうが強気に選ぶ側で、我々は「選んでくださいませ」という状況です。
morich:選んでいただくために、どのようなコンテンツを載せるかですね。
林:選んでいただくために、自社を武装しなければいけませんが、今は社名で検索すると悪口サイトばかりです。
morich:口コミなどですね。
林:悪口を書く人は、だいたい会社を辞めた人です。これから会社に入りたくて検索する人は、社員の生の声を聞きたいのです。社員の生の声は、放っておいてもなかなか出てきません。したがって、メディアを使って社員の生の声を外に出していくようなことをしています。
IT人材も介護人材も伸びつつあるインド
morich:時代の最先端ですね。もう1つ、海外人材では特にインドですね。
林:我々はもともと教育事業をしてきて、中小企業にしてはバイリンガル社員が1割以上います。日本人で英語を、外国人で日本語を話せるという社員が多くいます。日本語学校も30年以上経営しており、特にいわゆるビジネス日本語の専門学校に強いです。
morich:教育分野が祖業ですものね。
林:そのとおりです。英会話で言えばビジネス英会話のベルリッツのようなものです。我々はビジネス日本語を教える日本語学校を経営しています。
これから日本は人口がどんどん減っていきます。山梨県の県民分ほどの人口が1年間で減っていくとも言われており、今の1億3,000万人の人口は、50年後には7,000万人くらいまで減ってしまう。
今のGDPを維持するためには2つしか策はなく、外国人を供給するか、DX化するかしかありません。そのため、弊社はいち早く「ChatGPT Enterprise」を導入し、効率化を図っています。さらに外国人の供給事業も始めるために、いろいろな国を検討しました。
morich:普通はベトナムが多いですよね。
林:そうですね。インドのベンガルールというところがよいとなりました。
morich:IT人材ですか?
林:IT人材です。今は介護人材もインドが伸びています。
morich:インドからなのですね。インドはふだんなかなか接点がない国ですね。
林:同じアジア圏でも、なんとなく少し遠い国というイメージがありますよね。
morich:そうですね。「行ったこともない国だな」と。
林:インドというと、そのへんを象が歩いており、40度ぐらいの気候で埃っぽい国というイメージがありますよね。
福谷:そのようなイメージがありますね。
林:しかし、我々が行っているバンガロールの気候は違います。今の呼び方はベンガルールですね。
morich:以前はバンガロールだった街の呼称が、ベンガルールに変わったのですよね。
林:そうです。ベンガルールは、日本でいうと軽井沢と同じくらいの標高です。
morich:涼しいのですか?
林:一年中涼しいです。
morich:インドなのに涼しいなんて、意外です。
林:国際都市で、お肉も食べることができます。
morich:そうなのですか。
林:ベンガルールは、世界的なIT企業の社長をたくさん輩出している都市でもあります。
morich:グローバルで見ると、実はインド出身の社長はとても多いですよね。グローバルカンパニーの中では、インド人よりも日本人のほうが圧倒的に少ないです。
林:したがって、そうした人材を日本に送り込むのです。
morich:インドが英語圏だからということもありますよね。
林:インドの人たちは英語が話せるため、当然、アメリカなどに行きたいわけです。しかし、トランプ氏がアメリカ人の雇用を守ることを公約に大統領となり、移民を排除するような政策を行ったために、アメリカに行きたくても行けない人がたくさん現れました。
そのような中で、シンガポールや中国、韓国、日本といった他の先進国に行こうという動きがあり、それが追い風になって我々も進出できたのですが、その直後にコロナ禍が始まり、採用しても日本に連れてこられないということが起こりました。
それでもオンラインでいろいろと工夫しながら、今は400人近くの人材を供給しています。
morich:そうなのですか。日本企業にですよね?
林:そうです。コロナ禍の間も1万4,000人くらいが日本で働きたいと、弊社の人材バンクに登録しています。
morich:1万4,000人ですか。
福谷:すごいですね。
morich:人口が多いため、自然と集まるのですね。インドの人口は中国より多いですものね。
林:日本で理系人材を月収100万円で募集しても、おそらく10人来るか来ないかです。
morich:いや、もう最近は来ないと思います。
林:しかし、聞いたこともないような企業でも、ベンガルールに行って説明会をすると、400人ほど集まります。
morich:本当ですか。
林:我々のスタッフが、日本語の説明を英訳しながら説明会を行い、集まった400人にテストを受けてもらって40人ぐらいまで絞り、三日三晩かけて面接をして、5人ぐらいに絞り込んで採用するのです。
morich:すべて現地で行うのですか?
林:そうです。
morich:一気通貫してしまうのですね。
林:インドの学生たちは「採用」と言った瞬間に、その場で泣き崩れるのです。
morich:そんなに切望しているのですか。
林:彼らは海外に行きたくて仕方がないのです。
morich:そうですか。しかし、その時点では、日本語はまだそこまで話せませんよね。
林:まったく話せません。大学3年の終わりに内定が決まったら、そこから1年2ヶ月から1年3ヶ月かけて、我々が現地で言語教育をします。
日本語能力試験のギリギリN3レベルくらいの、カタコトの日常会話がなんとかできる状態にして日本に連れてきます。日本に来てからも、N3から、N2、N1という感じで、弊社が日本語教育を行います。
morich:インドの学生は、日本語をキャッチアップするのが非常に早いと聞きます。
林:基本的に頭が良いです。やはり、言語の習得の早さは学歴やIQに比例します。日本人を見ても、やはり東大生などは、外国に行かなくてもすぐに英語を話せます。我々は学歴の高い人たちを高度人材として連れてきているため、日本語を覚えるのも早いです。
morich:ベンガルールの大学はおそらく世界的にみてもレベルがけっこう高いですよね。日本でいうと旧帝大ぐらいの感じでしょうか?
林:IIT(インド工科大学)など、日本のトップ大学よりもさらに高い大学もあります。
morich:そうなのですか。そのような人材を中小企業でも採用できるのですか?
林:いや、そのあたりの人材は、新卒でも年収1,400万円から1,500万円のレベルで、かなりの天才の部類です。ちょっとした中小企業が採用できても、日本語が話せるようになれば、Google Japanなどに引き抜かれる可能性があります。そこは、分相応に。
morich:そこで、マッチングをされるのですね。それでも、おそらく日本で探しても絶対に取れないような人材がいるのですね。
林:そうです。
インド政府ともダイレクトにやり取り
morich:インドは今まで空白だった気がしますね。
林:そうですね。今、介護人材のメインは、フィリピン、ベトナム、インドネシア、ミャンマーで、インド人を供給しているのは弊社の他に1社、2社ぐらいしかありません。
morich:そうなのですね。高度なIT人材とともに、介護のほうも。
林:介護のほうは看護大学を卒業した、かなりレベルの高い人たちを供給しています。他社が他国の人材を紹介して年収の30パーセントをもらっているところを、弊社は年収の40パーセントぐらいをいただき、レベルの高い看護人材を介護へ紹介するということを行っています。
morich:スキルを持った方という高付加価値を提供しているのですね。日本へ来てからのサポートも馴染むまでされるのですよね?
林:人材紹介フィーをもらうことで、日本語教育費用を確保し続けることができます。
morich:そのようなモデルなのですね。
林:一般的な人材紹介は、紹介したら年収の30パーセントをもらって終わりですが、我々のビジネスモデルはストック&フローです。
morich:その後のサポートなども続けていくと。
林:我々はインド人をたくさん供給していますが、中には1人、2人しか採用しない会社もたくさんあるじゃないですか。そこで、彼らを集めてバーベキューをやったり、コミュニティを作ってフォローしたりというようなことも行っています。
福谷:なるほど。
morich:これからインド以外の国でも行うのですか?
林:すでにインドネシアなど、いろいろな国で行っていますが、今はインドがメインです。
morich:コロナ禍が明けても、日本に行きたいというインドの方は一定数いらっしゃるのですか?
林:もちろんです。よく、円の魅力がないという話もありますが。
morich:私もそこはどうなのかと思いました。
林:もちろん、そのような理由でアメリカやヨーロッパを選ぶ人たちもいますが、なにせインドには14億人もの人がいます。インド人の平均寿命が何歳かご存知でしょうか? 私は今年で還暦なのですが、実はインド人の平均寿命は67.5歳なのです。
morich:そうなのですか。
林:つまり、インド人の多くは若い人で、しかも14億人もいるのです。
morich:すごい国ですね。
林:日本では、理系の優秀なエンジニア人材は、リクルートスーツを着て就職活動をしなくても、教授の推薦で就職先が決まってしまいます。一方で、インドでは3割もの人が職にあぶれています。
morich:高学歴であったとしてもですか? 需給バランスが圧倒的に偏っているのですね。
林:インド政府も、海外の国が受け入れてくれることに対して非常にウェルカムです。弊社のような一民間企業ですら、インド政府とほぼ直接やり取りをしています。
morich:では、もうインドといえばZenkenさんということに。
林:そうなっているということですね。
morich:そうですよね。今日はとても勉強になりました。今までは、私の中でインドはちょっと空いていたのですよ。インドネシアやベトナムはレッドオーシャンだという話をよく聞くのですが。ブルーオーシャンはそこにあったのですね。
林:彼らがエンジニアとして優秀であることが一番の理由ですが、もう1つの理由は食です。おそらく日本ではインド料理店がない市町村はないですよね。ペルー料理店やロシア料理店はあまりないですが、インド料理店はどこに行っても必ずあります。
morich:私の地元の滋賀にもあります。しかも、かなり流行っています。
福谷:どこでもありますよね。
morich:カレーはみんな大好きですよね。私の両親もナンが好きです。確かに、食は大事ですね。
林:日本にはそのような環境があるため、長く働けるということが理由の1つです。さらに、海外の方の親御さんから見て、日本に行ってほしい一番の理由は、私たちにとっては当たり前になっていますが、日本が安全な国であることです。
morich:確かにそうですよね。
林:日本は夜に一人歩きができる国です。
100年安定成長し続けていける土台を築き上げる
morich:やはり海外の親御さんも同じなのですよね。ちなみに、ロシアにもIT人材がいるとお聞きしますが、次のマーケットはどこになるのですか?
林:今は、ITマーケティングと海外人材でこれからかなり伸ばしていける状況にあります。3年前、コロナ禍の真っ只中でグロース市場に上場して、そこからグロースの株価と同じように下がりましたが、だいたい底をついて、今は上がり始めてきています。
長らく投資フェーズにあった海外人材が、もうすぐ黒字化し、今後かなり持ち返していける状況にあります。弊社にご興味を持っていただくタイミングとしては、今は非常に良いタイミングであるということです。
福谷:なるほど。
morich:そういうことですよね。今日お話をうかがっていても思いました。今がまさに底のような感じなのですね。
林:そうですね。また、弊社は創業から49年となる会社で、かなり良い財務状況です。
morich:以前、P/LとB/Sを拝見しました。すごいですね。
林:したがって、先ほど冒頭でお二人がベンチャー支援などについてお話しされていましたが、弊社にもそのような資本のお話をいただければ、前向きに進むチャンスがあります。
morich:財務体質がめちゃくちゃ良くて、自己資本比率が高いですよね。これはやはり、前社長が?
林:新宿の良い場所に自社ビルを持っています。
morich:不動産事業も底堅いのですね。
林:それだけで時価110億円ほどいきます。現金をあわせると、もう150億円という状況です。弊社は無借金経営で、財務体質が非常に強い会社です。今仕掛けている海外人材事業がもうすぐ軌道に乗るため、それを黒字化して次はM&Aに力を入れます。
morich:場合によっては、スタートアップの投資などもこれからされるのですか?
林:スタートアップの投資も含め、いろいろ行っていきます。
morich:今日ご視聴いただいている方の中にもスタートアップの方がいらっしゃいますよね。
福谷:そうですね。スタートアップの方はかなり多いと思います。どのようなスタートアップと相性が良いというのはあるのでしょうか?
林:IT、ネット広告代理店や、人材派遣・紹介会社は、弊社が行っている事業と一番シナジーがあります。あとは開発系の企業でしょうか。
morich:そうなると、すべてじゃないですか? やはりメディア事業を行っていらっしゃるので、そのような意味ではどの会社もサポートできますよね。
林:そうですね。かなりいろいろシナジーは出ると思っています。
morich:社長個人としては、今後はどうされていきたいのでしょうか?
林:私個人は、もうすぐ60歳で還暦ですので。
morich:60歳には見えないです。年齢のことは忘れていました。そうでした。
林:「5年後、何をしたいですか?」といった質問はよく聞かれますが、50年続いている会社のため、当然、私の代で終わらせるわけにいきません。今後100年、安定して右肩上がりに成長し続けていける土台を築き上げてから、後継者を作り、安心して交代できる状態になれば、フェードアウトしようかなと思っています。
morich:今、オーナーは会長ではないのですよね?
林:私が社長になった時に少しの間だけ会長を務めていましたが、今は違います。オーナーが68歳の時に「70歳で引退すると決めていたから社長をやってくれないか」と、私に言われました。その時は上場する必要のない会社だったのです。
morich:そうですよね。
林:お金に困ることのない会社で、利益も出ていたため、上場する必要はなかったのですが、私が「上場していいですか?」と聞いたのです。
morich:そうだったのですか。
林:「社長をやれ」と言われたものの、「こんな聞いたこともない中小企業の社長とかやりたくないな」と当時は思いました。
morich:本音ではそうだったのですね。
林:おそらく、今の発言はうちのオーナーは聞いていないと思うのですが。やりたくなかったため、会社を上場してもよいか聞きました。
morich:それでOKが出たのですね。
林:そこで一瞬、天を仰ぎました。なぜかといえば、上場すれば、オーナーが育ててきたプロパーも含め、必要ないと思う事業はすべて切らなければならないからです。私が社長になった時点で社員は1,400人ほどいました。
morich:そうだったのですね。
林:それを、1,000人程度まで減らしました。私は上場準備よりも、そうした人に恨まれることをやったわけです。
morich:そうしてでも、100年残る会社を作っていこうと?
林:そうですね。株主にとってみれば「なぜこんな事業をやっているんだ」というものが、いろいろあるわけです。当時はゴルフ場も経営していました。その他にも、クレジットカード会社や結婚相談所、学習塾など、いろいろな事業を行っていました。すべて売却したり整理したりして、きれいにしました。
morich:ポートフォリオをきれいにされたのですね。
林:しかし、それでも弊社はコングロマリット・ディスカウントと言われてしまいます。弊社は不動産会社ではないのですが、不動産業の割合がかなり大きいため、海外の投資家から見れば、不動産会社に見えますよね。
morich:けっこう大きな武器ですからね。
林:そのような面もあります。とにかく、投資価値の高い会社にしなければ、株価は上がっていきません。そこが一番つらかったですね。先輩たちには申し訳なく思っています。私が社長になった時にいた役員も、今では4名ほどいなくなりました。トップとして、人事の英断も行いました。
morich:これから100年続く会社を作るために、後継者を育てつつということですよね。
林:そうです。
福谷:すでにそのような計画には入られているのですか?
林:それは沸き立つ話ですので、また別の機会に。
福谷:ここで、タイミング良く、お時間が来てしまいました。今日もめちゃくちゃ学ぶことがありました。
morich:インドのことなど、新しい学びがありましたね。今日も何人か人材ビジネスを行っている方が参加しています。
林:インドは本当に暑いですよ。
morich:行ってみたいです。
福谷:確かにそうですね。
morich:明日あたり株価が上がっている可能性がありますよね。
福谷:今日はあっという間に1時間が過ぎてしまいました。お越しいただきまして本当にありがとうございました。
morich:ありがとうございました。
福谷:どう締めましょうか。実は、もうすぐお誕生日を迎える方がいまして、今日はお祝いしたいなと思ったのです。ちょっと待ってもらってもよいでしょうか?
林:めでたい日だったのですね。
福谷:すいません、番組配信中ですが、morichさんがお誕生日を迎えられるということで、みなさまからのお祝いとして、このお花を贈りたいと思います。
morich:本当に? 正確には、誕生日は明日なのですよ。
福谷:明日お誕生日を迎えられるということですので、みなさま、拍手をお願いします。
morich:めちゃくちゃうれしいです。ありがとうございます。
林:おめでとうございます。
福谷:この後、ケーキも用意しており、フルーツもたくさんあります。いつもと違う締め方になってしまいましたが、このような感じで「新morichの部屋」は今後も続いていきます。今日はありがとうございました。
morich:ありがとうございます。
林:ありがとうございます。